第九話 森の向こうに
吾輩に何かできることはないか。
そう考えるようになったのは、少女と自然と会話ができるようになった頃のことである。もっとも、ここでいう会話とは、世間一般に言うところの流暢な談笑とはだいぶ趣を異にする。吾輩は相変わらず口を開けば喉の奥で「ギ」だの「グ」だのが渋滞するばかりであり、少女の方もまた、森の精霊もどきと思い込んでいる相手へ向かって遠慮なく冗談を飛ばすほど図太くはない。ゆえに我々の会話は、多くの場合、土の上の文字、木片に炭で書いた単語、指先で示す方角、頷き、首振り、そしてたまに紙切れに書きつけた短い文によって成り立っていた。
しかし不思議なもので、会話というものは、媒介が何であれ、慣れてしまえば案外それらしくなる。少女が言葉を発し、吾輩がその言葉を聞き取り、頭の中で意味へ直し、それに対する返事を紙に移す。紙へ移す、と書けばいかにも滑らかだが、実際にはずいぶんと手間がかかる。この世界の文字はまだ吾輩の手になじみ切っておらず、語尾の形を間違えたり、同じ音に見える別の字を混ぜたりすることもある。それでも、簡単な会話くらいはすでにお手のものであった。たとえば「今日は母の具合が悪い」と彼女が言えば、吾輩は「熱は?」「いつから?」「食べたか?」程度なら紙へ書けるようになっていた。生前、文章を書くという行為はもっと高尚なものだと思っていたが、いまはもっぱら問診票の簡略版に使っているのだから、文学というのもずいぶん応用の利く芸である。
そして、そうしてやりとりを重ねるうちに、吾輩は少女の抱えている現実を、以前にも増して具体的に知ることになった。
彼女の母親の病気は、どうやらただの風邪や疲れではないらしい。熱が引いたり戻ったりを繰り返し、胸の痛みもあるという。夜になると咳き込み、起き上がるだけでも苦しい日がある。食べられる量も減っているようだった。吾輩は医者ではない。文学者は人間の心身をあれこれ書くが、書けることと治せることはまるで別だ。まして吾輩はいま、ゴブリンの肉体へ押し込められた、文字の覚束ぬ半端者である。診断などできるはずもない。ただ、それでも、彼女の筆談や身振りから、その病が家の中へ長く影を落としていることだけはよくわかった。
少女によれば、その病気の治療には高価な薬が必要なのだという。
高価な薬――この言葉の響きは、時代や世界が変わっても、どうにも貧しい者へ冷たくできている。生前の吾輩も、病と薬と金銭の関係がいかに陰鬱なものであるかを、まるで知らなかったわけではない。人の身体は平等に壊れるくせに、治るための道具は決して平等に配られぬ。文明というものが本当に文明であるなら、せめて熱に苦しむ女一人くらい、もっと手軽に助けられてよいはずだが、どうもどこの世界でも、そう上手くはできていないらしい。
その薬は、町の薬師か行商を通じて手に入ることもあるが、かなり高価なものになるらしかった。病気に効くとされる薬草でも、同様に値が張る。なぜ高いのかといえば、そもそも手に入れにくいからだ。市場へ安定して回ってくるような代物ではなく、採れる場所が限られ、採りに行く人間も少なく、持ち帰れる量もたかが知れている。珍しく、危険で、しかも必要とされるものは高くなる。経済というものは往々にして冷静であり、その冷静さがしばしば人情に反する。
吾輩は、少女の説明を聞きながら、何度か紙へ質問を書いた。
その薬の名は何か。どういう色や形をしているのか。薬師に頼めばいくらするのか。別の効く薬はないのか。少女は、時に言葉で、時に地面へ字を書きながら、それに答えてくれた。答えは、総じて厳しいものだった。家にはそんな金はない。牛や羊を売ればどうにかなるかもしれないが、それでは先々の暮らしが立たぬ。しかも病の具合が進めば、それでも足りぬ可能性がある。貧乏というのは、未来を切り売りして現在へ継ぎ当てる作業のようなものだが、売った先に未来そのものがなくなっては元も子もない。
吾輩は、その薬を手に入れる方法について、しばらく考えた。
とはいえ、考えたところで、いきなり名案が湧くわけではない。吾輩には薬そのものの知識が乏しいし、なにより薬を手に入れるには、この姿と状況では難易度が高すぎる。人間の町へ行って「高価な薬をひとつ」と紙へ書いて差し出したところで、相手が穏便に応じてくれるとは思えぬ。仮に金を持っていたとしても怪しまれるだろうし、そもそも吾輩は金らしい金を持っていない。ゴブリンの巣に転がっている錆びた金具では、どこの薬師も勘定へ入れてくれまい。いや、もし入れてくれたら、それはそれでその薬師の経営が心配になる。
可能性があるとすれば、少女の言う「高価な薬草」の方であった。
だがそれもまた、易しい話ではない。その薬草自体、森の奥地に生えているもので、その場所は魔物も多く危険であるため、商品としての価値が高く、市場でも滅多に回らぬ代物だそうだった。人間がうかつに踏み込めば襲われる。腕の立つ採集者でも命がけになる。だから値がつく。実に単純で、実にいやらしい理屈である。命がけでなければ取れぬものは高い。だが高いからといって、病人は待ってくれぬ。
吾輩は少女が持ってきた古びた地図らしきものへ目を落とした。
地図といっても、王国全土を精密に記したような大層なものではない。この地方の村や川筋、森の境目、街道の通り方が、ざっくりと描かれた実用本位の紙である。線はところどころ掠れ、村の名は少女の指が何度も触れたらしく少し薄れている。彼女はそれを指で示しながら、自分の住む村の名や、この地方の名、町の位置、薬師が時々来る道筋などを説明してくれた。吾輩はうなずきつつ見ていたが、途中で、なんとなく一か所に目が止まった。
そこには、森のもっと奥まった場所に印がついていた。
少女が言うには、その辺りが薬草の自生地らしい。いや、正確には「その辺りのもっと先」「そこを越えた谷」「古い岩場の近く」といった、ひどく曖昧な言い方であったから、地図上の一点そのものが正確な生息地を示しているわけではなかろう。しかし方角と目印の組み合わせとしては十分である。吾輩はその印を見ながら、自然と頭の中で自分の棲家の位置を重ね始めていた。
方角と場所が正しければ、今自分が住んでいるところから、そこまで遠くはない。
いや、正しく言えば、近くもない。実際に歩いていく距離としては、数日かかってしまいそうな場所である。森は道のないところほど長い。人間の地図で測った一里と、ゴブリンが枝を避け、沢を渡り、夜を選んで進む一里とでは、体感がまるで違う。それでも、行けない距離ではない、と思ってしまったのである。この「思ってしまった」というのが曲者で、人間はひとたびそう思うと、理屈があとからその衝動に追いつこうとする。
魔物が多い場所、というのも引っかかった。
もちろん、吾輩は今やゴブリンであり、世間でいうところの「魔物」の一種に過ぎぬ。しかし魔物同士だから仲がよいとは限らない。むしろ自然界というものは、同業者に厳しい。ゴブリンが天敵とする魔物も数多く存在するだろうし、森の奥地には群れでどうこうなる相手ばかりとも限るまい。牙の大きな獣、夜目の利くもの、毒を持つもの、飛ぶもの。考えればろくでもない想像ばかり増える。だが同時に、少なくとも人間が安易に森の中へ足を踏み入れるよりは、自然の中に身を置いているゴブリンの吾輩の方が、薬草を探すのに適しているのではないか、とも思えたのである。
この発想は、いかにも無謀なようでいて、案外そうでもない。
なにしろ吾輩は、すでに森の気配を嗅ぎ分けることにかけて、生前の自分よりはるかに有能になっている。どの地面が最近踏まれたか、どの茂みに獣の匂いが残っているか、風向きがどちらから人の匂いを運んでくるか、その程度なら、いまやかなり自然にわかる。生前であれば散歩の途中で季節の花を愛でていたような鼻と足が、いまは獣道と危険の痕跡を読むために働いているのだから、身体とは恐ろしいほど現実的である。しかも吾輩は小柄だ。人間のように大きく枝を払い、音を立て、目立ちながら進む必要がない。狭い隙間を抜け、低い姿勢で移動し、身を伏せることにかけては、人間よりはるかに分がある。
……ふむ、と吾輩は地図を見ながら思った。
これは、行けるのではないか。
いや、「行ける」と思うことと「行って生きて帰れる」ことのあいだには、相変わらず広い谷がある。吾輩はその種の谷を、人生において何度も見誤ってきた。書けると思ったものが書けず、言えると思ったことが言えず、行けると思った先で胃を壊したこともある。ゆえに、思いつきだけで足を向けるのは愚かである。だが、その愚かさを承知した上でなお、計算に値する可能性だとも思えた。
少女は、その印の辺りを指して、魔物が多いから危ない、と重ねて言った。吾輩は紙へ「人は行くか」と書いた。彼女は首を振った。滅多に行かない、行っても戻らない者がいる、そんな意味合いだった。吾輩は次に「薬草 大きい?」と書いた。少女は少し笑って、花の形を指で示した。どうやら背の低い草で、葉に特徴があるらしい。その説明を受けながら、吾輩はいつのまにか頭の中で旅支度を始めていた。
我ながら、悪い癖である。
何かを知ると、すぐそれを取りに行きたくなる。これは文学者の性分かもしれぬ。取材と称して余計なところへ首を突っ込み、帰ってきてから熱を出す。しかも今回は、取材ではなく本当に採集である。知的好奇心がそのまま命綱へ結びついているのだから、始末に悪い。だが同時に、吾輩は少しばかり胸が高鳴るのを感じてもいた。自分ができるかもしれぬことが、ようやく具体的な形を持って見えたからである。
吾輩に何かできることはないか。
その問いに対して、これまではせいぜい木の実を運ぶ、言葉を覚える、紙へ短い文を書く、その程度しか答えがなかった。もちろん、それらも大事である。人はしばしば「もっと大きなこと」をしたがるが、小さなことが積み上がらねば、大きなことなどまず成立せぬ。しかし、少女の母親の病という現実を前にした時、吾輩の中で何かが一段階だけ踏み込んだ。もしかすると、自分がいま手にしているこの半端な立ち位置――人間ではないが人間の言葉がわかり、町では生きづらいが森には紛れられ、弱いが小回りが利く、そういう中途半端さそのものが、一つの役に立つのではないかと考え始めたのである。
ここで、ふと群れのことが頭をよぎった。
もし吾輩が数日も棲家を空ければ、連中はどう思うだろうか。何も思わぬかもしれぬ。ゴブリン社会は、人間ほど他人の留守へ感傷を差し挟まぬ。しかし、まるで何も影響がないとも言い切れぬ。吾輩はこのところ、群れの中で「少し妙だが役立つ奴」くらいの立ち位置を得つつある。危険を先に察し、道を選び、拾い物を見分ける。もし数日いなくなれば、その役割は空く。もっとも、それで群れが崩壊するほどのことはあるまい。吾輩一匹の不在で崩れる社会なら、最初からたいした社会ではない。とはいえ、帰ってきた時に寝床の位置が消えていたり、集めておいた布切れが誰かの尻の下に敷かれていたりする可能性は十分ある。その程度の不便は覚悟せねばならぬ。
また、少女へも、迂闊なことは言えぬ。いや、言えぬどころか、そもそも筆談で「吾輩はこれから危険な森の奥へ薬草を採りに行くつもりだ」と伝えること自体、あまり賢明ではない。止められるに決まっているし、もし止められずとも、不安だけを残す。精霊扱いされている怪しい森の住人が、さらに冒険譚めいた真似を始めては、いよいよ話が神秘の方へ転びすぎる。吾輩としては、あくまで現実的に考えたい。現実的に危険であり、現実的に準備が要り、現実的に迷えば死ぬ、その程度の認識で十分だ。
そう考えつつも、吾輩の視線は何度も地図のその一点へ戻った。
人間だった頃の吾輩なら、この種の衝動をどう扱っただろうか。おそらく一度は理屈で押さえようとし、次に気取った言い回しで自分をなだめ、それでも結局気になって眠れず、数日してからやはり出かける、といったところだろう。われながら面倒な性格である。ゴブリンになっても、その本質はあまり変わっていないらしい。違うのは、いまの吾輩には足が軽く、鼻が利き、そして何より、森へ入ることそれ自体が元来の生活圏だという点である。つまり今回は、気になる先へ向かうための身体的な障壁が、かつてよりずっと低い。
これは案外、大きい。
人間はしばしば精神ばかりを問題にするが、実際には身体の都合が考えの行き先をかなり左右している。遠くへ行ける足を持てば旅心が芽生え、高いところへ登れる身体なら空を考える。吾輩がいま薬草の自生地へ手を伸ばそうとしているのも、単に人情や好奇心だけではなく、このゴブリンの身体が「森なら行ける」と囁いているからだろう。つまり吾輩は、思想によってだけでなく、肉体によっても少しずつゴブリンになりつつある。その事実は、少々複雑である。複雑だが、否定できぬ。
少女は、吾輩が地図を見つめたまま黙り込んでいるのを、不思議そうに見ていた。吾輩は慌てて顔を上げ、軽く首を振った。まだ今は、何も書かぬ方がよい。思いつきをそのまま文字へしてしまうと、あとへ引けなくなることがある。作家というものは、一度書いたことに妙な責任を感じる生き物だ。ならば、まずは頭の中だけで何度か歩かせてみるべきである。森の奥地までの道筋。食料の用意。水場の記憶。途中で隠れられそうな場所。連れて行ける道具。採った薬草をどう持ち帰るか。そこまで考えて、なお行けると思えたなら、その時はじめて計画と呼んでよい。
もっとも、そうした慎重さを並べ立ててみても、内心ではすでに半分ほど決まっている気もした。
人は、自分で下した決断を「まだ考えているだけだ」と偽ることがある。吾輩もたぶん、いまその段階にいる。だが、それでよいのかもしれぬ。決断というものは、宣言した瞬間に生まれるのではなく、その前からじわじわと体の中で形を取っている場合が多い。気づけば、もう道の方がこちらを選んでいる。
吾輩は地図から目を離し、紙へ短く書いた。
「森 危ない」
少女はすぐにうなずいた。そして続けて、そこへ行ってはならぬというようなことを書こうとしたらしかった。吾輩はその手元を見ながら、内心で苦笑した。まったく、事情を知らぬ相手からすれば、そう言うほかないだろう。だが吾輩は、事情を少しだけ知ってしまった。危ないから値がつく。危ないから誰も行かぬ。危ないから、行ける者の価値が生まれる。世の多くの物語がそうであるように、今回もまた、厄介ごとは危険の少し向こう側にあるらしい。
さて、と吾輩は思った。
ゴブリンとして生きていくとは、こういうことなのかもしれぬ。
人間の町に堂々と入れぬ代わりに、森の暗がりには馴染める。人間の薬師に頼めぬ代わりに、人間の嫌がる奥地へ分け入れる。美しくも高貴でもないが、小さく、しぶとく、目立たず、それなりに役に立つ。もしそれが今の吾輩の持ち味なら、使わぬ手はない。
もちろん、そう簡単に格好よくはまとまらぬ。吾輩はそもそも勇者ではないし、英雄譚の主人公でもない。腹が減れば集中力は落ちるし、夜露に濡れれば機嫌も悪くなる。怖いものは怖い。できれば危険な魔物のいる場所など避けたい。だが、それでも行けるかもしれぬと思ってしまった以上、その思いはしばらく吾輩の中に居座るだろう。
地図の上のその印は、小さく、ただの記号にすぎなかった。だが吾輩には、それがいつのまにか一つの問いに見えていた。
――お前は、行くのか。
答えを紙へ書くには、まだ早い。だが胸の奥では、すでに半分ほど、返事ができあがりつつある気がした。




