樹里ちゃん、左京を救う?
御徒町樹里は、居酒屋と喫茶店と新聞販売所で働くメイドです。
しかも、今は探偵の杉下左京の妻でもあります。
発表はしていないのですが、ネットでは炎上騒ぎが頻発しています。
「杉下コロス」
「杉下氏ね」
物騒な書き込みが並びました。
「みんなの樹里ちゃんを汚しやがって!」
「いいなあ、俺も参加したい」
危険度が上がって来ています。
でも、樹里も左京もインターネットをしないので、その情報を知りませんでした。
そんなある日の事です。
杉下探偵事務所に宅配便が届きました。
普段なら絶対にその時間にはいないはずのグウタラ所員の宮部ありさが、どこかもわからない怪しい制服の宅配業者風の男に三十センチ四方くらいの段ボール箱を受け取りました。
「あれ、ハンコは?」
さっさと行ってしまった業者風の男に呆気に取られながらも、
「左京宛?」
とありさは箱を左京の机の上に運びます。差出人は「SM企画」となっています。
「やだ、左京ったら、樹里ちゃんと何してるのよ、毎晩」
ありさの妄想が始まります。
ありさは気づいていません。箱の中から聞こえて来る時計の音に。
しばらくして、左京がやって来ました。
「珍しいな、ありさ。早いじゃないか」
左京もありさがいる事に驚きました。
「朝まで飲んでたもんで。テヘ」
ありさは舌をペロッと出して可愛く小首を傾げてみせますが、
「ふーん」
左京のあまりの素っ気なさに項垂れます。
「あれ、何だこれ?」
左京が机の上の段ボール箱に気づきます。
「さっき、届いたのよ。左京が頼んだんじゃないの?」
ありさが尋ねます。すると左京は箱を眺めたままで、
「事務所には手癖の悪い奴がいるから、ここに届けてもらう事はしないよ」
「ふーん」
ありさは自分の事を言われたとは思っていないようです。
左京は、長年の刑事の勘で危険を感じていました。
(届くはずのない荷物? やばいんじゃないのか、これ?)
しかも微かに聞こえる時計の音。
(ば、爆弾?)
左京はすぐさま携帯を取り出し、元同僚の神戸蘭にかけました。
そして。
その段ボール箱を届けたのは、樹里が勤める居酒屋の常連客で、樹里が左京と結婚した事を快く思っていません。
髪は伸び放題の長髪、口の周りは泥棒髭、服は上下グレーのスウェットで、左京の事務所に着て行った宅配業者の制服は、ネットで購入したものです。
「杉下左京め。僕の樹里ちゃんを奪いやがって!」
薄暗くて汚いアパートの部屋で、その男は不気味に笑いました。
更に。
左京からの連絡を受けて、蘭が血相を変えて現れました。彼女は爆弾処理班を引き連れています。
「あれだ」
左京は机の上に置かれた段ボール箱を指差しました。
蘭は、中身が爆弾かも知れないと知って、泡を噴いて痙攣しているありさを蔑むような目で見てから、処理班に指示します。
処理班三人は素早く防弾シートを床に敷き、その上にそっと段ボール箱を置きます。
カッターナイフを慎重に使い、箱の上部を切ります。
「え?」
蓋にトラップが仕掛けてあったらしく、警報が鳴り出します。
「下がって!」
蘭がありさを引き摺りながら、左京を押し出します。
処理班は防護ヘルメットのバイザーを下げ、中身を爆発物処理用の金属製の容器に入れ、蓋を閉じました。
それで大丈夫かどうかはわかりませんが、何もしないよりはマシです。
しかし、五分ほど待っても、何も起こりません。
処理班は互いに顔を見合わせ、意を決して容器を開きました。
すると中から、声が聞こえて来ます。
「サキョウシネ、サキョウシネ、サキョウシネ……」
中に入っていたのは、録音機能付きの目覚まし時計で、左京への暴言が吹き込まれていました。
処理班の三人は、腰が抜けてしまいました。
「とにかく、爆弾じゃなくて良かったわ」
処理班を帰してから、蘭が言いました。
「すまん。俺がもっとよく確認すれば良かった」
謝罪する左京に蘭は、
「いいのよ。それより、貴方が無事で良かった」
「蘭……」
見つめ合う二人です。ありさがムッとします。
「樹里ちゃんに言いつけるぞ、左京」
左京はギクッとしますが、蘭はフッと笑い、
「左京なんて、もう眼中にないわよ。イケメン新人が来たから」
「え?」
ありさが目を輝かせます。
「わ、私にも紹介して、蘭」
「あんたは関係ないでしょ。いずれ会えるわよ」
蘭はそう言って事務所を去りました。
そしてその日の夜。
左京に目覚まし時計を送りつけた男は、樹里のいる居酒屋に行きました。
「樹里ちゃん、結婚したんだって?」
他のお客達が樹里に話しかけています。
(今頃そんな事言ってるのかよ。そのうち、樹里ちゃんは未亡人さ)
男はニヤリとします。
「ありがとうございます」
「どうなの、新婚生活は? 旦那は優しい?」
エロい事を聞き出そうという魂胆がミエミエの顔で質問するエロ客です。
「はい。結婚して良かったと思っています」
樹里は笑顔全開で言いました。
「うはあ、ご馳走サマンサターバサ」
オヤジギャグを放つエロ客です。
樹里の笑顔を見て、犯人の男はドキッとしました。
(杉下左京を殺せば、樹里ちゃんはまた僕の樹里ちゃんになる。でも、樹里ちゃんは永遠に笑顔を見せてくれないかも知れない)
樹里が左京を愛している事を悟った男は、その足で付近の交番に出頭しました。
こうして樹里は、またしても、知らないうちに事件を解決し、左京を救ったのでした。
めでたし、めでたし。