樹里ちゃん、引き続きドラマの撮影にゆく
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
今日は日曜日です。樹里はテレビ江戸の推理ドラマの撮影のために出かけます。
「行ってらっしゃい、ママ」
夜更かしした事を樹里に知られたくないので、必死になってあくびを我慢しながら言う長女の瑠里です。
「いってらっしゃい、ママ」
それを知っていても、言いつけたりはせず、姉に無言のプレッシャーを与えている次女の冴里です。
「いってらっしゃい、ママ」
「ママ!」
三女の乃里と四女の萌里は笑顔全開で言いました。
「行ってらっしゃい」
知らないおじさんが言いました。
「夫だよ!」
しばらくぶりに朝から登場した不甲斐ない夫の杉下左京が、地の文の挨拶代わりのモーニングジョークに切れました。
「行って参ります」
樹里はテレビ局の迎えの車に乗りながら、告げました。
(俺が不甲斐ないばっかりに、また樹里がテレビに出るようになってしまった)
左京は子供達のためにも離婚しようと思いました。
「思ってねえよ!」
容赦のない言葉を浴びせる地の文に血の涙を流して切れる左京です。
樹里は何事もなくテレビ江戸に着きました。
「樹里さん、おはようございます」
ロビーでディレクターの悪魔が出迎えました。
「左熊だよ!」
ちょっとふざけただけの地の文に激ギレする左熊智也です。
「おはようございます」
樹里は深々と頭を下げました。
「今日は最後の殺人事件が起こるシーンの撮影です。よろしくお願いします」
左熊が言いました。
「よろしくお願いします」
樹里はまた深々とお辞儀をしました。
「樹里さん、初回から高視聴率が出ていますので、放送が延長されそうなのですが、ご都合は如何ですか?」
プロデューサーが来て尋ねました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じてから、
「大丈夫ですよ」
即答しました。
「そうなんですか」
あまりにもあっさり承諾が得られたので、樹里の口癖で応じてしまうプロデューサーと左熊です。
(四月から、テレ江戸をコケにしている在京キー局の四社が樹里さんを押さえるつもりのようだが、そうはいかない)
プロデューサーはほくそ笑みました。テレビ江戸をテレ江戸と省略する意味がわからない地の文です。
(ドラマの提供は五反田グループ各社だ。絶対に延長は通る。そして、四月から三ヶ月、我がテレ江戸が視聴率の王者だ!)
高笑いをするプロデューサーですが、
「はっ!」
我に返ると、左熊と樹里の姿がありませんでした。
「待ってください、樹里さん!」
涙ぐんで追いかけるプロデューサーです。
樹里達が豪徳寺家のセットに行くと、父親の豪徳寺雷蔵役の森平章嗣と母親の早由役の能登鞠絵がいました。
「おはようございます」
樹里が笑顔全開で挨拶しました。
「おはよう、樹里さん。撮影も大詰めだね。貴女ともうすぐ会えなくなるかと思うと、名残惜しいよ」
森平が言いました。
「おはよう、樹里さん。私もそうよ。寂しくなるわ」
鞠絵が言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
(御徒町樹里、このドラマで私はスターの階段を駆け上がるのよ!)
セリフが一言もない役なのに、妄想だけは凄まじい二流女優の大利根小学校です。
「一流よ! 名前は美羽子よ! 私は群馬県前橋市出身だけど、大利根小学校は関係ないわよ!」
地の文得意の名前ボケに切れる美羽子です。
「皆さんにお知らせがあります。視聴率が絶好調なので、放送期間が延長になります。ですから、あと三ヶ月ほどお付き合いいただきますので、よろしくお願いします」
プロデューサーが笑顔で告げました。セットにいた人達の間にどよめきと歓声があがりました。
「四月からは、大村美紗先生の短編ドラマが始まるのではなかったですか?」
左熊が小声で訊きました。
「心配ない。お嬢さんの内田先生原作のドラマだ。喜んでくれるさ」
美紗の性格を知らないプロデューサーは楽観的でした。
「そうですか」
左熊は一抹の不安を拭い切れずにいました。そして、
「内田先生にはご了解いただいたのですか?」
気になって尋ねました。するとプロデューサーがハッとして、
「あ、訊いてない」
蒼ざめました。
「確認してみる」
プロデューサーは慌ててスタジオを出て行きました。
(視聴率ばかり気にしているから、そうなるんだよ)
左熊は呆れ気味に見送ってから、撮影を始めました。
プロデューサーは余裕だと思って、内田陽紅こと内田もみじのスマホに連絡しました。
「お疲れ様です」
もみじはワンコールで出ました。
「お疲れ様です。お陰様で素晴らしい視聴率です。全て内田先生のお力です」
プロデューサーがお世辞を言うと、
「そんな事はありません。私が大村美紗の娘だからですよ」
殊勝なもみじは謙遜しました。
「それでですね、スポンサー様にもご了解いただいて、放送期間を延長する事にしたいのですが、如何でしょうか?」
プロデューサーが本題を切り出しました。
「ええ? 四月からは、母の小説のドラマ化が決まっているのではないですか?」
もみじは驚いているようです。
「それは大村先生にお話しして、ご了解いただこうと思っております」
プロデューサーはまだ余裕の表情です。
「それはダメです。そんな事をしたら、親子の縁を切られてしまいます」
もみじの反応にプロデューサーはまた蒼ざめました。
「え? それはどういう事でしょうか?」
もみじは声を低くして、
「そもそも、私の小説のドラマ化は、母の小説のドラマ化をする約束でお受けしたはずです。もし、母の小説のドラマを私の小説のドラマのせいで延期する事になったら、どうなるとお思いですか?」
プロデューサーは目の前が真っ暗になりました。
「延長はしないでください。私は母と絶縁したくないのです。お願いします」
もみじはそれだけ言うと、通話を切ってしまいました。
(どうすればいいんだ!?)
後日、一人で先走った事をしたプロデューサーは取締役会で左遷が決まったそうです。
「そうなんですか」
それにも関わらず樹里は笑顔全開で応じました。
めでたし、めでたし。