樹里ちゃん、保護者会の会長に乗り込まれる
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
先日、樹里は小学校の保護者会の会長である御法川文華に呼びつけられ、保護者会が終わった後で校長室に行くはずでしたが、忘れて帰宅してしまいました。
「大変申し訳ありませんでした」
樹里はすぐに小学校に電話をかけ、謝罪しました。ところが、文華はすでに帰っており、直接話せませんでした。
「樹里さん、お気になさらずに。御法川さんには私からお詫びしておきましたから」
バーコード川校長が言いました。
「バーコード川じゃねえよ! 今出川だよ!」
とんでもない言い間違いをした地の文に切れる今出川校長です。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。そして、その件はそれで片がついたと思われました。
それから一週間後の事です。
「では樹里様、お帰りの時にまた」
今回はとてもイレギュラーなストーリー展開です。昭和眼鏡男と愉快な仲間達はかろうじて登場できました。
「ありがとうございました」
樹里は深々とお辞儀をして、眼鏡男達を見送りました。
「樹里さーん!」
最近存在感が希薄になりつつあるもう一人のメイドもどきの目黒弥生が走ってきました。
「もどきじゃないわよ! 正真正銘のメイドよ!」
適切な表現をしたはずの地の文に切れる弥生です。
「おはようございます、弥生さん」
樹里は笑顔全開で挨拶しました。弥生は息を整えながら、
「今、小学校の保護者会の会長だという方からお電話がありまして、これからこちらに見えるそうです」
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。弥生は苦笑いをして、
「一瞬、あの作家のバアさんかと思うくらい高圧的な話し方だったですよ。どういう方なんですか?」
軽く高名な推理作家の大村美紗をディスりながら尋ねました。
「とてもいい方ですよ。ご主人が首相補佐官だそうです」
樹里が文華の豆知識を付け加えて言いました。
「ああ、そういう事ですね。多いんですよね、政治家の奥さんて。自分が偉くなった気がしてしまうんですよ」
あくまで弥生の個人的な感想だと断言する地の文です。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
樹里と弥生が庭掃除をしている時です。玄関の車寄せに長い車体の黒塗りのリムジンが停まりました。
樹里と弥生は掃除の手を止めて、玄関に駆け戻りました。
運転手が降りてきて、後部座席のドアを開きました。すると、文華がずいっと姿を見せました。
「いらっしゃいませ、御法川さん」
樹里は笑顔全開で言うと、頭を下げました。弥生もそれに倣いました。
「ご機嫌よう、杉下さん」
文華は斜に樹里を見て言いました。
(うわあ、あのババアによく似てる!)
弥生は微笑んだままで文華と美紗を同時にディスりました。
「今日はどうしてこちらに伺ったのか、おわかりになりまして?」
文華はフッと笑いました。
「申し訳ありません、わかりません」
樹里は笑顔全開で応じました。弥生はそれを見て引きつり全開です。
(樹里ちゃん、そこはもっと深刻な顔で言わないと!)
文華は樹里が笑顔で応じたので、キッとなりました。
「何がおかしいのですか!? 貴女が先日、保護者会の後で校長室に来るはずでしたのにそのままお帰りになったので、私は恥を掻いたのですよ!」
文華は樹里に詰め寄って言いました。
「そうなんですか。申し訳ありません」
樹里は深々と頭を下げて謝罪しました。
「ここでは何でしょうから、中でお話しください」
弥生が泥でできたような助け舟を出しました。
「何よ、その言い方!」
地の文の独特な慣用句に切れる弥生です。
「はっ!」
そんな事をしているうちに、樹里と文華は応接間に行ってしまっていました。
「樹里さん、お茶を淹れてきますね!」
慌てて追いかける弥生です。
樹里と文華はソファに向かい合って腰を下ろしました。
「杉下さん、どういうおつもりでおかえりになったのか、お話し願えますか?」
文華は身を乗り出して訊きました。樹里は、
「申し訳ありません。お約束を忘れてしまいました」
また笑顔全開で言ったので、
「何故貴女は笑って話すのですか!? こちらはどちらかというと、怒っていますのよ。もう少し、相手の事を思った応対ができないのですか?」
文華は美紗よりも威圧感丸出しで怒鳴りました。そして、
「しかも、忘れてしまいましただなんて、小学生が宿題を忘れた言い訳のように言わないでいただきたいわ」
ソファの背もたれに寄りかかりました。
「申し訳ありません」
樹里は真顔になって立ち上がり、深々と頭を下げました。
「頭を下げればいいというものではありませんわ。貴女は私を軽んじているのです。そういう事では、子供の教育に良くないと思います」
そこへ弥生が紅茶を淹れて入ってきました。
「失礼致します」
弥生はテーブルに紅茶のカップを置くと、一礼をして応接間を出ました。
「とにかく、あの時、お話したかった事を今申し上げます」
文華は紅茶を一口飲んでから言いました。
「はい」
樹里はソファに座りました。文華は咳払いをして、
「いいですか? 私の夫は首相補佐官ですのよ。その気になれば、貴女などどこにも働き口がないようにする事など雑作もない事なのです。わかりますか?」
「そうなんですか」
樹里は真顔全開で応じました。不甲斐ない夫の杉下左京がいたら、気絶しているでしょう。
その時でした。
「失礼しますよ」
そこへいきなり五反田氏が帰ってきました。文華は五反田氏と何度か財界のパーティで会った事があるので、びっくりして立ち上がりました。
「お邪魔しております、御法川の妻です」
畏まって挨拶する文華です。樹里も立ち上がって、
「お帰りなさいませ、旦那様」
深々と頭を下げました。五反田氏は樹里の隣に腰を下ろして、
「御法川君に伝えておいたのですが、奥さんの耳に入っていなかったようなので、直接お詫びをしようと思って帰宅しました」
「はい?」
文華はキョトンとして腰を下ろしました。五反田氏は樹里をチラッと見てから、
「実は小学校の保護者会があった日、私は急を要する事がありまして、樹里さんに連絡してあれこれ尋ねたのです。そのせいで、樹里さんは自分の用事を忘れてしまい、貴女にご迷惑をおかけしてしまったのです。申し訳ない。私からも謝らせていただきます」
頭を下げました。樹里はそれを見て立ち上がり、頭を下げました。
「そ、そうでしたの。わかりました。これでお話の辻褄が合いましたわ。では、私はこれで失礼します」
文華は逃げるようにして応接間を出て行きました。
「どうしたんだろうね、御法川夫人は?」
五反田氏が樹里に尋ねました。
「どうしたのでしょうか?」
樹里は笑顔全開で応じました。
(ババア、ざまあ)
心の中でほくそ笑む弥生です。
「どういう事ですの!? 貴方が私にきちんと話をしてくださらないから、私はまた恥を掻きましたわ! 帰ったら、お説教をします!」
文華はスマホで夫である首相補佐官に連絡し、文句を言いました。
(杉下樹里、ますます許せませんわ!)
更に樹里への恨みが募る文華です。
めでたし、めでたし。




