樹里ちゃん、祖母の退院に付き添う
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
樹里が御徒町旅館の若女将を始めて、二週間が過ぎようとしていました。
芸能界一樹里と親交が深いと勘違いしているお笑い芸人の西園寺伝助は、テレビ局のスタッフを巻き込んで、二週間にわたって樹里に密着する企画を立て、御徒町旅館に泊まっていました。
(樹里さんと混浴した日、俺はどうして気絶してしまったんだ?)
それは伝助が逆上せて意識朦朧としていた時に見た幻覚なのは可哀想なので内緒にする地の文です。
(あの日以来、樹里さんは俺を見ると顔を赤らめている気がする)
伝助は鼻の下を伸ばして妄想しています。それは完全に気のせいだと思う地の文です。
「あれ?」
その日は、伝助がいくら旅館を歩き回っていても、樹里に会いませんでした。
「ねえ、お姉さん、若女将はどうしたの?」
伝助は廊下で行き合った仲居に尋ねました。
「若女将は出かけております」
仲居はにこやかに告げました。
「え? そうなの?」
伝助はがっかりして、部屋に戻りました。
(樹里さん、冷たいよお。俺に断わりもなく出かけるなんて)
伝助は思いました。伝助に断わりを入れる理由は微塵もないと思う地の文です。
思いあがりも甚だしいです。
樹里は祖母の美玖里が入院しているS市立病院に行きました。美玖里が退院するのです。
「悪かったね、樹里。バカ娘が気が利かなくて」
美玖里はすでに帰り支度をしていました。
美玖里の娘である由里は、とうとう一度も顔を出しませんでした。
もう一人の孫である璃里もそうです。
「やめて!」
樹里の子供達の面倒を見に行っている璃里が、何もしていない由里と一緒にした地の文に切れました。
「そうなんですか」
それにも関わらず、樹里は笑顔全開で応じました。
「今度はヒモ亭主を連れて来ておくれ。たまに説教しないといけないからね」
美玖里は顔を赤らめて言いました。美玖里の亡くなった夫が、左京によく似ているのです。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
「さて、旅館へ帰ろうかね。樹里はこのまま家に帰っていいよ。後は私が引き受けるから」
美玖里が照れ隠しに言いました。
「そうなんですか」
樹里は言い出すと聞かない美玖里の性格を知っているので、言う通りにしました。
美玖里は旅館のマイクロバスを呼び、番頭の運転で帰って行きました。気のせいか、番頭は悲しそうです。
樹里は美玖里の担当の医師と看護師に礼を言い、病院を出発しました。
(また樹里さんと混浴したいなあ。今日が最終日だもんなあ)
エロ芸人の伝助はエロい顔をして妄想していました。
(結局、イブちゃんも、みゆゆも混浴してくれなかったし、最後の望みは樹里さんと再度の混浴しかない!)
何かを決断したようにガッツポーズを取るスケベ芸人です。
一度逮捕した方がいいと思う地の文です。
「西園寺様、若女将が男湯でお待ちです」
仲居が呼びに来ました。
「おお! 願いは通じる!」
大喜びで男湯に向かう伝助です。
(樹里さん、俺が最終日だって、わかっていたんだね!)
脱衣所で全部脱ぐと、大浴場に駆け込む伝助です。自分以外は誰も入浴していません。
(旅館の人が気を利かせて、貸切にしてくれたのか?)
伝助は樹里を探しました。
「おお!」
湯けむりの向こうに、背中を向けて湯に浸かっている女性がいました。
(樹里さん! 俺は今、猛烈に感動しています!)
某スポ根アニメの主人公のセリフをパクった伝助は、かけ湯をして湯船に素早く入ると、その女性目がけてズンズンと進みました。
「早かったな、樹里。美玖里さんは元気になったのか?」
帰宅した樹里を出迎えた不甲斐ない夫の杉下左京が訊きました。
「祖母はずっと元気でしたよ」
樹里は笑顔全開で言いました。
「そうだったな」
左京は苦笑いをして言いました。
「そう言えば、なんて言ったっけ、ああ、西園寺伝助とかいう芸人が、御徒町旅館に泊まっていただろ? 会ったのか?」
左京は伝助がスケベなのを知っているので、心配して尋ねました。
「会いましたよ」
樹里は笑顔全開で応じました。
「何もされなかったか?」
左京は不安に駆られて言いました。
「親切にされました」
樹里は何の悪気もなく言いました。
「そうなんですか」
左京は引きつり全開で樹里の口癖で応じました。
(取り敢えず、樹里は無事だった。それでよしとしよう)
涙ぐむ左京です。
「今度は左京さんと一緒に来るように祖母に言われました」
樹里が言いました。
「え? 俺、美玖里さんには説教しかされないからなあ。できれば、ご遠慮したいよ」
左京が言うと、樹里は、
「祖母は左京さんが好きなのですよ。だから、定期的に会いに行ってください。一人で行ってもいいですよ」
また悪気なく言いました。
「いやあ、一人で美玖里さんに会うのは、勇気がいるよ。樹里が都合つかない時は、瑠里でも冴里でもいいから、誰かを連れて行くよ」
左京がいいました。すると、
「璃里お姉さんでもいいですよ」
樹里が笑顔全開で罠のような事を告げたので、
「そうなんですか」
左京は震えながら言いました。
(樹里、勘弁してくれ。それはどう捉えたらいいんだ?)
また涙ぐむ左京です。
その頃、伝助は女性のそばに来ていました。
「若女将、楽しみにしていましたよ。こっちを向いてください」
伝助は今度は気絶しないように気をしっかり持って言いました。
「そうなの。由里、嬉しいわ」
振り返ったのは由里でした。
「ええーっ!?」
伝助は別の意味で気絶してしまいました。
「失礼な奴だね! 気絶するってどういう事さ!?」
由里は湯に沈んでいく伝助の首根っこを掴んで揺すりました。
しかし、完全に気を失っている伝助は目を開けませんでした。
めでたし、めでたし。




