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吾輩はゴブリンである  作者: 平木明日香
第一章 名はまだない
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第七話 言葉と形を結ぶもの



少女は、こちらへ一歩近づいたのち、さらにもう半歩だけ近づき、そこでぴたりと止まった。


止まり方が実に慎重である。片足を少し引ける位置に残し、羊と桶と自分との配置を崩さぬまま、しかし視線だけはまっすぐこちらへ向けてくる。田舎の娘といっても、ただ暢気に乳を搾っているだけでは生きてゆけぬのだろう。日々の暮らしのなかで、獣にもよそ者にも、それなりの用心を覚えるに違いない。人間の育ちというものは、案外こういう足の置き方に出る。


そして彼女は、警戒を喉に引っかけたような声で言った。


「……だれ?」


なるほど、と吾輩は思った。人間は未知のものに出会うと、まず「何だ」とは言わず、「だれ」と問うことがある。これは興味深い。相手が人間かどうかまだわからぬうちから、先に人格の有無を尋ねるのである。もちろん単なる習慣の問題でもあろうが、少なくとも悲鳴や石よりははるかに文明的な出だしである。吾輩はこの一語に、思いのほか救われた気がした。


もっとも、救われたからといって、返事ができるわけではない。


ここで「吾輩はゴブリンである」とでも言えれば話は早い。いや、早いどころかたぶん即座に話が終わる。少女は桶をひっくり返して家へ駆け戻り、ほどなく大人と犬と棒きれの一団が現れるだろう。ゆえに、それは論外である。では「旅の者だ」とでも身振りで示すか。これならまだ見込みがある。しかし、身振りというものは一つの意味に定まりにくい。吾輩が「旅」を示したつもりでも、相手には腹痛の表現に見えるかもしれぬ。人間はこと言語にかんしては神経質であるくせに、身振りになると急に大雑把になる。


吾輩は喉へ当てた手を、もう一度ゆっくり見せた。それから、小さく首を振る。声が出ぬ、という意味のつもりである。次いで、胸に手を当て、少しだけ頭を下げた。怪しい者ではない、少なくとも礼儀の概念は知っている、ということを示したかったのだ。礼儀というものは、便利である。中身がどうあれ、形だけでも相手に「こちらはお前の世界の規則を多少なりと知っている」と思わせる効き目がある。


少女は眉を寄せたまま、しかし逃げはしなかった。


「しゃべれないの?」


まったく、人間というものは、確認の問いを好む。目の前で喉を押さえ、声の代わりに頭を下げている相手を見ても、なお言葉で確かめようとするのだから、会話というのは半分以上が念押しでできているのかもしれぬ。とはいえ、確認してもらえるのはありがたい。確認とは、少なくとも問うだけの余裕が相手にあるということである。恐怖が先に立てば、人は確認せずに逃げるか殴る。


吾輩はゆっくりとうなずいた。


すると少女は、少しだけ肩の力を抜いたように見えた。これは面白い現象である。話せぬ相手というのは、本来なら不便で不気味なはずだが、場合によってはその無害さが先に立つのかもしれぬ。少なくとも、唾を飛ばしてまくしたてる酔客よりはましだろう。人間は口から出るものにしばしば傷つけられるから、逆に口を持たぬ相手に対して、一種の油断を抱くことがある。もっとも、吾輩は歯を持っているので、その点を強調されると困るが。


ここで、吾輩は慎重に一歩だけ踏み込んだ。


踏み込む、といっても物理的な距離を急に詰めたわけではない。そんなことをすれば、せっかくできかけた細い橋が折れる。吾輩がやったのは、あくまで「相手の懐へ入るための空気」を作る方の踏み込みである。つまり、こちらが次に何かを要求したり襲いかかったりするのでなく、会話の流れへ身を預けるつもりだと伝えるために、動作の速度を一段落とし、視線を正面から少し外し、荷を脇へ寄せたのである。これは生前の社交でもよく使われていた手口だ。真正面から覗き込む者は、質問者か詰問者である。少し視線を外し、間を置く者は、相手に「逃げ道」を残す。逃げ道がある会話は続くが、ない会話はたいていこじれる。


だが、ここまで来て、吾輩は一つの困った事実に気づいた。


仮にこの少女と会話できるようになったとして、何を目的に会話をすればよいのか。


いや、もちろんここまで来たからには、それなりの理由というものを携えてきた。第一に、この世界について知りたい。人里の名、土地の名、王や領主や宗教のこと、ゴブリンがどう扱われているか、周囲の町や街道や川の流れ、そういうものを少しでも知りたい。第二に、自分がなぜゴブリンという生き物に転生してしまったのか、その手がかりが欲しい。この後者は、吾輩にとって案外大きい。冷静に構えてはいるつもりだが、心の底の方ではずっと引っかかっている。どうして吾輩はここにいるのか。どうして人でなくゴブリンなのか。どうして前世の記憶だけは、こんなにしつこく残っているのか。


とくに後者は、理屈というより性である。


生き物としての性、と言えば少し大げさかもしれぬが、少なくとも自然と湧いて出てきてしまう感情ではある。悲しいかな、人間として生きてきた記憶を持っている以上、今のゴブリンの暮らしや生物としての特性に興味が出るのはもちろん、何より自分がなぜこの世界へ来て、こうして慣れない生活や日常を送っているのかを、つい考えてしまう時間が生まれてしまうのだ。空腹で虫を避け、夜に身を潜め、群れの鼻息を聞きながらも、ふとした拍子に「なぜ吾輩がこんなことを」と思ってしまう。この「なぜ」は、実に腹の足しにならぬ問いだが、だからといって消えてくれぬ。


もっとも、だからといって目の前の少女に、いきなり「吾輩はいかなる形而上学的理由によってゴブリンに転生したのであろうか」と尋ねるわけにはいかない。そんなことを問えば、相手が少女でなく大学者でも困る。第一、吾輩はそもそもしゃべれぬ。しゃべれぬ者が哲学的疑問をぶつけようというのだから、計画としてはすでに少し破綻している。


ともかく、そうした理由を解明するために、吾輩はこうして人里へ降りてきているわけである。しかし、その理由を探るということと、いま目の前の少女と会話を成立させ、なおかつ会話を弾ませるということとのあいだには、あまりにも目的と手段の乖離が大きすぎる。たとえば生前であれば、編集者に会って「締切を延ばしていただきたい」と頼む目的は明快であり、そのための会話もそれなりに手順がある。ところが今回は、「異世界の謎を知りたい」「ゴブリン転生の理由を探りたい」という大目的に対して、目の前の相手は羊の乳を搾っていた田舎の少女である。この落差は、どうにも激しい。


人間社会では、話しかける理由というものが案外重要である。知らぬ者同士が自然に言葉を交わせる場面は限られている。道を尋ねる。物を買う。天気の話をする。助けを求める。つまり、会話はたいてい「小さな目的」によって始まる。それを積み重ねてようやく、少し大きな話へ移る。いきなり世界の秘密を問う者は、詩人か狂人か、さもなくば金を貸してほしい者くらいであろう。吾輩はできるだけそのどれにも見られたくない。


では、どうするべきか。


答えはわりあい簡単であった。大きな目的はいったん腹の底へ押し込み、まずは小さな目的を一つ得ることだ。つまり、今この場で吾輩が少女に求めてよいものは、世界の真理ではなく、せいぜい水か、紙か、あるいは近くの地名くらいである。人間は具体的な要求には応じやすいが、抽象的な探求には身構える。これは人情というより、生活の習いだろう。農家の娘に「この世界の構造を教えてくれ」と迫るのは無礼であり、同時に無駄である。「水を一杯」「紙切れを少し」「この村の名を指してくれ」という程度なら、まだ対話の範囲に収まる。


問題は、それをどう伝えるかだ。


吾輩は少女と羊と桶とを見比べながら、思索の回転数を少し落とした。こういう時、考えすぎるとたいてい動きがぎこちなくなる。ぎこちない相手は怪しまれる。ゆえに、多少粗くても、まず一つ動くのがよい。


吾輩は青石の置いてある地面の少し横へしゃがみ込み、指先で土をならした。


少女の肩がぴくりと動いた。無理もない。布をかぶった怪しい小男が、いきなり地面へ何かを書き始めれば、たいていの者は警戒する。そこで吾輩は、すぐには文字を書かず、まず自分の胸を指した。それから、首を横へ振る。名乗れない、あるいは声が出ぬ、という意味である。続いて、空いた手で村の方を指し、首を傾げてみせた。これは「ここは何という場所か」と問う身振りのつもりであった。


少女は少し考えたようだった。よいことである。人は理解不能のものを前にすると、たいてい三つの反応を示す。笑うか、怒るか、考えるかである。考えてくれる相手なら、まだ見込みがある。


「……村の名前、知りたいの?」


吾輩は内心で、ほとんど拍手を送りたくなった。見事である。人間は案外、身振りから意味を補う才に長けているらしい。いや、少女が特に勘のよい子なのかもしれぬ。羊に話しかけるような者は、言葉にならぬ反応を読むのに慣れているのだろうか。だとすれば、吾輩が最初の相手に彼女を選んだのは、まったくの見当違いでもなかったわけだ。


吾輩は大きくうなずいた。


すると少女は、乳搾りの桶を脇へ置き、空いた手の指で地面を指した。どうやらこちらの「土に書く」という発想を理解したらしい。吾輩はすかさず場所を譲るように少し退いた。相手に書かせるのが、現時点では最も安全で確実である。吾輩が怪しい字を書くより、少女に書いてもらった方がよほどよい。


ところが、ここでまた別の困難が顔を出した。


少女が仮に地面へ村の名を書いたとして、吾輩はそれを正しく認識できるだろうか。


この世界の言葉は理解できる。しかし文字はまだ十分に知らぬ。看板や板切れの文字を見て、なんとなく意味が掴めたことはあるが、それは文脈や形の連想による部分も大きかった。単語を単独で書かれた時に、それを正確に読めるかは怪しい。まして手書きともなればなおさらである。文明というものは、活字の整いによってずいぶん助けられている。人の手癖の入った字は、本人以外には案外難物だ。


だが、ここで怯んでは何も始まらぬ。読む力は、読むことでしか鍛えられぬ。吾輩は半ば勉強のつもりで、少女の指先を見つめる覚悟を決めた。


少女はしゃがみ込み、土の上へ何やら文字らしきものを描き始めた。線は丸みがあり、ところどころに跳ねるような癖がある。吾輩の知らぬ字形である。だが、見ているうちに、妙なことに気づいた。まったく未知の記号という感じではないのだ。どこかで見たことがある。いや、見たというより、頭の中の「音」と結びつきそうな気配がある。これが異世界言語を理解しているということなのだろうか。文字を見た途端、発音というより意味の輪郭が、ぼんやりと胸のあたりへ浮かんでくる。


人間の認識というものは、ずいぶん曖昧なところで成り立っている。


生前の吾輩は、言葉とは意味を正確に運ぶ器だと思いたがっていた。だが実際には、音も字も、相手の表情も場の匂いも、一緒くたになってようやく意味らしきものを作っているのかもしれぬ。いま吾輩が少女の書いた字を「何となくわかる」気でいるのも、その総合の結果であろう。そう考えると、文学という営みも、案外よくこんな不確かな素材で成立していたものだ。


少女は書き終えると、顔を上げて吾輩を見た。説明の言葉を添えたようだったが、吾輩にはその音の細かな再現ができぬ。もっとも、意味はわかる。たぶん、これが村の名なのだと告げたのである。


吾輩はその文字を指さし、自分の胸を指さし、それから軽く頭を下げた。礼のつもりだ。こうした小さな礼を何度か繰り返せば、こちらが単なる獣でないことは伝わるだろう。人間は、礼をする者に対して、多少分類を保留する。


ここで会話を終えてもよかった。村の名を知る。それだけでも収穫である。だが、それだけで引けば、せっかくつながった糸が細すぎる。もう一つ、何か具体的で無害な問いを重ねたい。そうすれば次も来やすいし、少女の方にも「この変わった旅人は、こういう用事で現れたのだ」という筋道が残る。


水か。紙か。あるいは町への道か。


吾輩は少し迷った末、まずは水だと思った。水を求めるのはもっとも自然だし、声の出ぬ旅人が喉を押さえているのなら、なおさら不自然ではない。紙をいきなり求めるのは、農家の少女相手にはいささか浮く。紙など、どの家にも潤沢にあるとは限らぬ。水ならば、少なくとも意味が通る。


吾輩は喉を押さえ、口元を指し、それから桶の方へ視線をやった。乳ではない、水であることをどう示すか少し悩んだが、幸い近くに水桶らしき影も見える。少女は吾輩の仕草を見て、今度はさっきより早く意味を取ったようだった。


「……水?」


吾輩はまたうなずいた。


いやはや、こうして書いてみると、実に原始的な会話である。質問一語、うなずき一つ。しかし、原始的だからこそ、かえって本質が出る。人間関係の始まりというものは、案外この程度の単純さでよいのかもしれぬ。生前の吾輩は、会話にもっと気の利いた綾や皮肉や機微を求めていた。だが今の吾輩に必要なのは、まず一杯の水と、相手が逃げずにそこへいてくれることだ。それ以上を望むのは贅沢である。


少女はしばし迷うように家の方を見、それから桶のそばに置いてあった小さな器を取り上げた。どうやら本当に水を汲んでくれるらしい。吾輩はそこで、胸の奥に小さな熱のようなものを感じた。安堵とも、感謝とも、あるいは単に喉の渇きへの期待ともつかぬ感情である。ともあれ、第一歩としては上々であった。


そして同時に、吾輩は思った。会話を弾ませる必要など、最初からなかったのかもしれぬ、と。


弾む会話というのは、往々にして同じ世界の前提を持つ者同士の遊びである。吾輩と少女との間には、前提があまりに少ない。ならば無理に弾ませるより、一つ一つ確かめる方がよい。村の名、水の在処、道の方向、危険の有無。そうした小さな具体の束こそが、やがて吾輩の知りたい大きな問いへつながるのだろう。世界の秘密も、転生の理由も、たぶん最初から壮大な形では落ちていない。まずは村の名から、水一杯から、人間の警戒の薄め方から。知識というものは、えてしてそういうみみっちい入口を通って入ってくる。


そう考えると、少し気が楽になった。


吾輩は世界の真理を一夜で掴むためにここへ来たのではない。まずは、目の前の少女に「水をくれるか」と身振りで伝え、それが通じるかどうかを確かめに来たのである。その意味では、今この場ですでに収穫はある。しかも、それが思いのほか人間的な形で進んでいるのだから、なおさら悪くない。


もっとも、ここで気を緩めると外套の裾から足の色が覗くかもしれぬし、器を受け取る拍子に爪の形が目立つかもしれぬ。そのあたりの小さな破綻が、大計画というものをしばしば壊す。文学では伏線というが、現実では単なる不注意である。吾輩は改めて姿勢を正し、少女の次の動きを待った。


どうやら今夜の吾輩は、世界の謎に迫るより先に、まずは一人の田舎娘から上手に水をもらう技術を学ばねばならぬらしい。


まことに、学問には順序というものがある。


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