樹里ちゃん、一足早くサンタになる?
御徒町樹里は居酒屋をメインにあちこちで働くメイドです。
恐らく日本で一番有名なメイドです。
でも本人には全くその自覚はありません。
樹里はいつものように居酒屋に出勤します。
すると店長が揉み手をしながら出迎えてくれました。
「樹里さん、今日はお願いがあってさ」
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開警戒心ゼロで応じます。
「そろそろそんな時期かなあ、何て思ってさ」
店長は何故か言いにくそうです。
「何が損なのですか?」
樹里は聞き間違えたようです。
店長はギクッとします。
「あ、いや、何だ、その。無理にとは言わないんだけどさ」
樹里は店長が病気になったと思ったようです。
「お大事にして下さい」
深々とお辞儀をし、厨房に行こうとします。
「あああ、待って待って、樹里さん。言います。正直に言いますから」
店長は大きな紙袋からサンタの衣装を取り出します。
「今日から、これを着て働いて欲しいんだ」
「そうなんですか。可愛いですね」
樹里は笑顔で言います。店長は何か隠しているようです。
「そうなんだよ、可愛いでしょ? とにかく、着てみてくれないかな?」
「はい」
樹里が久しぶりにいきなり服を脱ぎ出すボケをかまします。
店長は仰天して、
「うわっ、更衣室で着替えて。ウチはそういうお店じゃないんだから」
どういうお店なのかは樹里にはわかりません。
「そうなんですか」
樹里は衣装を持って着替えに行きます。
「これでまた、売上げアップだ!」
店長の目が「¥マーク」になるという昭和の演出が入ります。
「どうでしょうか?」
樹里が店長の妄想を打ち破ります。
「ブッ!」
店長はどこかの猿と一緒で、鼻血を噴き出します。
サンタの衣装はサイズが小さかったらしく、樹里は肩も丸見え、胸の谷間も丸見え、スカートも丈が短過ぎて、太腿が剥き出しです。
「い、いかん、これではキャバクラだ」
店長は慌てました。
「すまない、樹里さん、明日はワンサイズ上の衣装を用意するから、今日はそれで我慢して」
「そうなんですか」
でも樹里は全然気にならないようです。
樹里はそのムチムチのサンタの衣装で仕事をこなしました。
何故か厨房にいる男性従業員達は全員が前屈みです。
店長はようやく鼻血が止まりましたが、樹里がテーブルを拭いているのを見てまた噴き出します。
こうして、樹里はまた知らないうちに居酒屋の売上げに貢献しました。
店長が衣装のサイズの変更をしない事を決断したのは言うまでもありません。
そして次の日の朝です。
働き者の樹里は新聞配達をするために販売所に行きました。
「御徒町さん、お願いがあるんだけど」
販売所の所長は居酒屋の情報を聞きつけ、早速便乗する事にしたのです。
「今日からは、メイド服ではなくてこの衣装を着て配ってくれないか」
とサンタの衣装を出しました。
「そうなんですか」
全然気にしない樹里はその衣装に着替えて新聞配達をしました。
居酒屋のものとは違って、サイズは合っていますが、自転車に乗るにはスカートが短過ぎました。
でも樹里は何も気にせずにいつものように配達をこなしました。
そのせいか、道路脇の側溝に落ちる人が続発したそうです。
樹里が夫である杉下左京のアパートに戻ると、左京がドアの前で待っていました。
「おはようございます、左京さん」
樹里は笑顔全開です。でも左京は渋い顔をしています。
「樹里、ちょっと話がある」
「そうなんですか。私も話があります」
左京はドキッとしました。
(な、何だ?)
もしかすると離婚話? ビビリな左京はすっかり狼狽えています。
二人は部屋に入り、向かい合って正座しました。
部屋は片付いて来たのですが、まだ狭いので正座しないと座れません。
「お話って何ですか?」
樹里が尋ねます。左京は、
「いや、俺は後でいい。樹里からしてくれ」
「そうなんですか」
樹里は笑顔で、
「赤ちゃんができたそうです」
「えっ?」
左京は自分の耳がおかしくなったと思いました。
「赤ちゃん?」
嫌な汗が全身から噴き出します。
(どういう事だ? 俺はまだ何もしていないんだぞ。まさか、亀島?)
良からぬ事を想像してしまう左京です。
「はい。大家さんのお家のワンちゃんに赤ちゃんができたそうです」
「……」
左京は自分の浅ましさに死にたくなりました。
(樹里を疑ってしまった……)
自己嫌悪に陥る左京に樹里が追い討ちをかけます。
「私達も早く欲しいですね、赤ちゃん」
「あ、ああ、そうだな」
普段の左京なら小躍りしそうな樹里の言葉ですが、今日の左京はそれどころではありません。
「頑張りましょう、左京さん」
樹里が左京の手を握って言います。左京は鼻血が出そうになりました。
でも何故か涙が出て来ます。女の子ではないのに。
「左京さん、どうしたのですか?」
左京の涙を不思議に思った樹里が尋ねます。
「いや、何でもない。ありがとう、樹里」
「そうなんですか?」
樹里はますます不思議に思いました。