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記憶の底  作者: 56号
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第四話 八月の約束

翌朝、神谷諒一の姿は、霞が関の警察庁本庁舎、その六階にある自身の執務室前にあった。

朝の日差しが廊下の磨かれた床に反射して、やけに眩しい。

Yシャツの首元を緩めながら、彼は扉の前で一度立ち止まり、耳をすませた。


「だからぁ、美也子さん、それじゃキャリーじゃなくてほとんどトランクでしょ」

「広島っていっても国内よ? 海外出張じゃないんだから」

「だって現地暑いんだもん! 気候に応じて服もいろいろ要るでしょ」


中から、園部美也子の楽しげな声が聞こえてきた。

諒一は眉をひとつ上げて、思わず小さく笑った。


「遊びに行くんじゃないぞ」


ドアを開けながら、そう口に出してみたが、自分自身の心のどこかにも、

“久々の広島帰郷”という言葉が浮かんでいたのは否めなかった。


――そうだ、帰るのは何年ぶりになるだろうか。


父の三回忌以来だから、かれこれ……七年近くになる。

墓参りすらまともにしていないことを思い出し、

少しだけ気が咎めた。


「神谷課長、おはようございます! 今日の広島、天気バッチリですよ」


にこやかに手を振る園部美也子が、すでに小型スーツケースを足元に置いて待機しているのを見て、

諒一は思わず苦笑した。


「……仕事だぞ」


「はーい。“一応”分かってまーす!」


元気よく答える園部に、諒一は小さく息を吐いた。


**


今回の出張の目的は、表向きには「国際テロ対策における原爆ドーム周辺の警備態勢の視察」とされていた。

だが、諒一の中では、それとは別の“私的な動機”が少しずつ膨らんでいた。


祖母――早苗のことだった。


ここ数年、どこか影が濃くなった彼女の表情が、ずっと気にかかっていた。

昨日の夜、仏壇に手を合わせる彼女の姿を思い出す。


あれは、まるで別れの儀式のようだった。


「……会いに行くべきだと思っただけだよ」


心のなかでそう呟きながら、神谷は静かに執務室の鍵を閉めた。



 *


― 八重洲の昼 ―

新幹線は、昼過ぎ発ののぞみ号を予約していた。

まだ少し時間に余裕がある。

神谷と園部は、東京駅の八重洲口にほど近い地下のレストラン街へと足を向けた。


「せっかくですし、ちょっと腹ごしらえしていきましょうよ」


そう言い出したのは園部だった。

神谷も特に異論はなく、むしろ朝からコーヒーしか口にしていなかったことを思い出し、静かに頷いた。


「あそこ、どうかな」


神谷が目を向けたのは、彼が昔から時折訪れていた広島風お好み焼きの店だった。

鉄板の音、ソースの匂い――

一瞬、懐かしさに胸がざわついた。


「広島行くのに、今広島焼きって、どんな腹の構えなんですか、課長」


園部があきれたように眉を上げ、肩をすくめた。


「……たしかに」


神谷も苦笑する。

そして気づけば、そのすぐ隣の、仙台牛タンの暖簾をくぐっていた。


「ほら、牛タンは東京で食べる方が旨いって言いますし」


「誰が言ってんだ、それ」


「私が言ってます。いま言いました」


どこか得意げな園部に、神谷はまた肩をすくめる。

そうして案内されたカウンター席に腰を下ろすと、ほっとしたように息を吐いた。


ああ、そういえば、こういう時間も悪くない。

そう思いながら、彼は心のなかで小さく呟いた。


**


牛タン定食がほどなく運ばれてきて、香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。

七味唐辛子をさっとかけて、ひと口――


「……うん、これはこれでありだな」


「だから言ったじゃないですか」


園部が勝ち誇ったように笑う。

その笑顔に、神谷も口元をほころばせた。


出張。いや、帰郷。

今日という一日が、何かを変えるような気がしていた。



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