樹里ちゃん、確定申告をする
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
不甲斐ない夫の杉下左京の確定申告の時期がやってきました。
先月、法定調書で懲りたはずの左京でしたが、今度は弁護士の坂本龍子からの依頼が殺到し、全く申告の準備ができなくなっていました。
普通なら、離婚されても文句を言えない左京ですが、
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で左京の頼みを受けました。
法定調書の時は、樹里の姉の璃里が樹里に成り代わって説教したので、大いに反省したはずの左京なのですが、バカなので三歩歩いたら忘れてしまいました。
「誰が鶏だ!」
地の文の指摘に切れる左京です。
(あの時の樹里は璃里さんだったのか)
妙な事でエロい想像をしてしまう左京です。
「し、してねえぞ!」
図星を突かれて激しく動揺しながら地の文に切れる左京です。
(あの時、抱きついたのは璃里さんだった。勢いでキスしなくてよかった)
嫌な汗が全身から噴き出す左京です。
璃里の夫の竹之内一豊は温厚な性格ですが、流石に自分の妻が変態に抱きつかれてキスされれば、鬼の形相で変態を成敗すると思う地の文です。
「だ、誰が変態だ!」
地の文の妄想に切れる左京ですが、一豊が実際に怒ったらどんな感じなのかわからないので、震えてしまいました。
「左京さん、龍子さんにはお仕事の依頼を控えてもらってください」
樹里が笑顔全開で告げたので、
「はい!」
直立不動になって応じる左京です。でも、ヘタレなので龍子に言えないと思う地の文です。
「ううう……」
当たっているので項垂れるしかない左京です。
「取り敢えず、契約書、領収書を出してください。表集計ソフトで計算して、決算書を作ります」
樹里が言いました。
「そうなんですか」
樹里の言った事の半分も理解できていない阿呆です。
「うるせえ!」
本当の事しか言っていない地の文に切れる左京です。
左京は事務所の自分の机の引き出しに無造作に投げ込んである領収書をかき集め、別の引き出しから契約書を取り出し、急いで樹里の待つリヴィングルームに駆け戻りました。
「では、領収書を種類別に分けてください」
樹里の指示で、左京は昨年の決算書を見ながら、租税公課、水道光熱費、旅費交通費、通信費、広告宣伝費、接待交際費、損害保険料、修繕費、消耗品費、福利厚生費、雑費という具合に領収書を分けました。
「では、集計しますね」
樹里が凄まじい速さで表計算ソフトで必要経費を入力しました。
「乗用車は減価償却費がないですね」
樹里が言いました。
「そうなんですか」
減価償却費が何かわからない左京は引きつり全開で応じました。
「では次に契約書とお客様に渡した領収書の控えを見せてください」
樹里が相変わらずの笑顔全開で言います。
「はい!」
畏まって応じる左京です。樹里はまた凄まじい速度で契約書と領収書控えを付き合わせ、月毎の売り上げを集計していきました。
「現金出納帳を見せてください」
樹里が言うと、
「はい!」
左京はそれだけは毎日付けていたので、妙にドヤ顔で応じると、分厚くなったルーズリーフ式のノートを渡しました。
「十二月三十一日時点で支払っていない必要経費の請求書を揃えてください」
左京はそれも月毎にまとめていたので、またドヤ顔で渡しました。
「いちいち言うな!」
細かい事が気になってしまう地の文に切れる左京です。
「貸借対照表を作ります」
樹里がまた謎の言葉を言ったので、
「そうなんですか」
左京は苦笑いをして応じました。
こうして、確定申告の作業は順調に進みました。
「左京さん、昨年はお給料の支払いがなかったので、もしかすると所得税額が増えると思います」
樹里から衝撃的な事を言われた左京は、
「そうなんですか」
引きつり全開で応じました。
「でも、今年に入ってからも、龍子さんのお陰でお仕事がたくさんありましたから、支払いはできますね」
樹里が笑顔全開で言ったので、
「そうなんですか」
別の意味で顔を引きつらせてしまう左京です。
(樹里は暗に坂本先生からの依頼を減らせと言いたいのだろうか?)
龍子が頻繁に左京を連れ出すので、樹里がヤキモチを妬いたと思っている能天気です。
「うるさいよ!」
見事な推理を展開した地の文に理不尽に切れる左京です。
「よかったですね、左京さん。龍子さんに感謝しないといけませんね」
樹里のその言葉に左京はハッとしました。
(樹里は嫉妬などする人間じゃない。俺は何と浅ましい考えをしているんだ!)
ようやく自分のバカさ加減に気がついた左京です。
「やかましい!」
自覚しながらも、地の文に指摘されると腹が立つ自己中な左京です。
「思ったより、所得税額が多くなりませんでした。通帳には残高がたくさんありますから、引き落としは十分できますよ」
樹里が笑顔全開で言ったので、
「そ、そうか。よかった」
ホッとした顔になる左京です。
「では、後は印刷ですね」
樹里はPCを操作して、決算書と申告書を印刷しました。
「そろそろ、税理士に依頼した方がいいかも知れませんね」
樹里が笑顔全開で左京が恐れていた事を言ったので、
「いやあ、そこまでじゃないから、いいと思うんだけど」
脱税する気満々で言いました。税金芸人と同じ発想でしょうか?
「違う、断じて違う!」
地の文の描写に蒼ざめて切れる左京です。左京が恐れているのは龍子です。
弁護士は、税理士、社会保険労務士、行政書士など、登録申請をすれば別の士業もできるのです。
「左京さん、税務の事で困ったら、いつでも言ってください。無料で相談に応じますし、決算から申告までしますから」
龍子が目をウルウルさせてにじり寄ってきたのを思い出しました。
(もし、樹里が別の税理士に頼んだりしたら、龍子さんが怒るだろうなあ。だからと言って、樹里に龍子さんに頼むとは言えないし……)
左京が一人で悩んでいると、
「龍子さんが引き受けてくださるそうなので、お願いしたらどうですか?」
樹里に言われてしまいました。
「そうなんですか」
左京はその日一番の引きつり全開になりました。
めでたし、めでたし。




