樹里ちゃん、左京が税理士を頼んだ事を告げられる
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
「左京さん、龍子さんからお電話ですよ」
朝早く、まだ樹里が出勤する前に左京は心臓が止まるかというくらい驚きました。
「そうなんですか」
樹里の口癖で応じるしかない程動揺して、家の電話に出る左京です。
「朝早くから申し訳ありません、左京さん。携帯の方におかけしたのですが、繋がらなかったので」
弁護士の坂本龍子の声はとてもすまなそうで、左京はキュンとしました。
「してねえよ!」
心情を捏造した地の文に切れる左京です。
「どうしたんですか、こんなに朝早くに?」
左京が尋ねると、
「実は、税務の事でお話があります」
龍子の言葉を聞き、左京はまた心臓が止まりそうになりました。
三度目の正直で、次は止まって欲しいと思う地の文です。
「うるさい!」
願望をつい口にしてしまった地の文にまた切れる左京です。
「税務の事?」
左京はとぼけて尋ねました。
「はい。左京さん、毎年確定申告の時期になると、大忙しになると聞きましたので」
「あはは」
龍子に言われ、左京は乾いた笑い声をあげるしかありません。
「笑い事ではありませんよ。今、国家財政は危機なんです。そのため、国税庁は小規模事業者でも容赦なく調査をして追徴を課そうとしているんです。正しい納税をしないと、払わなくてもいい加算税や延滞税を払わなければならなくなるんですよ」
龍子の声は真剣そのものです。でも、左京は想像を絶する程のルーズさを持つ男なので、無理だと思う地の文です。
「左京さん、聞いていますか?」
反応がない左京に龍子の鋭い声が言いました。
「はい、聞いてます」
左京はビクッとして応じました。
「だったら、専門家を頼んで、正しい納税をする。そして専門家に任せた分、自分は仕事に専念する。その方が、樹里さんも楽でしょう?」
龍子は左京が最終的には樹里におんぶに抱っこなのを知っていました。
「かはあ……」
痛いところを指摘された左京は悶絶しました。
「はい、そうですね」
左京は項垂れて応じました。
「今日の午前中、事務所の方に伺いますので、よろしくお願いします」
龍子はそれだけ言うと、左京の返事を待たずに通話を切ってしまいました。
「どうしたのですか、左京さん?」
樹里が笑顔全開で尋ねました。左京は引きつり全開で、
「坂本先生が、午前中に事務所に来るって。税務の事で」
すると樹里は、
「そうなんですか」
笑顔全開で応じました。
「樹里もいてくれないか?」
左京は揉み手を言いました。しかし、
「今日は旦那様のご友人方がたくさんおいでになって昼食会を開くので、無理です」
樹里は笑顔全開で断わりました。
「そうなんですか」
左京は悲しみ全開で応じました。
そして、樹里は出勤し、長女の瑠里は小学校へ行き、次女の冴里と三女の乃里は、左京と一緒に保育所に行きました。
「はあ……」
ゴールデンレトリバーのルーサの散歩を終えて、探偵事務所の玄関に辿り着いたところで、左京は大きな溜息を吐きました。
(憂鬱だなあ。龍子さんに事務所の懐事情まで知られると、今後の依頼に支障が出るかも知れない)
左京は龍子に探偵事務所の財務を知られたくないのです。
龍子は左京の事務所が厳しい状況だと知っているはずなのですが、それでも財布の中まで見られるのは嫌な左京です。
「おはようございます」
すると龍子が後ろから声をかけました。
「うひゃ!」
思わず飛び上がる左京です。
「ごめんなさい、驚かしてしまいましたか?」
左京が振り返ると、そこには龍子の他に龍子より若い女性が黒のスカートスーツ姿で立っていました。
その女性は黒髪を肩の上で切り揃えて、黒い縁の太い眼鏡をかけ、使い込まれた黒革の鞄を両手で持っていました。
「ああ、龍子さん、おはようございます。早かったですね」
左京は嫌な汗を掻きながら言いました。
「おはようございます」
龍子と女性は左京に挨拶をしました。
「それから、こちらは私の大学の後輩の沖田総子です」
龍子がもう一人の女性を紹介しました。
「沖田です。よろしくお願い致します」
沖田と呼ばれた女性は深々と頭を下げました。
「そうですか。中へどうぞ」
左京は沖田が何者なのかわからないまま、二人を事務所の中に入れました。
その頃、樹里は何事もなく五反田邸に着きました。
「では樹里様、お帰りの時にまた」
昭和眼鏡男と愉快な仲間達はかろうじて登場できた事を喜びながら、立ち去りました。
「ありがとうございました」
樹里は深々と頭を下げました。そして、もう一人のメイドは登場する事なく、また場面は左京の事務所に戻ると思う地の文です。
左京はソファで龍子と沖田総子と向かい合って話していました。
「沖田は優秀な税理士なのですが、何しろ引っ込み思案で大人しい性格なので、企業さんや個人事業主の方に営業をかける事ができず、開業したまではよかったのですが、今までほとんど顧客を獲得できていないのです」
話をしているとは言っても、話しているのはほとんど龍子で、左京は相槌程度、総子に至っては、一言も喋っていません。
「ですから、沖田の顧客になっていただけませんか? 顧問料はお安く致しますので」
龍子が言いました。
(これじゃあまるで、龍子さんが営業をしているみたいだよ。大丈夫なのか、この人に頼んで?)
左京は不安そうに総子を見ました。するとその視線に気づいた龍子が、
「左京さん、出納帳を見せていただけませんか? 沖田の実力をお目にかけますので」
「あ、はい」
左京は机の引き出しから出納帳を取り出して、総子に渡しました。
「拝見します」
総子はスッと出納帳を開くと、凄まじい速さで中身を見ていきました。そして、鞄から付箋紙を取り出すと、次々に貼っていきます。
(何だ?)
付箋紙の数が尋常ではないので、左京は総子が何をしているのかわかりません。
「こことここ、一度書いた数字を修正液で消して、上から書き直していますが、これはダメです。必ず訂正は二重線で消した上に数字を書いてください。修正前と修正後の数字がわかるように直さなければなりません」
総子は先程のおとなしい感じとは別人格になったのかと思うくらいの速さで喋っています。
「そして、こちらの支出は雑費になっていますが、摘要の内容で推察する限りでは、通信費が正しいかと思われます。それから……」
そんな状況が三十分程続いたところで、
「総子、もう十分よ」
龍子が止めました。
「す、すみません」
総子は左京に出納帳を返して頭を下げました。龍子は苦笑いをして、
「どうですか? 税理士としての能力が高いのはおわかりいただけましたか?」
「はあ、まあ」
左京も苦笑いして応じました。
そして、夜になりました。
「只今帰りました」
樹里が帰宅しました。
「お帰り、樹里」
左京は玄関で出迎えると、税理士を頼んだ事を樹里に言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
また波乱の予感がする地の文です。




