樹里ちゃん、亀島馨の話を聞く
御徒町樹里はメイドです。探偵業は副業で、あくまでメイドです。
樹里は久しぶりにフルで居酒屋勤務をしました。
婚約者の杉下左京は、樹里と入籍したために安心したのか、
「探偵事務所はもう大丈夫だから」
と言いました。
普通、もう一人の所員が好き者の宮部ありさですから、左京が浮気をしないか心配になるものです。
でも樹里にはそんな気持ちは全くありません。
そして何より、左京にはそんな度胸はないでしょう。
「いらっしゃいませ」
樹里はいつもどおり笑顔全開です。
常連客達も樹里が完全復帰したので大勢詰め掛けています。
店長も一安心です。
そんな時、ある人物が現れました。
ドロントの手下と成り果てた元警視庁の特捜班班長の亀島馨です。
彼は黒髪ロングヘアの美人を連れています。黒のスーツが似合う大人の女性です。
樹里はその女性を以前見た事がある気がしましたが、思い出せません。
二人は個室を希望し、奥の座敷に行きました。
「亀島さん、いらっしゃいませ」
樹里が名前を呼んで近づいたので、亀島がギクッとします。
彼は髪型を変え、サングラスをかけ、マスクをしていたのです。
(どうしてわかったんだろう?)
彼は焦りました。まさかとは思いますが、樹里は地の文を読んだのかも知れません。
そして、樹里はそこでようやく亀島の連れの女性に正体に気づきました。
「ドロントさんですか?」
女性はビクッとして、
「な、何を言うんですか、店員さん! 私は只のOLです!」
その女性は見るも無残なほど狼狽えています。
「首領、この人に隠し事は無駄ですよ」
亀島はマスクとサングラスを取りました。
「みたいね」
女性は肩を竦めます。
「どうしてドロントさんはそんなにお奇麗なのに顔を隠して仕事をしているのですか?」
一瞬嬉しそうな顔をしたドロントですが、
「普通泥棒は顔を隠すでしょ!」
と言い、イラッとします。そして辺りを見回してから、
「今日は貴女にお願いがあって来たの」
「お金は貸してはいけないと夫に言われています」
樹里が笑顔で応じると、
「誰が借金頼むか!」
ドロントは切れてしまいました。
しかし亀島はそれどころではありません。
(夫? 杉下さんと結婚したのか?)
真っ白な灰になりそうな亀島です。
「この人の話を聞いてあげて。私は只の付き添いだから」
ドロントは可哀想な子を見る目で亀島を見ました。
「ボランティアですか?」
樹里が容赦のないボケをかまします。
ドロントは苦笑いします。
しかし当の亀島は気もそぞろです。
(入籍したのか……。同棲なら、まだチャンスはあると思ったのに。でもこれで決心がついた)
彼は樹里を見上げて、
「僕はこれからドロントさんの元で働く事にします。杉下さんには負けません」
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開です。ドロントは唖然としています。
しばらくして、亀島とドロントは居酒屋を出ました。
「いいの、亀ちゃん? あの子とこのままで?」
ドロントが尋ねます。亀島は自嘲気味に笑い、
「もういいんです。これからは貴女について行きます」
「そう」
ドロントは亀島の男の意地を感じ、それ以上何も訊きませんでした。
一方樹里は、明け方に左京のアパートに戻り、寝ぼけ眼の左京に亀島の話をしました。
「ドロントと現れたのか!?」
左京は仰天しました。
「で、奴は何しに来たんだ?」
「これからはドロントさんの元で働きますと言ってました」
左京はガツンと壁を殴り、
「あのバカ、何を考えているんだ?」
「いろいろな事だと思います」
樹里が笑顔で答えたので、左京は脱力しました。
「そりゃそうだけどさ……」
すれ違う思いです。