第一話 ゴブリンという生き物には
吾輩はゴブリンである。名はまだない。
もっとも、名がないのは何も今日に始まった不幸ではない。生前――といっても、この言い方がすでに奇妙なのだが――吾輩は一応それなりの名を持ち、それなりに世間に知られ、それなりに厄介な神経と胃弱とを抱えて生きていた。名があるというのは、案外面倒なものである。人はそれを呼び、頼み、持ち上げ、あるいは陰で嘲る。名とはつまり、他人が勝手に出入りするための玄関のようなものだ。そう考えれば、今の吾輩に名がないのは、むしろ静養に適していると言えなくもない。
しかし、静養先として異世界の洞穴を用意された覚えは、断じて吾輩にはない。
吾輩が再び意識を取り戻した時、最初に感じたのは厳粛な死後の静けさではなく、鼻を衝く土と獣臭と、背中に食い込む小石の不快感であった。これでは冥土というより、三等の宿屋の床である。しかも鏡がないのをよいことに平静を装っていた吾輩の理性は、手を持ち上げた瞬間にほとんど崩壊した。細い。短い。緑色である。爪まで生えている。人間は通常、病の床から回復してもこのような色彩豊かな四肢を獲得しない。よって吾輩は、この時点で自分が医療の範囲外にある事件へ巻き込まれたと判断した。
その後、周囲を見渡した結果、事態はさらに悪化した。洞穴の壁には煤がつき、隅には噛み砕かれた骨のようなものが転がっており、入口からは見たこともない樹木の群れと、ひどく青々しい空が覗いていた。あの世にしては生命力が旺盛すぎる。第一、あの世というものが仮にあるとして、そこに骨付きの食べ残しが転がっているのはあまり品がない。
ではここはどこか。結論を急げば、どうやら異世界らしい。
我ながら迂遠な認識であるが、他に説明のつく案がなかった。病死ののち、記憶を保ったまま、未知の環境で、未知の肉体に移されている。もしこれが夢ならば、吾輩の脳は死の間際にずいぶん手の込んだ悪戯を思いついたものだし、夢でないならば、現実の方が文学よりよほど荒唐無稽である。
しかも、その未知の肉体というのが、よりによってゴブリンであった。
この結論に達したのは、目覚めてから幾日か経った後である。はじめのうち、吾輩は自分を単に「ひどく醜い小柄な怪物」と把握していた。だが森をうろつくうちに、討伐に来た人間どもの会話を木陰から盗み聞きする機会があり、そこで彼らが「この辺のゴブリンどもを巣ごと焼け」と、きわめて物騒かつ明瞭な指示を飛ばしているのを聞いたのである。人は往々にして、他者の分類には妙に熱心だ。おかげで吾輩は、自分が何者であるかを敵から教わる羽目になった。
討伐されそうになった、というより、率直に言えば、ほとんど討伐されかけた。
あれは転生直後も直後、吾輩が己の短い脚の取り扱いにも慣れず、洞穴の外で愚かにも日の光を浴びながら呆然としていた時分のことである。向こうから甲冑を着た男が二人、槍を持って現れた。吾輩は最初、彼らをこの世界における役人か何かと思った。役人なら事情を説明できるかもしれぬと、一歩踏み出して「待ちたまえ」と言おうとしたのだが、吾輩の口から出たのは「ギャ」という、実に社会性の乏しい音声であった。すると先方は事情聴取どころか、いきなり槍を構えた。まことに対話の余地に乏しい連中である。
吾輩は文学者であって武人ではないから、当然逃げた。逃げながら、吾輩は人間の本質について二つの知見を得た。第一に、人間は槍を持つとずいぶん気が大きくなる。第二に、追われる側から見た人道はたいへん頼りない。
幸い、森の下草と倒木とが吾輩に味方した。小さく、汚く、俊敏であるというゴブリンの特性は、その時ばかりはありがたかった。かつて原稿の締切からは逃げおおせぬことが多かった吾輩であるが、今回ばかりは追手から生き延びたのである。もっとも、逃げ切った後に泥水の中へ顔から突っ込み、自分の映った水面を見て二重の絶望を味わった点は付記しておくべきだろう。
さて、問題はそこからである。
吾輩はゴブリンであり、人間から見れば討伐対象であるらしい。ではゴブリンにとって吾輩は何か。これはさらに複雑であった。
洞穴には、吾輩のほかにも数匹の同族と思しき者どもがいた。どれも似たり寄ったりの顔で、正直に言えば、美醜を論ずる以前に判別が難しい。ただし、彼らは吾輩を見るたびに敵意らしいものは示さず、むしろ「お前もそこにいるのが当然だ」とでも言いたげな調子で、食い物の屑を分けたり、寝床らしい藁の山へ押し込んだりした。仲間だとは思われているらしい。これは一面では喜ぶべきことだが、他面では「吾輩はすでにこの集団と同類と見なされる姿をしている」という厳然たる事実を含んでいる。文明人としての自尊心には、少々こたえる。
困ったことに、会話は成り立たない。
彼らも何か声を発する。ぐぐ、とか、がぁ、とか、その種のものである。吾輩も試みに応じてみたが、語彙が乏しすぎる。思想以前に母音が足りぬ。どうやら感情や意図は、身振り、鼻息、食物の受け渡し、あるいは殴る殴らぬといった即物的な手段で示されるらしい。社会が未発達というより、表現手段がひどく粗いのである。だが粗いなりに秩序はある。体の大きい者が先に食い、小さい者は後へ回る。見張りらしい役をする者もいる。巣の外へ無闇に出ると、年長らしい個体が耳を引っ張って連れ戻す。野蛮と無秩序とは必ずしも同義ではない、というのは、転生後に得たささやかな発見の一つである。
また、数日観察したところ、ゴブリンという生き物にはどうやら三つほど顕著な性質がある。第一に、よく食う。いや、空腹への執着がすさまじい。木の実でも虫でも、少々傷んだ肉でも平気で口に運ぶ。第二に、群れる。単独では弱いからだろうが、弱いからこそ寄り集まって生き延びる知恵がある。第三に、怯え深い。獣の気配、人間の足音、火の匂い、それらに対する反応が異様に敏感である。この臆病さは卑しさではない。むしろ、幾度も追われ、焼かれ、斬られてきた種に刻まれた生活の知恵であろう。
吾輩はその知恵を、いまさら学び直している。
生前の吾輩は、書斎で文明を論じ、心理を解剖し、時に人間の滑稽を嘲った。ところが今や、その吾輩が洞穴で芋の皮を齧りながら、次に誰が見張りに立つかを周囲の鼻息から推測しているのである。人間万事塞翁が馬とはいうが、馬どころかゴブリンになる者は稀であろう。
ではこれから、どうするべきか。
人間のもとへ行って、己に知性があると証明するか。だが証明の第一声が「ギャ」である限り、こちらの主張は槍の穂先より先に届かぬ気がする。ではゴブリンとして群れに溶け込み、怪物の一生を送るか。これも容易ではない。吾輩の中には、どうにも書きたがる心と、考えたがる癖と、物事を一歩引いて眺めずにはいられぬ面倒な精神が居座っている。単純に唸って食い、寝て、追われて暮らすには、前世の自我がうるさすぎる。
だが同時に、吾輩はうすうす悟り始めてもいる。この身で生きるなら、まずはこの種族を知らねばならぬ。ゴブリンが何を恐れ、何を食い、何を仲間とみなし、いかに死ぬのか。それを知らずして、吾輩が人間であった頃の理屈を振りかざしても、ただのやせ我慢に終わる。生き延びるには、観察が要る。観察するには、しばらくここに留まるほかない。
つまり吾輩は当面、ゴブリンとして生きるしかないのである。
気に入らぬ結論ではある。気に入らぬが、結論としては案外まっとうでもある。人は境遇を選べぬ時、せめてその記述者になるよりほかに仕方がない。吾輩には幸い、まだ物を考える頭がある。たとえ声が濁っていようと、爪が黒かろうと、腹がやけに減ろうと、その一点だけは失っておるまい。
ゆえに吾輩は、もう少し生きてみることにした。
もっとも、その前に今夜の食事が、どう見ても焼き損ねた蜥蜴である事実については、多少考えさせてもらいたい。文明への郷愁は、案外このあたりから始まるのかもしれぬ。




