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記憶の底  作者: 56号
8/26

第八話 語り継ぐ記憶

リチャード・ワン、アメリカ合衆国大統領による原爆慰霊碑への献花から、まもなく十年が経つ。


あの日の彼の姿は、いまも多くの人の記憶に残っている。

カメラのフラッシュの中、まっすぐに歩き、黙って手を合わせ、深く頭を下げた背中――。


「ワン大統領の歴史的偉業!」

「人種も国境も越えた和解の象徴!」


そう謳われて始まった数々の記念事業や市民活動は、形を変えながらも十年続いていた。

今や、広島のこの時期の恒例行事となったそれらのイベントの一つに、神谷諒一と園部美也子の二人も参加していた。


**


「ノーモア原爆――祈りと和解の大行進」


平和公園前の特設ステージ。

テントの下、ゆっくりとした語り口で登壇したのは、広島県被害者協議会の結城会長だった。

年齢を重ねた穏やかな顔立ちに、しかしどこかに芯の強さが感じられる人物だ。


「……私たちは、被害者として、あの日の記憶を忘れてはなりません。

 そして、それを“語り継ぐ”ことこそが、いまこの場に生きる私たちの使命なのです」


強く張った声が、会場のスピーカーを通して、遠くまで響いていく。


「痛みの記憶を、誰かに押しつけるのではなく、

 “過ちを二度と繰り返さないための灯”として。

 私たちは、次の世代に伝えていかなければなりません」


拍手が自然と湧き上がる。

神谷は、その拍手の中に静かに身を置きながら、会長の言葉を反芻していた。


――記憶は、語らなければ、いつか消えてしまう。


祖母・早苗の言葉が脳裏によぎる。

塩サバの匂い。崩れた町。焼けた空。

あの日の出来事は、語る者がいなければ、ただの“数字”になってしまうのだ。


「課長、あそこに……」


美也子が、指をさした。

ステージの脇に置かれた献花台には、ワン大統領が訪れたときの写真と、十年前の献花の様子が記録されたパネルが並べられていた。


「これが、原点なんですね」


「……そうだな」


諒一は、ゆっくりと歩みを進めた。


写真の中のワン大統領は、何も語ってはいなかった。

だが、その無言の姿こそが、言葉以上のものを物語っていた。


**


静かな風が、広島の空を吹き抜けた。

十年という歳月の重みが、胸の奥で静かに沈んでいった。


それでも――誰かが語り継げば、記憶は途切れない。


神谷は、そう思った。



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