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記憶の底  作者: 56号
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第五話 静けさの中で

新幹線「のぞみ」は、定刻通り東京駅を静かに離れた。

軽やかな振動とともに、車体は次第に加速してゆく。

午後の光が斜めに差し込む窓の外を、美也子は一瞥してから、不思議そうに口を開いた。


「課長のお父さんって、たしか富士市のゼネコンの会長さんなんですよね?」


「……ああ、そうだな」


「じゃあ、“帰郷”ってのは?」


神谷は一瞬、返事を躊躇った。

視線を窓の外に向け、流れる景色を見つめながら、静かに言葉を紡ぐ。


「帰郷と言ってはいるが、正確には……父方の実家だ」


言葉とともに、缶ビールに手を伸ばす。

プシュッという音が、車内の静けさに微かに響いた。


「祖父と祖母が静岡に移り住んでな。最初は小さな大工仕事から始めて、二人三脚で、会社を大きくしていった」


そう言って、ひと口含む。

缶の冷たさが、わずかに緊張を和らげた。


「でも祖父が亡くなって……しばらくしてからだ。祖母が広島に戻りたいって言って、特養に入った」


「広島に?」


「故郷に、骨を埋めたいってさ。あの人の口癖だった」


言い終えて、神谷は缶を軽く揺らした。

中で氷のように冷えた炭酸が、音を立てる。


美也子はそれ以上、何も聞かなかった。

無言のうちに頷いて、それが一つの家族の歴史なのだと受け止めた。


窓の外には、午後の陽を受けた平野と、時折立ち上がる工場の白い煙。

どこか遠い記憶をたどるように、神谷はそれをじっと見つめていた。


広島。

祖母。

そして、あの戦争の記憶が宿る土地へ――


**


新幹線は、まっすぐ西へと向かっていた。



「課長のお婆様って、どんな方なんですか?」


新幹線が静岡を過ぎた頃、美也子がビール片手に尋ねた。

「私、はじめてお目にかかるのに、それらしい洋服持ってきてないんですよ。

失礼にならないといいんですが」


神谷は思わず苦笑した。

「“お目にかかる”って……おまえ、それ、まるで婚約の挨拶じゃないか」


「え? あら、私そのつもりでしたよ?」


あっさりと、しかし満面の笑顔で返してくる美也子に、神谷は目を丸くした。


「課長だって、のんびりしてると、あっという間に“シジュー”のオジサンですよ」

「ほっとけ」


「私が全部お世話するので、手を打ちましょうよ」

ビール缶を軽く掲げ、冗談とも本気ともつかない声で言った。


その無邪気さが、逆に照れくさく、神谷は視線を窓の外に向けた。

陽光の向こうに、ぼんやりと富士山の影が浮かんでいた。


「祖母はな……うるさい人だったよ。気が強くて、よく笑って、でも厳しくて」


「へえ、課長のルーツって感じですね」


「……そうかもな」


ぼそりと返す神谷の表情は、どこか懐かしげだった。

もう何年も会っていない祖母。

それでも、彼の記憶のなかで、彼女の笑い声ははっきりと残っていた。


「……会えるうちに会っとかないとな。そういう歳になったってことかもしれん」


「……それ、フラグですから。泣けるやつ」


美也子が小さく笑って、缶をコツンと神谷の缶に当てた。

軽やかな音が、車内に響いた。

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