樹里ちゃん、夏祭りにゆく
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
五反田氏一家が世界一周旅行に出かけたので、樹里達使用人も一ヶ月の夏季休暇をもらいました。
もちろん、有給休暇です。これで無職の夫の杉下左京も安心です。
「ううう……」
当たっているだけに何も言い返せないで項垂れる左京です。
もはや、
「無職じゃない! 仕事がないだけだ!」
いつもの迷台詞も出て来ない程落ち込んでいます。
もしかして、樹里にとうとう離婚届を渡されたのでしょうか?
「やめてくれー!」
可能性が否定できないので、血の涙を流して地の文に懇願する左京です。
樹里と娘達は、昨年、台風で中止になった夏祭りに出かけています。
左京は、ゴールデンレトリバーのルーサとお留守番です。
「かはあ……」
そうではないかと思っていましたが、実際に指摘されると血反吐を吐いてしまう左京です。
でも、本当は元不倫相手の坂本龍子弁護士とデートの約束をしているので、ウキウキなのは内緒です。
「違う! 断じて違う!」
某進君の真似をして地の文に切れる左京ですが、若干当たっているので少しばかりキレが悪いです。
「樹里にも言ってあるんだよ! 坂本先生が依頼人を連れてくるんだよ!」
あくまでもしばらくぶりの仕事であって、不倫ではないと言い訳する左京です。
「言い訳じゃねえよ!」
鋭い指摘をしたはずの地の文に理不尽に切れる左京です。
そして出番は終了です。
「何でだー!?」
最後に激ギレする左京です。
樹里と長女の瑠里、次女の冴里、三女の乃里は花火の模様の入った紺地のお揃いの浴衣を着ています。
ベビーカーの四女の萌里は花火柄のベビー服を着ています。
周囲を歩いているおじいさんから保育園児まで、全ての男達が釘付けになり、奥さんや恋人、彼女に耳を強く引っ張られました。
「瑠里ちゃん!」
そこへ紺地の浴衣姿の淳が来ました。
「ママ、あっちゃんと行っていい?」
瑠里が尋ねると、
「いいですよ。気をつけてね」
樹里は笑顔全開で言いました。
「ありがとうございます」
淳は瑠里と手を繋いで別の方向へ歩いて行きました。
「いいなあ、おねえちゃん」
冴里が羨ましそうです。乃里はすぐ近くにある綿あめに気を取られています。
「冴里には、ボーイフレンドはいないのですか?」
樹里が尋ねました。冴里は苦笑いして、
「さーたんにはまだはやいよ、ママ」
「お姉ちゃんは保育所であっちゃんと仲良くなりましたよ」
樹里が言いました。冴里は、
「あっちゃんみたいなイケメンがいないんだよね、わたしのクラスには」
何気に痛烈な事を言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
「ママ、わたあめがほしい」
乃里が我慢できなくなって言いました。
「そうなんですか。冴里は?」
樹里は冴里に訊きました。
「さーたんもほしい」
冴里が言いました。
「では、三つください」
樹里は綿あめ屋のおじさんに言いました。
「あいよ。ちょっと待っててね」
おじさんはひょいひょいとたちまち綿あめを三つ作りました。
「ありがとうございます」
樹里は代金を渡すと、綿あめを受け取りました。
「少しずつ食べるのですよ」
樹里は冴里と乃里に言いながら渡しました。
「はい」
冴里と乃里は言いました。「はーい」と言うと、注意されるのです。
人混みが増えてきて、樹里は冴里と乃里に手を繋がせました。迷子対策です。
「あら、杉下さんも来ていましたの?」
そこへみのさんが現れました。
「その呼び方はおやめなさい!」
名前ボケの鉄板をした地の文に切れる御法川文華です。
「こんにちは、御法川さん」
樹里は笑顔全開で挨拶しました。
「瑠里ちゃんはいないんですか?」
ミニみのさんが尋ねました。
「御法川すずよ!」
地の文の名前ボケその二に切れるすずです。
「瑠里はお友達といますよ」
樹里が笑顔全開で告げると、
「ママ、私、瑠里ちゃんのところに行っていい?」
すずは咄嗟に瑠里が淳といるのを悟り、言いました。
「迷子にならないように気をつけるのですよ」
文華は偉そうに言いました。
「迷子になんかならないよ。私、四年生だよ」
すずも偉そうに言って、駆け去りました。
文華がハッとした時、すでに樹里達は人混みに紛れていなくなっていました。
(杉下樹里、また私を虚仮にしてえええ!)
歯ぎしりして悔しがる文華です。
「あ!」
金魚すくいのおじさんが、樹里達に気づきました。そして、隠し持っていた看板を出しました。それには「大人の方、ご遠慮ください」と書いてあります。おじさんは樹里に何度も廃業寸前まで追い込まれているからです。
「ママ、きんきょすくいしたい」
冴里が言いました。
「大人の方はダメだよ。お子さんだけならいいよ。手伝うのもなしね」
おじさんは矢継ぎ早に言いました。
「そうなんですか。では、この子とこの子がしますね」
樹里は冴里と乃里を指名しました。
「あいよ」
おじさんは二人にぽいを渡しました。
「破れたら終わりだよ」
おじさんはニヤニヤして言いました。
(子供用はすぐに破けちまうようにできてるのさ)
悪い大人の典型だと思う地の文です。
「はいはいはい!」
ところが、冴里はガラス板ですくっているのかと言うくらいの凄まじさで、次々に金魚を桶の中に入れていきます。
「ひいいい!」
たちまち顔が青くなるおじさんです。まるでデジャヴのようだと思いました。
「おじちゃん、いっぱいになっちゃったから、もう一つちょうだい」
冴里が笑顔全開で言っているのにかろうじて対応していると、
「おじちゃん、こっちも」
乃里の桶も金魚でいっぱいです。
「冴里も乃里も、ママよりうまいですね」
樹里が笑顔全開で言いました。見物客が冴里と乃里に拍手をしています。
(こいつら全員、ブラックリストに載せて、仲間に教えねえとやばい)
おじさんは次に樹里達が現れたら、すぐに店じまいにしようと思いました。
めでたし、めでたし。




