樹里ちゃん、ドラマの撮影にゆく
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
今日は、内田もみじが内田陽紅のペンネームで書いた短編連作の推理小説を原作にしたドラマの撮影に行くために樹里はいつもより早く起きています。
不甲斐ない夫の杉下左京が不倫旅行から帰って来ないので、三女の乃里と四女の萌里は前の日のうちに樹里の姉である璃里が預かりに来ました。
「樹里も大変ね。左京さん、いつになったら帰れるのかしら?」
璃里が言いました。
「わかりません」
樹里が笑顔全開で応じたので、
「そ、そう」
璃里は顔を引きつらせて応じました。
「おい!」
地の文のボケに突っ込めなかったので、ここでようやく切れる左京です。
「不倫旅行じゃねえよ! 龍子さんは役場を事務所にして、依頼を受けているんだよ!」
左京が地の文に切れました。そこでもヒモ生活ですか。
「違う! 俺も龍子さんから紹介してもらった仕事をしているんだよ! 山神村はまだ大騒ぎなんだよ!」
更に地の文に切れる左京ですが、出番はここまでです。
「そうなんですか」
それにも関わらず、樹里は笑顔全開で応じました。
「ママ、行ってらっしゃい」
眠い目を擦りながら、長女の瑠里と次女の冴里が言いました。
「行って参ります」
樹里は笑顔全開で応じると、テレビ江戸が手配した車に乗って出かけました。
そして、樹里は何事もなくテレビ江戸の撮影スタジオに着きました。
「おはようございます、樹里さん。朝早くから申し訳ないです」
ドラマのディレクターを務める猪熊岩鉄が言いました。
「左熊智也だよ!」
名前を厳しく捏造した地の文に切れる左熊Dです。
「おはようございます。今日はよろしくお願いします」
樹里は深々とお辞儀をしました。
「では、セットでお会いしましょう」
左熊Dは去って行きました。
(御徒町樹里、いい気になるのもここまでよ!)
廊下の角からこっそり見ている二流女優の大利根月夜です。
「一流よ! 名前は美羽子よ!」
ボケを繰り返す地の文に切れる美羽子です。
美羽子は樹里のせいで主役になれなかったと思い込んでいますが、最初から候補にも上がっておらず、三人いるメイド役の中でも、全くセリフがない役に決まっていました。
「うるさいわね! 御徒町樹里に怪我をさせて、降板させれば私が主役よ!」
地の文の解説にいちゃもんをつける美羽子です。仮に樹里が怪我をして降板しても、貴女に主役が回って来る事は未来永劫ないと断言する地の文です。
「必ず私が主役になるのよ! 見てなさいよ!」
美羽子は廊下を走り去りました。
「樹里さん、お疲れ様」
先に撮影をしていた父親の豪徳寺雷蔵役の森平章嗣が言いました。
「お疲れ様です、森平さん」
樹里は笑顔全開で応じました。今日は豪徳寺家のリヴィングルームのセットで撮影です。
「樹里さん、おはようございます」
メイドの一人の役の稲垣琉衣が挨拶しました。
「おはようございます、琉衣さん」
樹里は更に笑顔全開で応じました。
「それにしても、樹里さんも琉衣さんも子供がいるように見えないねえ」
森平が言うと、
「あら、それは私への当てつけですの、森平さん」
そこへ雷蔵の妻の早由役の能登鞠絵が来ました。
「もちろん、鞠絵さんも見えませんよ」
森平は苦笑いをして言いました。
「どうもありがとう、森平さん」
鞠絵は会釈をすると、立ち位置に行きました。
撮影は順調に進んでおり、第一の殺人事件が起こった翌日のシーンです。
「樹里さん、琉衣さん、お願いします」
左熊Dが言いました。樹里と琉衣も立ち位置に動きました。
「では、本番行きます。用意、スタート!」
ADの若い女の子がカチンコを鳴らしました。メインのカメラが近づき、樹里を足元から映します。
「警察がまた来るのか?」
迷惑そうな顔で雷蔵が言いました。早由はおどおどして、
「はい。殺害された方の持ち物から、貴方の名刺が出て来たので、話を聞きたいと言われました」
「何? 私の名刺? 知らんぞ。昨日も刑事に言ったが、全く知らない男だった」
雷蔵はイライラしながら言いました。
「お父様、彼の方、私、見た事があります」
樹里演じる豪徳寺麻弓が言いました。
「何だって? どこで見たんだ?」
雷蔵は麻弓に詰め寄ります。
「お父様の書斎から出て来るのを見ました」
麻弓の衝撃の言葉に雷蔵は目を見開きました。
「カットーッ! OKです!」
左熊Dが言いました。
「もしかして、私が犯人役なのかな?」
森平がおどけて言いました。左熊Dは笑って、
「それはお教えできません。このドラマは出演者にも結末が最後までわからないという手法を採っておりますので」
「なるほど」
森平は肩をすくめて鞠絵を見ました。鞠絵も肩をすくめました。
「原作者の内田先生に結末を作り直していただきましたので、原作を読んでいても真犯人はわかりません」
左熊Dは胸を張りました。
「それはまた、挑戦的なドラマになりますね」
琉衣が樹里に飲み物を渡しながら言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
(いい事を聞いたわ。Dを垂らし込んで、結末をネットで流そうかしら?)
早速お間抜けな事を考える二流の大根役者です。
「私は一流よ!」
真実を突きつけた地の文に切れる美羽子です。
「静かにしてください」
ADの女の子に注意されてしまう美羽子です。
「すみません」
美羽子はへこへこして謝りました。
「本番、再開します。お静かに願います」
ADの子が美和子を見て言いました。美羽子は顔を引きつらせて頷きました。
(次にシーンには出番はない。今のうちに)
美羽子はそっとセットを離れると、左熊Dの椅子を探しました。
(あった!)
左熊Dの椅子に台本が置いてありました。
(あれだ!)
美羽子は台本を掠め取ると、服の中に隠しました。
(早速、結末をネットに流してやろう)
美羽子は廊下の隅まで走り、台本の最後を見ました。
「あれ?」
そこには何も書いてありません。
「どういう事よ!?」
叫ぶ美羽子です。
「あれ、差し替え前の台本がないぞ」
自分の椅子に戻った左熊Dが言いました。
「混乱しないように処分したんじゃなかったでしたっけ?」
ADの子が言いました。
「ああ、そうだったかも。まあいいや、いらないから」
左熊Dはまたセットに戻りました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
めでたし、めでたし。