第1話 その門はあまりに馴染み深き絶望
大国グラン・マレウス帝国の王都、その中心に位置する壮麗な王城の一角。
豪奢な大理石で設えられた浴室には、今日もまた心地よい湯気が立ち込めていた。
「……ふぅ。極楽、極楽」
思わず口をついて出た言葉は、この世界の言語ではなく、前世の日本語だったかもしれない。
たっぷりとお湯が張られた浴槽に肩まで浸かり、俺は――第三王子レオンハルトは、天井の高い浴室に響く反響音を楽しんでいた。
窓から差し込む午後の柔らかな日差しが、湯面をキラキラと照らしている。
ふわりと香るのは、俺が専属の薬師に命じて作らせた、ラベンダーに似た香草のエキスを配合した特製石鹸の香りだ。
前世はブラック企業に勤める、しがないサラリーマンだった。
来る日も来る日も満員電車に揺られ、理不尽な上司に頭を下げ、安酒を飲んで寝るだけの毎日。
唯一の楽しみといえば、VRゲーム『ダンジョン・フロンティア異世界編』くらいのものだった。
そんな俺が、過労か事故か、とにかく唐突な死を迎えて転生した先が、この剣と魔法の世界の第三王子だなんて、神様も粋な計らいをしてくれる。
第三王子という立場は実に都合が良かった。
上には優秀な兄と姉がいるため、王位継承権争いとは無縁。
かといって貴族として見下されることもない、最高位の「スペア」だ。
俺は転生してすぐ、この恵まれた立場を最大限に利用することに決めた。
つまり、現代知識を適度に使って快適なスローライフを送りつつ、王族としての責務は最低限で済ませる、という生き方だ。
「レオンハルト様、湯加減はいかがでしょうか」
浴室の入り口で控えていた侍女が、恭しく声をかけてくる。
この世界には元々、毎日入浴する習慣なんてなかった。
精々が湯浴み程度で体を拭くのが一般的だったのだ。
それを「不潔だ! 耐えられない!」と泣き喚き、親父である国王陛下にねだり倒して専用の浴室を作らせたのが、五年前のこと。
最初は「水資源の無駄遣いだ」「贅沢すぎる」と眉をひそめられたが、清潔さを保つことが病の予防になると実証されると、今では王族の間でちょっとしたブームになっている。
「最高だよ。今日のハーブの配分は完璧だね」
「恐悦至極に存じます」
贅沢者、放蕩王子。
陰ではそう呼ばれていることも知っている。
だが、それがどうした。
俺は前世の記憶を活用し、マヨネーズやら、回転ベッド(これは即却下されたが)やら、様々な現代知識を「発明」として小出しにしてきた。
それらがもたらす利益を考えれば、毎日風呂に入るくらいの贅沢は許されるべきだ。
風呂から上がり、最高級のシルクで織られたバスローブを羽織る。
鏡に映るのは、金髪碧眼の整った顔立ちをした十五歳の少年。
線は細いが、栄養状態が良いので肌艶は抜群だ。
ああ、幸せだ。
このまま何事もなく、美味しいものを食べ、風呂に入り、たまに公務という名の顔見せをして、天寿を全うしたい。
そう思っていた。
ドォォォォォォォォォン――……!!
突如、地響きのような重低音が王城を揺らした。
地震か?
いや、この世界に来てから地震なんて経験したことがない。
窓ガラスがビリビリと振動し、棚に飾ってあった花瓶がガタガタと音を立てる。
「きゃあっ!」
「な、何事ですか!?」
侍女たちが悲鳴を上げ、廊下がにわかに騒がしくなる。
ただ事ではない。
肌にピリピリと突き刺さるような奇妙な圧迫感。
これは魔力だ。
それも、宮廷魔導師たちが束になっても到底及ばないような、桁違いに濃密で禍々しい魔力の奔流。
「……王都の方角か?」
窓から外を見る。
王城が高台にあるおかげで、城下町が一望できた。
その光景を見た瞬間、俺の思考は凍りついた。
王都の中央広場。
普段なら市場が立ち並び、多くの市民で賑わっているはずの場所に、それは「在った」。
巨大な漆黒の渦。
空間そのものを抉り取ったかのような黒い穴が、空中にぽっかりと口を開けている。
その周囲には紫色の雷のようなエフェクトがバチバチと迸り、物理法則を無視して鎮座していた。
そしてその穴を縁取るように装飾された石造りのアーチ。
悪魔の顔を模したレリーフ。
絡みつく蔦のような紋様。
頂点に輝く、血のように赤い宝玉。
見間違えるはずがない。
見間違えようがない。
「……は?」
口から乾いた声が漏れた。
冷や汗が背中を伝う。
心臓が早鐘を打ち、指先が微かに震え出した。
あれを俺は知っている。
毎日毎日、VRヘッドセットを被ってダイブした世界で、親の顔よりも見たあのデザイン。
「嘘だろ……なんでここにあるんだよ……」
あれは『ダンジョン・フロンティア』の入場ゲートだ。
「レオンハルト様! ご無事ですか!?」
「ただちに避難を! 広場に正体不明の魔法現象が!」
部屋に飛び込んできた近衛兵たちの声も、今の俺には遠いBGMのようにしか聞こえない。
脳内でパズルのピースがカチリとはまる音がした。
剣と魔法の世界。
文明レベルは中世ヨーロッパ風。
魔物がいて、魔法がある。
よくある異世界転生だと思っていた。
だが、違ったのだ。
ここは『ダンジョン・フロンティア異世界編』の世界――その「サービス開始の時」だったのだ。
血の気が引いていくのがわかる。
『ダンジョン・フロンティア異世界編』。通称「ダンフロ」。
フルダイブVRゲームとして一世を風靡したそのゲームは、超高難易度、そして何より――プレイヤーたちを絶望の淵に叩き落とした「エンディング条件」で有名だった。
――ゲート出現から十年以内に最深部を攻略できなければ、スタンピード(大氾濫)が発生し、世界は滅亡する。
「十年……」
十年後に、この豊かな王都も、美味しい食事も、最高の風呂も、すべて魔物の波に飲み込まれて消滅する?
ふざけるな。
冗談じゃない。
やっと手に入れたんだ。
満員電車のない朝を。
サービス残業のない夜を。
それをまた、あのクソ運営(神様)のシナリオ通りに奪われてたまるか。
カッと頭の中で何かが切り替わった。
スローライフモード終了。
ここからは――ガチ勢(廃人)モードだ。
「着替える! 急げ!」
「は、はい!?」
呆気にとられる侍女を怒鳴りつけ、俺はバスローブを脱ぎ捨てた。
普段のひらひらした貴族服ではない。
乗馬用の動きやすい服とブーツを用意させる。
「レオンハルト様、どちらへ!? 避難誘導が……」
「親父……いや、国王陛下のもとへ行く!
緊急事態だ。道を開けろ!」
制止しようとする兵士たちを振り切り、俺は廊下を全力疾走した。
王城の廊下は長い。
だが今は、その距離さえもどかしい。
走れ、走れ、走れ。
まだ誰も気づいていない。
あのゲートが何を意味するのか。
これから何が起こるのか。
知っているのは、世界でただ一人、俺だけだ。
この世界の住人にとって、あれは「未知の脅威」だろう。
だが俺にとっては違う。
あれは「攻略対象」だ。
敵の行動パターン、ドロップアイテム、隠し部屋の場所、そして効率的なレベリング方法。
VRの体感として、体に染み付いている。
剣の振り方も、魔法の詠唱タイミングも。
(待ってろよ、ダンジョン……!
この世界のルール(仕様)がゲームと同じなら、俺が誰よりも早く骨の髄までしゃぶり尽くしてやる!)
息を切らして玉座の間――ではなく、親父が執務を行っているであろう執務室の前へとたどり着く。
重厚な扉の前には、厳重な警備の近衛騎士たちが立っていた。
「レオンハルト殿下! 今は会議中で……」
「緊急事態だ! 通せ!」
「しかし……!」
「『天啓』が降りたと言っているんだ!
国の存亡に関わることだぞ!」
『天啓』。
この言葉こそが、俺がこの城で築き上げてきた最強のカードだ。
これまでの数々の現代知識チート――衛生管理や新料理、農業改革のアイデアなどはすべて「夢の中で神から授かった知識」として説明してきた。
信心深い親父はそれを信じている。
いや、結果が出ているからこそ信じざるを得ない状況を作ってきたのだ。
騎士たちが顔を見合わせ、怯んだ隙に、俺は扉を押し開けた。
バンッ!
と大きな音が響き、室内の視線が一斉にこちらへ集まる。
執務室には父王である国王アレクセイと宰相、そして騎士団長が深刻な顔で地図を広げていた。
窓の外に見える異様なゲートについて議論していたのは明白だ。
「レオンハルト? 何事だ、騒々しい」
親父――国王アレクセイ・グラン・マレウスは、威厳のある低い声で俺を咎めた。
白髪交じりの髭を蓄えたその表情には、焦燥の色が濃く滲んでいる。
「親父……いや陛下! 大変だ!」
「言葉を慎め。だが……その様子、ただ事ではないな? また『天啓』か?」
さすが親父、話が早い。
俺は息を整える間も惜しんで、親父の机に身を乗り出した。
「そうです!
あの広場に出現した黒い穴……あれについて、神より知識を授かりました!」
「なんだと? あれの正体がわかるというのか?」
騎士団長が驚きの声を上げる。
俺は力強く頷いた。
ここが正念場だ。
俺の言葉一つで、この国の初動が決まる。
「あれは『ダンジョンゲート』と呼ばれるものです」
「ダンジョン……ゲート?」
「はい。あれは単なる穴ではありません。
内部に広大な異空間――『ダンジョン』を内包する入り口です。
あの中では、今の我々の常識では計り知れない強力なモンスターたちが徘徊しています」
宰相が青ざめた顔で口を挟む。
「モンスター……!
ならばすぐに軍を派遣して入り口を封鎖し、出てくる魔物を討伐せねば……」
「いえ、それだけでは足りません!」
俺は宰相の言葉を遮った。
「ダンジョンは、ただの災害ではありません。
あの中のモンスターを倒すと、死体は残らず、代わりに『魔石』や『マジックアイテム』を落とします」
「魔石? マジックアイテムだと?」
「そうです。
それらは既存の魔道具を遥かに凌駕する性能を持ち、魔石は新たなエネルギー資源となります。
つまり……あのダンジョンを制する者が、これからの世界を制すると言っても過言ではないのです!」
早口でまくし立てる。
親父たちは目を丸くして俺を見つめている。
半分も理解できていないかもしれない。
だが重要なキーワードは伝わったはずだ。
「脅威」であると同時に、「莫大な利益」であるということ。
「……ふむ」
親父が重々しく頷いた。
「レオンハルトよ。
お前のこれまでの実績、そしてその必死な形相……嘘を言っているとは思えん。
半分ほどは理解した。『天啓』だということは察したぞ」
信じてくれた。
これまでの「石鹸」や「馬車のサスペンション改良」の実績が、ここで活きた。
親父は鋭い眼光を俺に向け、王としての顔で問う。
「では我らは今後どうすべきだ?
神はどう告げている?」
ここからが本番だ。
俺は脳内で『ダンフロ』の初期攻略チャートを高速で検索する。
まず必要なのは戦力。
だが、ただの兵士ではダメだ。
ダンジョン内では「ステータス」と「スキル」という概念が支配する。
現実の剣術が上手いだけの騎士よりも、強力な「ユニークスキル」を持った農民の方が強いことなんて、ざらにある。
「まず人材の確保が最優先です。
それも、ただ腕が立つ者ではありません」
「どういうことだ?」
「今この瞬間から、世界中の全種族に『ユニークスキル』が付与されているはずです」
そう、これが『ダンフロ』開始の合図。
ゲート出現と同時に行われる、全世界規模のシステム・アップデート。
「ユニークスキル……?」
「個人が生まれつき持っている特別な能力です。
ですが、自分自身ではその能力の詳細がわかりません。
それを正確に見極めるために……グレードが低くても構いません。
『鑑定』のスキルを持つ者を、見つけ出さなければなりません!」
『鑑定』。
これがないと始まらない。
ドロップアイテムの効果はおろか、毒か薬かの判別もつかない。
そして何より、兵士たちがどんな才能を秘めているかを確認できないのだ。
「鑑定持ちか。魔導具の鑑定士なら城下にもおるが……」
「いいえ。道具ではなく、人のステータスやスキルを見ることができる『鑑定』スキルです。
数は多くありませんが、王都の人口を考えれば、必ず発現している者がいるはずです」
言いながら、俺は焦りを感じていた。
言葉で説明するのはもどかしい。
そうだ、論より証拠だ。
俺自身にもシステムは適用されているはずだ。
「……そうだ。親父、俺たちにも『ステータス』を見る機能が備わっているはずです」
「ステータス?」
「はい。念じてください。『ステータス・オープン』と」
俺は自ら手本を示すように虚空に向かって右手をかざし、強く念じた。
あの懐かしいVR視界に、ウィンドウが開くイメージを明確に描いて。
「ステータス・オープン!!」
フォンッという電子音のような幻聴とともに、目の前の空間に半透明の青い板が出現した。
「おおっ!? なんだこれは!?」
「光の板が……!」
親父や宰相にも見えているようだ。
ステータスが可視化される仕様もそのままだ。
俺は自分のステータスウィンドウに、視線を走らせる。
【名前】レオンハルト・グラン・マレウス
【種族】人族
【レベル】1
【筋力】5
【俊敏】5
【知性】5
【幸運】?
……弱い。
見事なまでの初期ステータスだ。
オール5。村人Aと同じ数値である。
だが、注目すべきはそこではない。
【幸運】の項目が『?』になっていること。
そして、その下にあるタブだ。
【ユニークスキル】???(未鑑定)
【タブ】[掲示板][X][YouTube]
「ゲームと同じだな」
俺は小さく呟いた。
やはりそうだ。
『ダンジョン・フロンティア』のUIが、そのまま実装されている。
タブには明確に[掲示板]と[X]と[YouTube]の文字。
これはこの世界の住人同士が情報を共有するためのローカルネットワークだ。
今はまだ確認している時間はないが、これは強力な情報収集ツールになる。
混乱した民衆の声、遠方の国の状況、そして何より「隠しダンジョン」や「レアボス」の目撃情報がリアルタイムで流れてくるはずだ。
「ご覧ください、親父。これが『ステータス』です。
今の俺の能力が数値化されています」
「なんと……。筋力5……これは強いのか?」
「初期値としては標準です。つまり、誰もがこの状態からスタートするのです。
だからこそ気にすべきは数値ではなく、その下にある『ユニークスキル』です」
俺は自分の【ユニークスキル】の欄を指差した。
「今は『未鑑定』となっています。
これを明らかにしない限り、宝の持ち腐れになってしまう。
だからこそ『鑑定』スキル持ちの確保が急務なのです!」
親父の表情が引き締まる。
目の前の不思議な現象(ステータス画面)を見せられれば、もう疑う余地はない。
「分かった。直ちにお触れを出そう。
城下の民、兵士、貴族問わず、『文字が浮かんで見えるようになった者』、
『人の強さが数字で見えるようになった者』を王城へ集めるのだ」
「はい! それと、親父、もう一つ!」
「なんだ、申してみよ」
「治安維持のため、何があってもダンジョンゲートには一般市民を入らせないでください!
兵士による厳重な封鎖を!
初期のダンジョンは、情報なしに入れば死にます!」
『ダンフロ』の初期ダンジョンは、チュートリアルに見せかけた殺し間だ。
スライムだと思って近づいたら溶解液で溶かされる、なんて事故が多発する。
「うむ、承知した。
騎士団長、直ちに広場を封鎖せよ。蟻一匹通すな」
「はっ! 直ちに!」
騎士団長が慌ただしく退室していく。
親父は地図に視線を戻し、低い声で呟いた。
「……他国は、どう動くと思う?」
鋭い質問だ。
このゲートは、世界中に同時に出現しているはずだ。
「おそらく最初は混乱し、静観するでしょう。
ですが、いずれ『資源』の価値に気づきます。
魔石やマジックアイテムが軍事利用できると分かれば、血眼になって攻略を始めるはずです」
そう、これは国家間の競争でもある。
ダンジョンから産出される強力な武器や防具。
レベルアップによる超人的な兵士の育成。
攻略に遅れた国は、軍事力に圧倒的な差をつけられ、蹂躙される未来しかない。
「急がねばなりません、親父。
まずは我々が先んじて『鑑定』を行い、有用なスキルを持つ者を選別し、攻略部隊を編成する。
一日……いや、一時間の遅れが、十年後の国の命運を分けます!」
本当は「十年後の世界滅亡」と言いたいところだが、さすがにそこまで言うとパニックになるかもしれない。
今は「他国との軍事格差」という現実的な脅威を煽る方が効果的だ。
「……あい、分かった」
親父は力強く頷き、俺の肩に手を置いた。
「レオンハルトよ。
お前の『天啓』、今回も信じよう。
お前には攻略の指揮……いや、まずはその知識を用いて我々を導く役目を頼みたい。
できるか?」
「もちろんです。
そのために俺は、ここにいるのですから」
俺は不敵に微笑んだ。
内心では心臓バクバクだが、ハッタリも実力のうちだ。
(見てろよ、運営。
お前が作ったこの理不尽な世界……俺の『ゲーム知識』と『王家の権力』で、最短最速でクリアしてやる!)
こうして俺の平穏なスローライフは、終わりを告げた。
代わりに始まったのは、世界を救うための――いや、俺の快適な老後を守るためのガチ攻略の日々だった。
「まずは『掲示板』の状況確認と……『X』のタイムラインがどうなってるか、部屋に戻って検証だな」
俺は親父の執務室を後にしながら、誰にも聞こえない声で呟いた。
その目には、かつてVRヘッドセットの中で燃やしていたゲーマーの暗い情熱が宿っていた。
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