樹里ちゃん、萌里と帰宅する
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
九月二十日に第四子の萌里を出産した樹里は、五泊六日の入院を終えて、母子共に元気に帰宅します。
今日は平日なので、不甲斐ない夫の杉下左京とその元不倫相手の水無月皐月が病院まで迎えに来ました。
「ありがとうございます」
樹里は笑顔全開で応じました。
ボケを完全にスルーされた地の文は立ち直れなくなりそうです。
「樹里さんにそっくりですね」
皐月が眠っている萌里を覗き込んで言いました。
「そうなんですか? 私は左京さんに似ていると思いますよ」
樹里が笑顔全開で言ったので、
「そうなんですか」
苦笑いして応じる皐月ですが、左京は感動して、
(そうなのか?)
少し期待して見たのですが、どこからどう見ても、樹里と瓜二つのそっくり母子にしか見えません。
(樹里は気を遣ってくれたのだろうか?)
そうも思う左京ですが、
(いや、樹里はそういう事を考えない純粋な心の持ち主だ)
樹里を讃えつつも、少し悲しくなる左京です。
母親の由里や姉の璃里は樹里が入院中に萌里を見に来たので、今日は来ません。
樹里の親友の松下なぎさが来る予定です。
(今から心の準備をしていないと)
左京は思いました。
ところが、樹里と萌里と皐月が後部座席に乗った時、
「ヤッホー、樹里」
突然そのなぎさが現れました。左京と皐月はギョッとしました。
「おはようございます、なぎささん」
樹里は笑顔全開で応じました。
「おはようございます」
左京と皐月は顔を引きつらせて応じました。
「おはよう、左京さん、ドロントさん」
いきなりの名前ボケをかまされ、皐月は引きつりが更に酷くなりました。
左京は苦笑いしています。
「ちょうどよかった。今、赤ちゃんを見に来たんだよ」
なぎさは何の断わりもなく、助手席に乗り込みました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開ですが、左京と皐月は唖然としています。
(今日は自宅に来るはずだったのに、どうしてこっちに現れたんだ?)
いつもながらのなぎさの神出鬼没さに驚く左京です。
「海流君と紗栄ちゃんは栄一郎さんが見ているのですか?」
樹里が尋ねると、なぎさはハッとして、
「ああ、二人を連れてきているの、忘れちゃった!」
テヘッと笑って、なぎさは車を降り、病院の車寄せの端にあるベビーカーに近づきました。そこには泣き出しそうな海流もいました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じましたが、左京と皐月は呆然全開です。
ベビーカーは左京の車には乗らないので、左京がなぎさと一緒に歩いて帰る事になり、皐月の運転で樹里と萌里は帰りました。
左京はなぎさと一緒に帰れるので、ウハウハです。
「やめろ!」
若干当たっているので、動揺して切れる左京です。
しかし、海流は全く左京に近づこうとせず、紗栄は泣きやみません。
「ごめんね、左京さん。海流は男の人に慣れてなくて」
なぎさが珍しくまともな謝罪をしたので、左京はびっくりしました。
「いやいや、このくらいの子は大人の男は怖いでしょうから」
左京は微笑んで応じました。
「よしよし」
なぎさは泣き止まない紗栄を抱き上げると、予告なくいきなり授乳を始めました。
それには左京だけではなく、近くを歩いていた全ての人が仰天しました。
やがて紗栄はそのまま眠ってしまいました。
なぎさは紗栄をベビーカーに戻しました。
「さ、行きましょう」
ニコッとしたなぎさを見て、左京は、
(可愛い)
欲情しました。
「してねえよ!」
顔を真っ赤にして地の文に切れる左京です。
しばらくして、左京となぎさは樹里の自宅に着きました。
「お疲れ様です」
門扉の前で皐月が待っていてくれました。
左京がなぎさとイチャイチャしているのではないかと思ったからです。
「思ってません!」
名推理を展開したはずの地の文に抗議する皐月です。
なぎさはようやくリヴィングルームに仮置きしたベビーベッドで萌里に対面しました。
「乃里ちゃん、大きくなったね」
また名前ボケするなぎさです。
「乃里ではなくて、萌里ですよ」
樹里が笑顔全開で訂正しました。
「ああ、そうなんだ。改名したの?」
まだボケるなぎさです。
「乃里はもう三歳ですよ」
樹里が更に訂正しました。
「ああ、そうんなんだ。乃里ちゃんにしては小さいと思ったんだ」
またテヘッと笑うなぎさです。
海流も萌里に興味があるのか、なぎさの脚の陰からチラチラ見ています。
「海流君、赤ちゃん、見たいの?」
樹里が笑顔全開で尋ねました。すると海流は顔を赤らめて、小さく頷きました。
「どうぞ」
樹里は海流の手を引いてベッドのすぐ近くに誘導しました。
小さな命が真っ白なタオルに包まれて眠っているのを見て、海流は涙ぐみました。
「どうしたの、海流?」
なぎさがしゃがみ込んで訊きました。
「お腹痛いの?」
見当外れの事を尋ねるなぎさに海流は唖然としました。
「はいはい、トイレね」
なぎさは抱いていた紗栄を左京に預けると、海流の手を引いてリヴィングルームを出て行きました。
「樹里」
左京は紗栄が目を覚ましそうになったので、慌てて樹里に託そうとしましたが、
「大丈夫ですよ。左京さんは四人の女の子のパパですよ」
樹里に笑顔全開で往なされてしまいました。
「そ、そうだな」
顔を引きつらせながらも、左京は紗栄を抱き直して、ゆっくりと左右に揺らしました。
そんな様子を見ていた皐月は、
(いいなあ、赤ちゃん。私も欲しいな)
早速左京にお願いしようと思いました。
「違います!」
地の文の悪趣味なジョークに激ギレする皐月です。
するとそこへなぎさがプリプリして海流と戻ってきました。
「もう、海流ったら、うんちどころか、おしっこも出ないの」
なぎさが睨んだので、海流は俯いて涙ぐみました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
(頑張れ、海流君)
左京は海流を心の中で応援しました。
めでたし、めでたし。




