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樹里ちゃん、しばらくぶりに左京の仕事を手伝う

 御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。


 今日は樹里は仕事がお休みです。


「左京さん、お仕事を手伝いますよ」


 樹里は不甲斐ない夫の杉下左京が仕事が忙しいと思っているので、全く悪気なく言いました。


「ありがとう、樹里」


 左京は涙ぐんで言いました。


「悪いんだけど、溜まった書類を整理して、会計ソフトに入力してくれると助かる。ああ見えて、沖田先生、怖いんだよ」


 左京は苦笑いして言いました。


「そうなんですか」


 樹里は四女の萌里に授乳をすませて応じました。


「じゃあ、依頼人のところに行ってくるよ」


 左京は白々しい嘘を吐いて、不倫相手の沖田総子の税理士事務所へ行きました。


「違う、断じて違う!」


 しばらくぶりに某進君の真似をして地の文に切れる左京です。


「行ってらっしゃい」


 樹里は笑顔全開で見送りました。


 


 左京は重い足取りで依頼人のところに向かっていました。


 探すのを頼まれた猫が死んでいたからです。


 猫が死んでいた場合、報酬はもらわないという契約なので、左京は何とか誤魔化せないかと思案していました。


「そんな事は考えていねえよ! 依頼人の奥さんは、その猫をとても可愛がっていたから、話すのがつらいんだよ」


 真相を捏造する地の文に切れる左京です。


 そんな事をしているうちに、依頼人の家に着いてしまいました。


(ああ、どう言えばいいんだ?)


 左京は項垂れたままで、その家のインターフォンを鳴らしました。


「お待ちしていました、杉下先生」


 依頼人は上品な白髪のおばあさんです。左京は不倫相手にもってこいだと思っています。


「やめろ!」


 サイコな発言をする地の文に切れる左京です。


「遅くなりました」


 左京は作り笑顔で応じました。


「さ、どうぞ、上がってください」


 おばあさんはニコニコして左京を中へ招き入れました。


「あら、先生、おだんごは見つかっていないのですか?」


 おばあさんは左京が手ぶらなのに気づいて尋ねました。左京は嫌な汗を掻いて、


「ああ、その、ええとですね……」


 曖昧な返事をしました。おだんごというのが、おばあさんの飼い猫の名前です。


(依頼人から聞いた特徴が全て符合した猫の死体が見つかったなんて、言えない。どうしたらいいんだ?)


 まだ思い悩んでいる左京です。代わりに現実をおばあさんに伝えましょうか?


「やめろ!」


 地の文の優しい心遣いに切れる左京です。


「やっぱり……」


 左京が口ごもっていると、おばあさんが溜息混じりに言いました。


「え?」


 左京はハッとしておばあさんを見ました。


「おだんごはもうこの世にはいないのでしょう?」


 おばあさんは微笑んだままで言いました。左京はビクッとしました。


「何となく、そんな気がしたんですよ。猫はそういう習性があると聞いた事がありますし」


 おばあさんは目を伏せました。左京は、


「申し訳ありません。おだんごはその、空き地の隅にある段ボール箱の中で息を引き取っていました」


「そうですか。それで今は?」


 おばあさんは顔を上げて訊きました。


「今は当事務所で棺に納まった状態です」


 左京は頭を下げて言いました。おばあさんは涙ぐんでいましたが、


「杉下先生のせいではありません。おだんごは人間で言えば、百歳近かったのですから」


 左京を宥めるように肩を叩きました。


「そうですか」


 左京はおばあさんの顔を見て応じました。


「葬いは私が致しますので、おだんごを連れてきてください。先生、お気遣い感謝します」


 おばあさんは涙をハンカチで拭って言いました。


「わかりました。すぐに連れて参ります」


 左京は事務所へ帰り、おだんごを納棺した動物用の棺を抱えて戻りました。


「穏やかな顔をしていますね」


 おばあさんは涙をこらえて言いました。


「はい」


 左京が捜索を依頼された猫や犬の死に直面したのは今回が初めてではありません。幾度となく遭遇しています。


 飼い主の幾人かは、そのまま引き取る事もなく左京に全部任せる人もいました。


 つらくてそうする人もいれば、死骸を見るのが嫌で、処理を頼む人もいました。


 ですから、いきなり猫の遺骸を持たずに訪問したのです。


(ここ何回かは任されたからな。おだんごは飼い主に恵まれたんだな)


 左京はおだんごの遺骸に手を合わせて、線香を上げました。


「ありがとうございます、先生」


 おばあさんは左京に報酬を支払おうとしました。


「これは受け取れません。契約違反になりますから」


 左京は丁重に断わったのですが、


「お願いですから、受け取ってください」


 おばあさんは頑として譲らず、根負けした左京は受け取る事にしました。


「税理士がうるさいので、領収証は切らせてください」


 要らないと言うおばあさんを説得して、領収証を置いて帰りました。


「あっ!」


 左京はそんなしんみりした感情が吹っ飛ぶような事を思い出しました。


(やばい、やばい、やばい!)


 左京は全速力で家へと走りました。

 



「お帰りなさい」


 息を切らせて事務所のドアを開くと、樹里が笑顔全開で出迎えました。萌里はソファで眠っています。


「申し訳ない! 言い訳はしない! 樹里との約束を破ってしまった」


 左京は会心の土下座をしました。


「そうなんですか?」


 樹里は首を傾げて応じました。左京は顔を上げて、


「キャバクラの領収証は、浮気調査のために行った時のものなんだ。だが、俺は樹里にその事を言えずに、今日まで内緒にしてしまった。申し訳ない!」


 左京はもう一度土下座をしました。


「キャバクラの領収証はなかったですよ」


 樹里が笑顔全開で告げたので、


「そうなんですか?」


 左京はキョトン全開で応じました。


「あ」


 そして、真相に辿り着きました。


(まだ革ジャンのポケットの中だ……)


 左京はソッと右のポケットからクシャクシャの領収証を取り出して、


「申し訳ない! 精算がまだだった!」


 更に会心の土下座をしたのでした。


 


 めでたし、めでたし。

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