樹里ちゃん、新聞の集金にゆく
御徒町樹里は、新聞配達をするメイドです。
結構無防備なので、携帯のカメラやデジカメで撮影され、ネットで公開されています。
動画も配信されていて、有名なサイトでは一日五百万アクセスを記録したそうです。
でも樹里はインターネットをしないので、全然それを知りません。
しかも、
「樹里ちゃん、頑張って!」
と声をかけられると、
「ありがとうございます」
とわざわざ自転車を降りて深々とお辞儀をして挨拶を返します。
マニアは悶絶するそうです。
そんなある日。
いつものように朝刊の配達を終えた樹里が販売所に戻りました。
すると所長が、
「御徒町さん、頼みがあるんだけど」
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で所長を見ます。
所長は奥さんも高校生の娘もいる中年のおっさんですが、樹里の笑顔についニヤけてしまいます。
「実は、購読料を滞納している人がいるんだけど、その人が、御徒町さんが集金に来てくれれば払うって言ってるんだ」
滅茶苦茶な要望です。
「そうなんですか」
でも樹里は笑顔全開です。
「悪いんだけど、集金に行ってもらえないかな?」
「はい、わかりました」
樹里は全く躊躇する事なく答えました。
所長はホッとしたのですが、
「何かあると困るから、誰かと一緒に行った方がいいよ」
「はい」
樹里は集金袋と領収書を渡され、早速その滞納者のところに行く事にしました。
そして彼女は、婚約者である名探偵の杉下左京に連絡します。
「どうしたんだ?」
まだ起きたばかりの左京は樹里に何かあったと思い、大慌てで携帯に出ました。
樹里は事情を説明しました。
「よし、わかった。三十分でそっちに行く。待っててくれ」
「はい」
樹里は携帯を切り、左京を待ちました。
まもなく左京が欠伸をしながら車で現れました。
「乗れ。そいつのところに行こう」
「はい」
左京は樹里を乗せると、滞納者が住むアパートに向かいました。
「あれ? ここは……」
左京はそのアパートに見覚えがあります。
「どうしてだ? 俺はここを知っている……」
左京は樹里に一人でドアの前に立つように指示し、自分は柱の陰に隠れます。
「何で知ってるんだ?」
彼はふと目の前にある郵便受けを見ました。
アパートの住人全員のものがズラッと並んでいるタイプで、それぞれに鍵が付いています。
「加藤真澄? 聞いた事があるような名前だな?」
普通の人ならこの時点で気づきますが、人の顔と氏名を忘れる天才の左京は気づきません。
「おはようございます。新聞の集金に来ました」
樹里が滞納者の部屋に声をかけました。
「お待ちしてました! 汚いところですが、上がって下さい、樹里さん!」
ドアを開いて現れたのは、あの懐かしい脱獄囚顔の加藤警部でした。
「ああ、てめえはバ加藤! 何でこんなところにいるんだよ!?」
左京は樹里と加藤警部の間に立ち塞がりました。
「す、杉下!? お前も来てたのか!?」
加藤警部は仰天しました。
「お前、真澄って言う名前なのか?」
左京が笑いを噛み殺して尋ねます。
「わ、悪いか!?」
加藤警部は顔を赤らめて言い返します。
「わはははは、似合わねえ! 笑えるゥッ!」
左京は大笑いしています。
「う、うるさい!」
加藤警部は樹里を見て、
「滞納分をお支払しますので、お茶でも飲んで行って下さい」
「はい」
大笑いしていた左京ですが、樹里があっさりと加藤警部の部屋に入ってしまったので、
「ああ、待て、バ加藤!」
と止めに入りましたが、ドアはバタンと閉じられ、鍵もかけられてしまいました。
「樹里、大丈夫か!? 何もされていないか!?」
左京はドンドンとドアを叩いて叫びます。
「うるさいね、あんた! 警察を呼ぶよ!」
隣の部屋から、おばさんが顔を出します。
「呼びたきゃ呼べ!」
左京がそう言うと、おばさんは本当に警察を呼びました。
実はそのアパートは独身の警察官がたくさん入居していたのです。
左京も以前住んでいた事があったのですが、全く覚えていませんでした。忘れん坊過ぎです。
「不審者め!」
左京は取り押さえられ、近くの交番へ連れて行かれました。
「樹里ーッ!」
彼の叫びが辺りに響きました。
一方、加藤警部の部屋に入った樹里は、座布団の上にチョコンと座り、加藤警部が淹れてくれた紅茶を飲んでいました。
「ど、どうですか、美味しいですか?」
「はい、美味しいです」
樹里の笑顔に顔を赤らめ、加藤警部は恥ずかしそうに頭を掻きました。
「す、すみませんでした、お呼び立てしてしまって」
加藤警部は樹里に新聞代を渡します。
「ありがとうございます。ところで、契約の更新はいかがですか?」
「します、します! 五年くらいします!」
加藤警部は興奮して言いました。
「そんなにはできないのです。一年でいいですか?」
「はい、それでいいです!」
すると樹里は集金袋から、写真を取り出し、
「今一年契約をして下さった方には、もれなく私の写真を差し上げています」
と加藤警部に渡しました。
「おお!」
樹里のグラビア時代のボツ写真でした。どこまでも商売上手な販売所です。
それは目を瞑ってしまっているので、使われなかったものです。
「おおおお!」
加藤警部は雄叫びを上げました。
「では、失礼します。ありがとうございました」
樹里は笑顔で挨拶し、部屋を出て行きました。
「じゅ、樹里さん……」
加藤警部は、その写真と生の樹里を見たので、失神してしまいました。
「左京さん?」
アパートの外に左京がいないので、樹里は不思議に思い、携帯に連絡します。
でも、電源が切れていて、左京は出ません。
「左京さん、どこに行ってしまったのでしょう?」
左京が交番から解放されたのは、それから二時間後でした。
めでたし、めでたし。