樹里ちゃん、左京に衝撃を与える
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
小学校の保護者会会長である御法川文華の邸に行った樹里は、文華の夫の源四郎に会い、樹里がキャバクラにいた時の常連だったと告げられました。
地の文の調べたところによりますと、源四郎はその当時、収入の多くを文華に内緒で樹里のいるキャバクラにつぎ込んでおり、樹里が辞めてからしばらくして文華に知られ、こっぴどく説教をされた挙句、二度とキャバクラに行かないと誓約書を書かされました。
そのため、樹里が来ると知った時は、心の中で万歳三唱をした程でした。
しかし、源四郎が通いつめていたナンバーワンキャバ嬢が樹里だったと知り、文華の樹里への恨みは日本海溝より深くなりました。
「杉下樹里、今度という今度は許しませんわ。私を怒らせるとどうなるのか、思い知らせて差し上げますわ」
文華はまた良からぬ事を企んでいるようです。
多分、失敗すると思う地の文です。
「では、行って参りますね」
いつものように樹里はベビーカーに四女の萌里を乗せて、出勤します。
「いってらっしゃい、ママ!」
長女の瑠里と次女の冴里が笑顔全開で言いました。
「いってらしゃい、ママ」
三女の乃里も笑顔全開です。
「行ってらっしゃい」
不甲斐なくて情けない夫の杉下左京も何故かにこやかに言いました。
「いいだろ、別に!」
地の文の表現方法にいちゃもんをつける左京です。
「樹里様と瑠里様と冴里様と乃里様と萌里様にはご機嫌麗しく」
そこへいつものように性犯罪者予備軍が現れました。
「他人聞きの悪い事を言わないでください!」
若干その気があるので、動揺しながら地の文に切れる昭和眼鏡男と愉快な仲間達です。
「はっ!」
我に返ると、樹里は一人でJR水道橋駅へと向かっていました。
「樹里様、お待ちください!」
眼鏡男達は慌てて樹里を追いかけました。
左京は何事もなく、乃里を保育所へ送り届け、ゴールデンレトリバーのルーサと散歩に出かけようと庭を出ました。
「杉下さんのご主人ですか?」
その時、不意に電柱の陰からまるで某明子姉ちゃんのように現れた文華が声をかけました。
「え、あ、そうですが? ええと?」
人の顔を忘れる名人五段の左京は、その女性が誰なのかわからず、苦笑いしました。
「申し遅れました。私、小学校の保護者会会長を務めております、御法川文華と申します」
文華は微笑んで言いました。
「そ、そうでしたか。妻がお世話になっております」
左京は文華が美人なので、早速不倫する気満々です。
「違うよ!」
電光石火の勢いで地の文に切れる左京です。
「ここでは何ですから、どうぞ」
左京は散歩をせがむルーサを無理やり引っ張って、玄関へ行こうとしましたが、
「いえ、お手間は取らせませんので、ここで結構です」
文華は微笑んだままで言いました。
「そうですか」
左京は文華の顔は知りませんが、保護者会会長の噂だけは耳にしていたので、
(何しに来たんだ?)
顔には出さずに警戒しました。すると文華は高そうなハンドバッグから何かを取り出し、左京に差し出しました。
「これをご覧ください」
「はあ」
渡されたのは写真でした。
「えええ!?」
それは、樹里が御法川邸の応接間で源四郎に右手を包む込むように握られている写真でした。
「杉下さんの奥様が、私の夫を誘惑したらしいのです。どうすればいいか、ご相談に伺ったのですが?」
文華はニヤリとしました。
左京はその写真を見てから、心臓が壊れそうなくらい速く動き始め、過呼吸になりそうです。
(まさか、樹里がそんな事を……。信じられないが、樹里も嬉しそうだ……)
樹里はいつも嬉しそうなのに、すでに動揺し過ぎて正しい思考ができなくなっている左京です。
あ、いつもできなくなっていますね。
「うるさい!」
そんな時でも地の文のボケは聞き逃さずに切れる左京です。
「私も、これを公にするつもりはありませんの。杉下さんのご主人と内密に処理できればと思っております」
妙に艶っぽい声と顔で文華が言ったので、左京はまた不倫したくなりました。
「なってねえよ!」
妄想が酷い地の文に切れる左京です。
「では、また日を改めてお伺いしますわね」
文華はフッと笑うと踵を返して歩いて行きました。
「ワンワン!」
しばらく呆然としていた左京にルーサが吠えました。
「あ、悪かったな、ルーサ。散歩に行こうか」
左京はクラクラしながらも、歩き出しました。ルーサも左京の様子がおかしいのに気づいているのか、ゆっくりと歩きました。
そして、左京は仕事も手につかない状態で一日を過ごし、夜になりました。
「只今帰りました」
樹里が帰宅しました。
「お帰り」
暗い表情で左京が出迎えたので、
「左京さん、どうしたのですか?」
樹里は真顔で尋ねました。左京はそれには応じずに写真を差し出しました。
「ああ、これは私が『カワイコちゃん』に務めていた時にお客様でいらしていた御法川様ですね」
樹里が言ったので、
「何だ、そうだったのか」
左京は途端に復活しました。
「ごめん、樹里。俺は樹里を疑ってしまった。許してくれ」
左京は自分の愚かさを反省し、謝罪しました。いっその事、離婚すればいいと思う地の文です。
「やめろ!」
血も涙もない地の文の言動に涙目で切れる左京です。
「いいですよ」
樹里はよくわかっていませんが、笑顔全開で応じました。
「ありがとう、樹里」
喜びのあまり、左京は樹里を抱きしめました。
「左京さん、子供達が見ていますよ」
いつの間にか、瑠里と冴里と乃里が見ていました。
「ああ……」
左京は顔を赤らめて樹里から離れました。
一方、そんな事とは想像もしない文華は悦に入っていました。
(きっと今頃、ご主人と喧嘩になっているわ。いい気味ね)
ニヤニヤしながら、ワインを嗜む文華です。
(何を笑っているのだろう?)
それを見て怯える源四郎です。
めでたし、めでたし。




