樹里ちゃん、ドロントと対決する
御徒町樹里は居酒屋にはほとんど勤務していない新聞配達メイドです。
新聞販売所の所長が、
「是非、メイド服で配達してくれ! そしたら、時給を今の二倍出そう!」
と悪魔の囁きをしました。
樹里は婚約者である杉下左京の探偵事務所の経営がうまくいっていないので、快諾しました。
そしてその販売所はその地域で一番店になりました。
更にその噂を聞きつけた大学生や新卒社会人達が、次々に樹里が新聞を配達している区域に引っ越して来ました。
不動産屋さんも大喜びで、
「是非、ウチのイメージガールになって下さい」
と頼みに来ました。
樹里の可愛さを商売にするのを極力避けていた左京も、事務所の大家さん絡みでは断りきれず、家賃を半額にするという条件で承諾しました。
こうして樹里のポスターが不動産屋さんに張り出され、樹里の顔はどんどん知られて行きました。
その効果は居酒屋にも喫茶店にも波及し、樹里の時給が上がります。
こうして、逆格差婚になりそうな気配を感じた左京は、酷く落ち込んでいました。
「左京、元気出しなさいよお」
この前、群馬県の温泉旅館で「混浴」した宮部ありさが慰めます。
「俺は甲斐性なしだ……」
左京は更に落ち込みます。
「それはそうなんだけどね」
ありさもつい同意してしまいます。
「ううう……」
「あああ、ごめーん、左京ゥ! 許してえ」
ありさは机に顔を埋める左京を後ろから抱きしめます。
「相変わらず、暇そうですねえ、杉下さん」
そこへ警視庁特捜班の亀島警部補が現れました。
「てめえ、この前も自分の手柄にしやがって!」
左京はありさを振り払って、亀島に詰め寄ります。
「まあまあ、落ち着いて、杉下さん。また、ドロントから予告状が届いたんですよ」
すると左京は、
「誰だ、それ?」
といつもの調子に戻りました。
もうすっかり慣れっこの亀島とありさはこける事なく、話は進みます。
「ドロントは、有名作家の家から世界最大のダイヤを頂くと予告して来ました」
「有名作家? 誰だ?」
すると亀島は、
「どうせ杉下さんは知らないでしょうが、今をときめく女流作家の西園寺麗華さんですよ」
「さいおんじれいか? どこかで聞いた事があるな……」
左京は、以前悪霊退散のお札を購入した霊能者と勘違いしているようです。
西園寺麗華。一体どんな性格なのでしょう?
「へえ、珍しいですね。世間ずれした杉下さんが、西園寺先生をご存知だなんて」
亀島は明らかに左京をバカにした目で言いました。
「亀島君、今度手柄を横取りしたら、あーんな事や、そーんな事を刑事部長にばらすわよ」
ありさが言いました。すると亀島は初めてありさに気づいたように彼女を見て、
「あれ? 貴女はどなたでしたっけ?」
と強烈な嫌味を言います。
「何なのよ、あんたは!?」
掴みかかろうとするありさを制して、左京は、
「とにかく、協力はする。だが、今度マスコミにウソ吐いたら、その時は許さんぞ」
と亀島を睨みました。亀島はフッと笑って、
「わかりました。これは予告状のコピーです」
左京にコピーを渡すと、亀島は事務所を出て行きました。
「左京、気をつけてね。あいつ、また手柄を横取りするつもりよ」
ありさはプリプリしながら言いました。左京は自分の席に戻り、
「ありさ、お前、亀島が嫌いなのか?」
「ええ。大嫌いよ!」
ありさは大声で言い放ちます。
「そうか」
左京が急に立ち上がったので、ありさは殺されると思いました。
「初めてお前と意見が一致したな」
左京は嬉しそうにありさの手を握りました。
「ダメよん、左京。まだ外は明るいわ……」
「アホか!」
一年中発情しているありさに呆れる左京です。
そして予告の日の夜です。
「凄いお屋敷ですね」
樹里が西園寺邸を見渡して言いました。とんでもなく広いです。
確かに、東京ドームと同じ敷地面積のお屋敷は凄いですが、樹里が勤めていた五反田六郎邸の方がずっと大きいです。
「ようこそいらっしゃいました。私が西園寺麗華です」
名前から想像していた左京は、ガッカリしました。
若いセクシー系の女性を思い描いていたのですが、現れたのは、
「前世でどんな悪い事をしたの?」
と訊きたくなるような姿の中年女性です。一番的確な表現をすれば、「使い古した酒樽」です。
「どうぞ、こちらへ」
西園寺先生の案内で、左京達はダイヤが保管されている地下室に行きました。
「こそ泥は上から現れると聞きまして、急遽地下室に移しました。ここなら安全ですわ」
みょうに艶っぽい目で左京を見る西園寺先生に気づき、
「左京、気をつけてよ。あの先生、貴方を狙ってるわ」
とありさが小声で言いました。
「まさか」
鈍感な左京はあっさり否定しました。
「天井は分厚いコンクリート、扉は頑丈な鋼鉄製。これなら、あの貧乳も忍び込めませんね」
左京が言うと、西園寺先生は微笑んで、
「そうでしょう。さすが、杉下先生、素敵ですわ」
とウィンクしました。左京は全身の毛穴が身体から飛び立つのではないかと思うくらい、ゾッとしました。
左京は硬質プラスチックのケースに納められたダイヤを見ました。
(樹里にこれくらいのダイヤをプレゼントできたらなあ……)
妄想の世界に浸っていると、置いてきぼりにされていました。
左京達は地下室の入口の前に立ち、警戒に当たります。
ありさは屋敷の周囲に不審な人物がいないか見回りに行きました。
例によって警官隊が屋敷の庭を埋め尽くさんばかりに立っています。
「わっはっは、さすがですね、先生。地下室にダイヤを保管するなんて。これではあのドロントも手も足も出ませんよ」
「オホホホ、ご謙遜ですわね、刑事さん。地下室に移すというのは、貴方の提案じゃございませんか」
西園寺先生のその言葉に、左京はさっきとは違った意味でゾッとしました。
「やられた!」
彼は地下室への階段を駆け下りました。
「どうしたんです、杉下さん?」
亀島が追いかけます。
「バカヤロウ、まだわからないのか!? 貧乳はお前に変装して、西園寺先生にダイヤを地下室に移すように言ったんだよ! だとしたら、俺達は完全に貧乳の罠に嵌ったって事になる!」
「ああ!」
亀島もようやく事件の真相に気づいたようです。
「くそ、鍵を締めたのか!?」
地下室の扉は開きません。そこへ酒樽、いえ、西園寺先生が来ました。
「ああ、先生、鍵を開けて下さい」
「はいはい」
西園寺先生は、足か腕かわからないような物体で鍵を持ち、扉を開きました。
「ああ!」
するとまさに、ドロントがダイヤを袋に詰めているところです。
「あーら、早かったわね、ヘボ探偵さん」
ドロントはニヤッとして言いました。
「私のダイヤがァッ!」
西園寺先生が酒樽、いや、身体を震わせて叫びます。
「袋のネズミだぞ、ドロント!」
左京と亀島が詰め寄ります。
「そうかしら?」
ドロントはケースの裏側に行くと、スッと消えました。
「何だと!?」
左京が駆けつけると、そこには細い女性がやっと通れるくらいの穴が開いていました。
「くそう、貧乳め、自分の体型を利用したのか!?」
「うるさいわよ! 悔しかったら、追いかけて来なさいよ!」
しかし、穴のサイズは左京にも亀島にも、もちろん西園寺先生にも無理です。
「ありさ!」
左京が呼ぶと、
「ああん、胸がつっかえて通れないィ」
ありさはすでに挑戦していました。
「無理か……」
左京はがっかりしていますが、何故か亀島はありさのつっかえた胸を凝視しています。
「本物ですか、それ?」
「本物よ!」
亀島のセクハラ発言に切れるありさです。
「樹里は通れないか?」
しかし、樹里は地下室に降りて来ていません。
「彼女も無理よお。あの子、悔しいけど、私よりおっぱい大きいのよね」
「え?」
思わず反応してしまう左京と亀島です。
その頃、貧乳、いや、ドロントは部下達が掘った抜け穴を走り、出口へと向かっていました。
「どうよ、この作戦。さっすが、私。自分で自分を誉めたいわ!」
ドロントは出口に辿りつき、縦穴を進みます。
「あ、ありがとう」
穴を出たところでドロントは手を貸してもらったので、その人にお礼を言いながら地上に出ました。
そこは西園寺邸のすぐ脇にある工事現場の一角です。
「揃いも揃ってバカばっかりね。おかしくて仕方がないわ」
ドロントは西園寺邸を見て呟きます。
「そうなんですか」
ドロントはギョッとして声の主を見ます。
そこには、笑顔全開の樹里が立っていました。
「ま、また貴女? どうしてここにいるのよ!?」
ドロントはバッと樹里から飛びのいて尋ねます。
「歩いて来たからです」
樹里は相変わらず危険球連発です。
「そんな事を訊いてるんじゃないわよ! とにかく、さよなら!」
ドロントはベルトに仕込んだハンググライダーを出して、空へと飛び立ちます。
「さようなら!」
樹里が笑顔で見送ります。
「あの子、どういう子? バカなのか利口なのか、全然わからない……」
そして気づきます。
「あー! ダイヤを入れた袋が!」
さっき、穴から出る時に差し出された手を部下の手と思い、つい渡してしまったのです。
ですから、ダイヤの入った袋は樹里が持っています。
「今度こそ、負けないわよォ!」
ドロントはそう叫び、夜の闇に消えました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
こうして、西園寺邸のダイヤは無事西園寺先生の手に戻りました。
そして翌日。
朝刊には、
「杉下左京探偵、怪盗を撃退するも捕まえられず」
と大きく記事が載っていました。
「あのヤロウ……」
左京は亀島の悪知恵に激怒し、新聞を丸めてゴミ箱に捨ててしまいました。