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女子寮前・50メートルの攻防  作者: 青葉盛生
4/10

掲示板の墨色、夜の筆跡

 昼休みの準備室。ペンキと印刷インクの匂いが、空気の中で溶け合っている。文化祭まであと三日。僕たちテニスサークルは「スピン・クレープ」と名付けた出店の準備に追われていた。


 チョコバナナ、ツナサンド、フルーツの三種類。アパート暮らしの部員宅で前夜に皮を仕込むことになっていて、今日は看板の仕上げと、掲示板用のタイトル貼りが進められていた。


 サークル内では文化祭特別班という形で、看板制作を担当する数人が集められていた。悠人もその班にいた。遥も同じサークルにいるが、展示班の責任者を兼任していて、普段の交流は目立たないように控えていた。


 ……付き合っていると勘違いされるのが、少しだけ面倒だったから。


「ここの文字、ちょっと細すぎるんじゃない?」


「昼光だと飛ぶかもな。夜の展示なら平気だけど」


 誰かが看板の筆文字を見ながら呟く。描いたのは遥だった。見事なバランスと筆圧だけど、墨色が意外と沈んで見える。


 悠人は、何かを言いかけて、やめた。


 この班に彼女の名前を出すと、必要以上の沈黙が生まれる。会話に混ざれば混ざるほど、距離を取っている意味が揺らぐから。


 ガラッ、とドアが開いた。


 遥が資料を持って入ってくる。全体の掲示計画を確認するためだ。


「遥、ここの文字さ……細いって言われてるみたい」


 女子のひとりが声をかけると、彼女は少しだけ肩をすくめた。


「いいよ、それで。夜なら目立つと思うし。貼ってみてから考えよう」


 軽い調子だったけれど、言葉の端に小さな緊張が混ざっていた。遥は悠人と目を合わせることなく、「あとはお願い」と短く言って出ていった。


 紙の端が静かにめくれる音だけが、後に残った。


---


 夕方、校舎の一角だけ灯りが残っていた。

 悠人は掲示板前で筆文字の張り直しをしていた。光の加減を見ながら、墨色が壁紙に沈みすぎないように調整している。


 そこへ、遥が現れた。


「……貼り方、変えてみたんだね」


「うん。昼だと飛んじゃうから、角度だけ少し」


 遥は、黙ってそれを見つめていた。教室の中は静かで、遠くで別の展示班が台車を動かす音だけが聞こえる。


「クレープの皮、今日だっけ?」


「うん。夜にアパートで。一年生と手分けして焼く予定」


「そっか……。行かないほうがいいか」


 遥は少しだけ笑って言った。


 その言い方は、どこか自分への諦めに似ていた。サークルの空気、誰かの視線、それらの“誤解”を避けるために、彼女もまた距離を取っていた。


「バナナ、青いやつにした?」


「ほどほどに熟してる。恋愛みたいなクレープになる予定」


 その冗談に、遥は声を出さずに笑った。


「……文化祭のとき、遠くから見に行くよ」


 彼女はそう言って、階段の方へと歩き出した。

 悠人は貼り終えたタイトルを見つめ直す。墨色の「奏―ソウ―」が、夜の光に溶け込んでいる。昼とは違う深さがそこにあった。


 声には出せなかった言葉の数々が、この色に染み込んでいるように思えた。


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