樹里ちゃん、夏期休暇を取る
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
樹里は四人の娘達のために夏期休暇を一週間取りました。
五反田氏はその間、邸を空けて家族旅行に出かける事にしました。
一人娘の麻耶は召し使いの市川はじめを連れて行こうとしましたが、はじめが丁重に断わったので、仕方なく家族だけで行きました。
「召し使いじゃないわよ! 恋人よ!」
アメリカ合衆国へ向かう航空機の中で地の文に切れる麻耶です。
「すまない、樹里。仕事が入って、どうしても外せないんだ」
いつもは毎日が日曜日の不甲斐ない夫の杉下左京は、樹里が休暇を取った一週間、弁護士の坂本龍子と共に不倫旅行に出かけました。
「違うよ! 北海道に一人で浮気調査の出張だよ!」
新千歳空港へ向かう航空機の中で地の文に切れる左京です。出番はここまです。
そして、もう一人のメイドである目黒弥生は、同じく夏期休暇を取り、仮面夫婦の目黒祐樹と長男の颯太と長女の美紅を連れて仮面旅行に出かけたそうです。うわべだけの家族旅行です。
「仮面夫婦じゃないし、仮面旅行でもないし! ちゃんと家族旅行だし!」
石川県金沢市に向かう北陸新幹線の中で地の文に切れる弥生です。
樹里達は、璃里達の家族と一緒にG県S市のI温泉にある御徒町旅館に来ています。
人数が多いので、樹里がマイクロバスを五反田グループのカーリース会社から社員価格で借りて来たのです。
「何だい、またあの親不孝モンは来ないのかい?」
出迎えた樹里と璃里の祖母である美玖里が言いました。
天下無敵に思える樹里達の母親の由里でも、敵わない存在が美玖里なのです。
「忙しいみたいで……」
璃里が苦笑いして言いました。
「そりゃ忙しいだろうよ。前の亭主と今の亭主が同居しているなんて、聞いた事がないからね」
美玖里はプイと顔を背けると、スタスタと旅館の奥へ歩いて行きました。
「お母さん、本当に困ったものね」
璃里が溜息混じりに言うと、
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
「さあさ、みんな、荷物をお部屋に運んでね」
璃里はずらっと並んだほぼ同じ顔の娘と姪達に告げました。
「はい」
璃里の娘の小学六年生の実里、小学四年生の阿里、樹里の長女の小学五年生の瑠里、次女の小学二年生の冴里、三女の年長さんの乃里は笑顔全開で応じました。
四女の萌里は笑顔全開です。
「改めて見ると、壮観だね」
璃里の夫の竹之内一豊が言いました。
「そうね。これだけ勢揃いしたの、しばらくぶりだから」
璃里は一豊に微笑んで言いました。
一同はぞろぞろと移動を始めました。
「樹里」
暖簾をかき分けて帳場から顔を出した美玖里が樹里を呼び止めました。
「はい」
樹里は笑顔全開で美玖里を見ました。
「あのヒモ亭主は来ていないみたいだね?」
美玖里は歩いていく璃里達を見て言いました。
「左京さんは北海道に出張です」
樹里は笑顔全開で応じました。
「へえ、珍しいね。仕事かい。まあ、それなら仕方ないやね」
美玖里は肩をすくめて帳場に戻ろうとしました。
「気になるのですか、左京さんが?」
樹里が笑顔全開で尋ねました。
「そんな事ある訳ないだろ」
何故か美玖里は顔を赤らめて言い返すと、帳場の奥へ行ってしまいました。
「そうなんですか」
樹里は帳場の壁に掲げられた額を見上げました。
その写真は左京の二十年後のような顔をした老人の写真でした。
(お祖父ちゃん、左京さんに似ていますよね)
樹里は笑顔全開で写真を見ました。
(どうしてよりにもよって、死んだ亭主と瓜二つの男が、樹里の亭主なんだろうかねえ)
帳場の奥にある女将の部屋で、美玖里は樹里と左京の結婚式の写真を見ていました。
(代々、ああいう顔が好きになっちまうのかねえ。由里の前の亭主は顔は違うけど、風変わりな男だしねえ)
美玖里は写真をタンスの引き出しにしまうと、
(今度来たら、もう少し優しくしてあげようかね。この前、私に怯えていたからね)
苦笑いをして帳場へ行きました。
(そう言えば、璃里の亭主は男前だよねえ。璃里も御徒町の血筋には珍しく、真面目で利発な子だし)
どうやら、御徒町一族ではむしろ璃里が変わり者らしいと気づいた地の文です。
「よおし、ここにいる間は、思いっきり遊ぶぞ!」
瑠里は樹里がいないのをいい事に心の声をさらけ出していました。
「瑠里ちゃん、宿題はきちんとしないといけないよ」
実里が言いました。瑠里はニヤリとして、
「家に置いてきたから、できないもん」
胸を張って言いました。
「宿題なら、ここにありますよ、瑠里」
真顔全開の樹里が風呂敷に包んだものをドスンと瑠里の目の前に置きました。
「ヒイイ!」
思わず悲鳴をあげる瑠里です。
(おねえちゃんて、ほんとうにがくしゅうしない)
それを見て学ぶ冴里です。
「ここにいる間だからこそ、毎日きちんとドリルはこなさないといけませんよ」
更に真顔で告げる樹里です。関係ない実里と阿里も涙ぐんでしまいました。
(相変わらず、子供には厳しいのね、樹里)
璃里は顔を引きつらせていました。
(樹里さん、怖い)
樹里の真顔を初めて見た一豊は泣きそうです。
「私、宿題するね」
実里が言いました。
「私も」
阿里が言いました。
「そうなんですか」
乃里は笑顔全開で応じました。
「この一週間で、ウチの子も進んで勉強するようになりそうね」
璃里が樹里に言いました。
「お姉さんのところは、言われなくてもしているでしょう?」
樹里が言いました。
「そうでもないの。実里はお姉ちゃんぶりたいから、瑠里ちゃん達がいる方がいい刺激になるのよ」
璃里は宿題を始めた実里を見て言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
めでたし、めでたし。