台湾生え抜きの菊池須磨子と日式クリームソーダ
挿絵の画像を作成する際には、「AIイラストくん」と「Gemini AI」を使用させて頂きました。
日本人の父と漢族系本省人の母を持つ私こと菊池須磨子は、父の母国語である日本語を外国語として勉強しているの。
中華民国の中学校の大半がそうであるように、私の通う台南市立福松国民中学でも日本語や日本文化の授業を選択科目として受講出来るんだ。
普段の私だったら日本語や日本文化の授業を楽しく受けているんだけど、この日に関しては例外だったの。
何しろ今日は、学校単位で受験した日本語能力試験の合否が分かる日だからね。
鬼が出るか、蛇が出るか。
先生から受け取った合否通知の入った封筒を開けるまで、まるで生きた心地がしなかったよ。
とはいえ封筒の中身を広げた次の瞬間、そんな私の不安と緊張は安堵と喜びへと一変しちゃったんだけどね。
「よ…良かったぁ…」
受験級の合格を告げる一文を目にするや否や、私はホッと胸を撫で下ろしたの。
コツコツと積み重ねてきた努力が、キチンと成就した。
その証が、ここに確かにある訳だからね。
「おめでとう、菊池さん。その様子だと菊池さんも無事に合格出来たみたいだね。私は聴解問題がイマイチだったけど、他の設問で稼げたから何とか滑り込めたよ。やっぱり弱点克服は楽じゃないなぁ。」
そうして長い黒髪を揺らしながらやってきた曹林杏さんも、安堵に満ちた微笑を浮かべているね。
林杏さんも受かったみたいで何よりだよ。
クラスメイトの誼って訳じゃないけど、私だけ合格だったら流石に気まずいもん。
「ああ、林杏さんもなの?奇遇だね。私も言い換え類義と語形成の派生語の問題で思った程点が取れなかったの。珠竜ちゃんの家でやった勉強会で、この辺の苦手分野は重点的におさらいしたはずなのに…」
そう言いながら私は、合格通知と一緒に入っていた成績表にまた目を落としちゃったの。
そんな具合に反省会モードに突入しつつあった私達二人の空気感を変えてくれたのは、割って入ってくれた二人目のクラスメイトの存在だったんだ。
「まあまあ、良いじゃない。菊池さんも林杏さんも、こうして試験を無事にパス出来たんだからさ。苦手分野は今後の課題として、次の受験までに頑張っていけば良いじゃない。それより今は、この合格という事実を素直に喜ばなくちゃ。」
「あっ、珠竜ちゃん…」
白いヘアバンドで束ねたボブカットの茶髪に負けず劣らずの明るく快活な声は、私達二人の閉塞感をぶち破るのに充分だったの。
この王珠竜ちゃんは私や林杏さんのクラスメイトなんだけど、日本語や日本文化への理解や知識は私達二人なんて比較にならない程にハイレベルなんだ。
今回の日本能力試験に向けた勉強会の時なんかは、自分の勉強の合間に私や林杏さんの苦手分野のアドバイスまでしていた位だからね。
「増長するのは良くないけど、無闇に卑下し過ぎるのもいけないと思うの。それは行き過ぎたら、せっかくの努力や頑張りを自分自身で否定する事になっちゃうからね。二人が頑張っていた事は、勉強会で一緒だった私が保証するよ。」
こう言われちゃうと、私も林杏さんも何も言い返せないよ。
日本語能力試験の合格を、私としても本当はもっと素直に喜びたかった。
それが出来なかったのは、何処かに照れや遠慮があったからなのかも知れないね。
「それもそうだね、珠竜ちゃん。聴解問題は確かに苦戦したけど、それでも最初の頃に受けた模試よりはマシな点が取れるようになったからね。」
「私も林杏さんと同じ!言い換え類義の四択問題、少しだけど正答率が上がったんだ。」
だから珠竜ちゃんに応じた時には、私も林杏さんも照れ隠しに思わず頭をかいちゃっていたんだ。
「そうそう。その意気だよ、二人とも!今後の課題も大事だけど、出来るようになった成果にも目を向けなきゃね。」
だけど今の照れ隠しを珠竜ちゃんが特に気にしていなかったのは、私としては助かったよ。
照れ隠しに注目されたら、ますます照れ臭くなるからね。
そうして気を良くした珠竜ちゃんは、自信満々に一つの提案を持ち掛けてきたんだ。
「それじゃ今日の放課後は私達三人が揃って日本語能力試験にパスした事を記念して、細やかな祝杯を挙げようじゃないの!」
この提案には、私も林杏さんも異論はなかったの。
合格の喜びと解放感は、みんなで分かち合いたいからね。
私達の中学校からも程近い中西区は、台南市の中でも特に賑やかな繁華街なの。
國華街三段や花園夜市では美味しい物が色々と売っているから、放課後の買い食いには事欠かないんだ。
この屋台から漂う八角の芳香を嗅いだら、否応なしに食欲が湧いてきちゃうよ。
「せっかく日本語能力試験に合格したんだから、何か日本らしいメニューにしたいよね。」
観光客や地元民で賑わう屋台や飲食店を物色しながらポロッと漏らした林杏さんの提案には、私としても至極同感だったの。
これでTOEICやTOEFLで好成績を取っていたなら、シカゴ風ピザやクラブハウスサンドみたいなアメリカ料理を食べたくなったんだろうね。
「それは良いね、林杏さん。だけどあんまり高いのは勘弁してよ。私、お小遣い前でちょっとピンチだから。」
そうして嫌でも脳裏に過るのは、お財布の中に残っている台湾元の金額なんだよね。
ヘアアクセサリーやら雑貨やらを買ったり映画を見に行ったりと、今月は何かとお金を使っちゃったからなぁ…
「そういう事なら、喫茶店でクリームソーダかコーラフロートでも飲みながらセットの軽食でもつまむなんてどうかな?私、この近所に良い店知ってるんだ。」
「えっ…クリームソーダ?」
何とも意外な珠竜ちゃんの提案に、私は思わず聞き返してしまったの。
確かに喫茶店のセットメニューなら、そんなにお金はかからないだろうね。
だけど林杏さんが言っていた「日本らしい料理」とは、ちょっと結びつかないんだよなあ。
「成る程、日式のクリームソーダね…それも良いんじゃない、珠竜ちゃん!」
だけど当の林杏さんは珠竜ちゃんの提案に満更でもないみたいだし、どうなっちゃってるんだろう?
それに日式のクリームソーダってどういう事?
そうして腑に落ちない思いを抱きながら到着したのは、何処か懐かしさを感じるクラシックな喫茶店だったの。
壁には私達が生まれる前に公開された映画のポスターや昔のアイドルやグループサウンズのレコードが飾ってあるし、座席の何割かはアーケードゲーム機のテーブル筐体が使われているし。
何より驚いたのは、これらの内装を飾るクラシックな品々は全て日本製だという事なんだよね。
「凄いなぁ…このテーブル筐体に入っているゲームって、『アストロエイリアン』に『バンリキーコング』じゃない。」
「今でもちゃんと動くのが凄いよね、林杏さん。しかも、これってオリジナルの日本語版じゃない!『バンリキーコング』は高雄を旅行した時に鄙びたゲームセンターで遊んだ事があるけど、そっちは輸入版の繁体字仕様だったっけ…」
クラスメイトに相槌を打ちながら、私はレトロ物件が随所に飾られた店内に視線を泳がせていたの。
この台湾島の中華民国は確かに親日意識の強い国だけど、まさか台南市のど真ん中にこんな店があるなんてね。
「ここはマスターも奥さんも日本の人だからね。学生時代にバックパッカーとして訪れた台湾の事が忘れられなくて、脱サラして開店したそうなんだ。」
確かにこういうお店なら、珠竜ちゃんが気に入るのも無理はないだろうな。
「この喫茶店が日本語能力試験の合格祝賀会にピッタリな所だって事はよく分かったよ、珠竜ちゃん。だけど、どうして日本らしいメニューでクリームソーダが出てくるの?」
「そう焦らないで、菊池さん。それについては追々分かるから。オーダーしたメニューが来るまで、本棚の漫画を読むなりゲーム機で遊ぶなり好きな事をして時間を潰したら良いよ。」
これ以上聞いてもはぐらかされるのがオチだろうし、ここは大人しく待っていた方が良さそうだね。
本棚にあった「お願い!バケねこん」の日本語オリジナル版でもパラパラと眺めていれば、待ち時間も苦にはならないよ。
しかし「お願い!バケねこん」の花火大会のエピソードって、日本版だと夏祭りの出来事だったんだね。
私が小学生の時に見たアニメ版では双十節の記念行事になっていたけど、あれは台湾で吹き替えた時の改変だったんだ。
もしかしたら、他にも原語版と翻訳版とで違いがあるのかも。
そんな事を考えているうちに、私達三人の注文した品々が無事に提供されたんだ。
だけど…
「あれ?これって…クリームソーダ、だよね?」
テーブルに置かれたグラスの中身に、私は思わず戸惑ってしまったんだ。
何しろ私の知っているクリームソーダは、クリームを溶かし込んだピンク色の炭酸飲料だもの。
香料として添加されているバニラの風味が、しっかりと自己主張しているんだ。
だけどテーブルの上で鎮座しているグラスを満たしているのは緑色の着色料も鮮やかなメロンソーダだし、オマケにバニラアイスとチェリーまで乗せられていたの。
「驚いているみたいだね、菊池さん。これこそが日式クリームソーダだよ。」
得意気な笑顔を浮かべる珠竜ちゃんの話によると、日本ではアイスクリームを浮かべたメロンソーダの事を「クリームソーダ」って呼ぶんだって。
「勿論、菊池さんがイメージしていたバニラ風味のクリームソーダも間違いじゃないよ。この台湾だと…ううん!北米やヨーロッパ、それに香港でも、むしろバニラ風味のクリームソーダの方が主流なんだ。」
「成る程ね、珠竜ちゃん。だから日式クリームソーダって言ってたんだ。確かにアイスクリームが乗った飲み物は、普通は『フロート』って言うもんね。」
アイスクリームを浮かべたメロンソーダとしての「クリームソーダ」は日本にしか存在せず、他の国では「メロンソーダフロート」と呼ばれてしまう。
島国という地理的な特性もあってか、日本は食文化一つ取っても独特で奥深いよね。
「私も日式のクリームソーダの事を初めて知った時には、今の菊地さんと同じ位に驚いたよ。こういう台湾との違いをキッカケに興味や関心を持っていく事が、日本語や日本文化の理解に繋がってくるのかも知れないね。」
したり顔をしている林杏さんだけど、貴女が飲んでいるのはコーラフロートじゃない!
しかもドロドロに溶けるのを嫌ってか、先にアイスクリームを完食しちゃってるし…
とはいえ珠竜ちゃんや林杏さんの発言は、私としても大いに共感出来るんだよなぁ。
台湾と日本との間にある色々な違いに関心を持ち、それぞれの国の個性として理解した上で享受する。
それは私にとって、自分のルーツとなる二つの国を同じように愛する事にも繋がると思うんだ。
私と御母さんの生まれ育った台湾に、お父さんの生まれ故郷である日本。
どちらも大切な私のルーツだもの。
道のりは長いけれども、出来る事からやっていきたいよね。
とりあえず今は、「お願い!バケねこん」の原語版を読み進める事から始めようかな。
これも間違いなく、異文化理解の一環ではある訳だし。