樹里ちゃん、左京を見送る
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
今日は日曜日です。不甲斐ない夫の杉下左京に遠方から不倫の誘いがありました。
「違うよ! 神社の鳥居を壊した犯人を探して欲しいと頼まれたんだよ!」
地の文の軽い冗談に激ギレする左京です。
「樹里、この依頼は山神村という群馬県の吾妻郡にある村からのもので、何日かかるかわからないんだ」
左京は今回の不倫旅行は長期のものだと説明しました。
「違うって言ってるだろ!」
更に地の文に切れる左京です。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
「迷惑をかけると思うが、これも成功報酬の百万円のためなんだ。わかってくれ」
左京は樹里に言いました。
「大丈夫ですよ。それくらいの慰謝料だったら、旦那様にお願いすれば、貸していただけます」
樹里は笑顔全開で謎の返事をしました。
「いや、慰謝料じゃなくて、成功報酬。俺がもらえる金だよ」
左京は苦笑いして告げました。
「そうなんですか」
それにも関わらず、樹里は笑顔全開で応じました。
「行っていいか、山神村へ?」
左京が尋ねました。
「以前にも、行った事がありますよね?」
樹里が言いました。
「いや、それは邪馬神村だよ。邪悪の邪に馬と書く『やま』に、神様の『かみ』。今度行くのは、同じ吾妻郡にある山の神と書く『やまがみむら』なんだ」
左京は顔をひきつらせて言いました。
「そうなんですか」
樹里はそれでも笑顔全開で応じました。
左京は何とか樹里の了解を得て、山神村へ行く事になりました。
そのまま帰ってこなくてもいいと思う地の文です。
「うるせえ!」
ちょっとした願いを口にした地の文に切れる左京です。
そして数日後、左京が死出の旅に出る日の朝になりました。
「やめろ!」
縁起でもない事を平気で述べる地の文に血の涙を流して切れる左京です。
「じゃあ、行って来るよ」
左京が車に乗り込んで言いました。
「パパ、いってらっしゃい」
三女の乃里が言いました。
「いてらしゃい」
四女の萌里が言いました。
長女の瑠里と次女の冴里はすでに出かけていていません。
(悲しい……)
瑠里と冴里が父親の見送りより、ボーイフレンドとのデートを優先したので、涙ぐむ左京です。
「行ってらっしゃい、左京さん」
樹里が左京に顔を近づけて言いました。
「行ってくるよ、樹里。子供達を頼んだよ」
左京がそう言うと、樹里は乃里と萌里が玄関へ戻っていくのを確認してから、左京にキスをしました。
「わわ」
左京は突然の事なので、顔を真っ赤にしました。最近は不倫相手の坂本龍子弁護士としかしていないからです。
「した事ねえよ! 不倫相手でもねえよ!」
地の文に二段切れする左京です。
「行ってらっしゃーい」
樹里は左京の車に手を振って見送りました。乃里と萌里はすでに家に入っていました。
樹里は門扉を出て、左京の車が見えなくなるまで手を振りました。そして、左京の車が見えなくなると、家に戻ろうと踵を返しました。
「樹里さん、おはようございます」
そこへ噂の不倫相手の龍子が来ました。
「ふ、不倫なんてしていません……よ」
赤面して地の文に抗議する龍子ですが、実はしたくて仕方がないので、抗議の声が弱くなっています。
「おはようございます、坂本先生」
樹里は笑顔全開で挨拶をしました。
「左京さんは事務所ですか?」
龍子が訊きました。
「左京さんは出かけましたよ。確か、坂本先生のご紹介の依頼ですよ」
樹里は笑顔全開で言いました。
「え? 私、今日紹介をしようと思って来たのですけど、どういう事ですか?」
龍子は首を傾げました。でも、樹里のように可愛くありません。
「うるさいわよ!」
チャチャを入れた地の文に切れる龍子です。
「そうなんですか?」
樹里が首を傾げました。可愛いです。
「キイイ!」
地の文の当てつけに歯軋りする龍子です。
「では、左京さんはどうして出かけたのでしょうか?」
樹里が尋ねました。
「左京さんはどこへ行かれたのですか?」
龍子は鞄から書類を取り出して言いました。
「群馬県の山神村ですよ」
樹里は笑顔全開で応じました。
「群馬県? 私の依頼は栃木県なのですが?」
龍子は顔を引きつらせました。
「そうなんですか」
それにも関わらず、樹里は笑顔全開で応じました。
「山神村の誰からの依頼ですか?」
龍子は鞄から別の書類を取り出して尋ねました。
「山神村の村長さんですよ」
樹里は更に笑顔全開で告げました。
「ああ、それは私がお断わりした案件です。おかしいですね? どうして左京さんの連絡先を知っていたのでしょうか?」
龍子は書類を樹里に渡しながら言いました。
「そうなんですか?」
また樹里は小首を傾げましたが、今度は真顔だったので、龍子はビクッとしました。
「村長さんに確認してみます」
龍子はスマホを取り出して、山神村役場に連絡しました。
「え?」
ところが、
「おかけになった電話番号は現在使われておりません……」
驚くべきメッセージが聞こえて来ました。
「どういう事?」
龍子は目を見開いてスマホに残された発信履歴を見ました。
「間違っていない……」
龍子は発信履歴と書類に書かれている電話番号を見比べましたが、合っていました。
「これ、役場からのメールをプリントアウトしたものですから、番号が間違っているのは考えられません。事務所に帰って、調べてみます」
龍子は樹里に頭を下げると、門扉を通り抜けて出て行きました。
「そうなんですか」
樹里はもう一度書類に目を落としました。
「左京さん」
樹里は心配になって、左京のスマホに連絡しました。しかし、ドライブモードになっているようで、つながりません。
「左京さん……」
樹里は涙ぐみました。
左京は一体どうしているのか? ワクワクが止まらない地の文です。




