樹里ちゃん、シャーロット・ホームズと対決する
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
先日、不甲斐ないだけが取り柄の夫の杉下左京が、シャーロット・ホームズというあばずれに誘惑されました。
「やめろ!」
樹里に絶対に知られたくない左京が、「不甲斐ないだけが取り柄」という地の文のボケをスルーして、激ギレしました。
(結局、言いそびれて、樹里に謝れなかった)
小心者の左京は、それ以来樹里と面と向かって話した事がありません。
いつものように樹里、長女の瑠里を送り出して、次女の冴里と三女の乃里を保育所に送り届けると、ゴールデンレトリバーのルーサの散歩に行きました。
「ワンワン!」
ルーサはまるで、
「隠し事は良くないぞ」
そう言っているかのように吠えました。
しかし、左京の妙な気遣いも全く意味がありませんでした。
「樹里さん、左京さんがシャーロット・ホームズにキスされたの、知ってます?」
口から先に生まれた腹黒弥生が教えていたのです。
「腹黒じゃなくて、目黒!」
どこかで地の文に猛抗議する弥生です。
「そうなんですか」
それでも樹里は笑顔全開で応じました。
(樹里ちゃん、その反応、左京さんが知ったら、別の意味で傷つく……)
弥生は顔を引きつらせました。
樹里はその日、帰宅しても左京にシャーロットとの事を訊いたりしませんでした。
どうやら、離婚を決意したようです。
「かはあ……」
何となくそんな予感がしていた左京が人知れず、探偵事務所で悶絶しました。
(離婚を言い出されたら、何も言い返せない。でも、子供達には毎日会いたい)
自分で原因を作っておいて、身勝手な事を考える左京です。某ケンさんを見習って欲しいと思う地の文です。
「見習えねえよ!」
自分の方がマシだと思っている左京が地の文に切れました。
「話してしまったの!?」
弥生から相談を受けた五反田邸住み込み医師の長月葉月はびっくりして叫びました。
「はい」
気まずそうなふりをする弥生です。
「気まずいと思っているわよ!」
今更ながら、反省している弥生です。
「貴女から聞いてしまったら、樹里さんだって、左京さんに確認しづらいわよ。全く、軽率ね」
葉月に厳しく叱られ、弥生はしょんぼりしてしまいました。
「とにかく、仕事に戻りなさい。首領に相談してみるから」
葉月は呆れ気味に言いました。
「お願いします」
弥生は項垂れたまま、葉月の部屋を出ました。
樹里は五反田邸の庭掃除をしていました。
「樹里さん、すみません、残りは私がやります」
弥生が駆けてきて言いました。
「弥生さん」
樹里は掃除用具を弥生に渡しながら言いました。
「はい」
素っ頓狂な声で応じる弥生です。
「もう終わりました」
樹里が言ったので、すってんころりんと空中回転をしてしまう弥生です。
でも、警備員さん達はそれに気づいていないので、パンチラは見られませんでした。
「我々はそのような事をしてはいません!」
全力で不定する警備員さん達です。
「樹里さん!」
弥生は玄関へ歩いて行ってしまう樹里を追いかけました。
「わかりました。国際問題は避けねばなりません。関係各所へ話を通しておきます」
渋い顔でスマホの通話を切ったのは、法務大臣の掛家淳子です。
(どうして、英国大使館から圧力がかかるのよ。たかが犯罪者一人への面会如きで)
掛家法相はムッとしてスマホをスーツの内ポケットに入れました。そして、机の上のインターフォンを押して、
「東京拘置所へ繋いで」
忌々しそうな顔で告げる掛家法相です。
「法務大臣に直々に電話があったようです」
警視総監が誰かとスマホで話しています。
「日本警察の恥部を晒すようで非常に不愉快なのですが、外務省を通してのハイレベルな圧力なので、致し方ありません」
警視総監は椅子から立ち上がり、
「野矢亜剛、いや、東島俊秀への面会を認めるしかありませんね」
苦々しそうに言いました。
「そう、ありがとう、ダディ」
シャーロットは探偵事務所の所長室で父親であるモーリー・ホームズと国際電話で話していました。
「ええ、わかったわ。お休み」
シャーロットは受話器を戻しました。
(これでドロントの正体に迫れるけど……)
シャーロットは少しも嬉しそうではありません。今朝食べたフィッシュ&チップスが当たって、お腹が痛いのです。
「違います!」
途方もない嘘を吐いた地の文に切れるシャーロットです。
「左京さん……」
シャーロットは椅子の背もたれに寄りかかって呟きました。
「はっ!」
インターフォンの呼び出し音に驚いて、飛び起きました。外は夕焼け空です。
(眠ってしまっていた……。もうこんな時間!)
シャーロットは壁掛け時計を見て驚き、慌ててインターフォンに出ました。
「はい」
「御徒町樹里様がお見えです」
受付の女性の言葉にシャーロットは心臓が飛び出そうになりました。
不倫相手の左京の妻の樹里が来たからです。
「不倫はしていません!」
キスは不倫ではないと考えているシャーロットが地の文に切れました。
「お通しして」
シャーロットはそれだけ言うと、すぐに身だしなみを整え、髪を梳かして坐り直しました。
まもなく、ドアがノックされました。
「どうぞ」
「失礼致します」
樹里が一人で入ってきました。シャーロットは緊張して立ち上がると、
「いらっしゃいませ、樹里さん。本日はどのようなご用件で?」
顔を引きつらせて無理に笑顔を作りました。
「夫の事でお伺いしました」
樹里は笑顔全開で言いました。それが逆に怖いシャーロットです。
「どうぞ、おかけになってください。何か飲みますか?」
シャーロットはバーカウンターに向かいながら尋ねましたが、
「いえ、すぐに失礼しますので、結構です」
尚も笑顔全開の樹里なので、震えそうになるシャーロットです。それでも意を決して、樹里と向かい合ってソファに腰を下ろしました。
「先日は大変申し訳ありませんでした」
樹里がいきなり謝罪したので、シャーロットはすっかり面食らってしまいました。
「え、あの、どういう事でしょうか?」
シャーロットは動転しながら訊きました。
「夫の左京は、女性には誰にも優しく振舞ってしまいますので、ホームズさんにもそうだったのだろうと思います」
樹里は真顔で言いました。それはそれで怖いシャーロットです。
「夫は不器用なのです。女性に優しく接する事で、誤解を与えてしまうのがわかっていながら、そうしてしまうのです」
樹里の言葉に、
「そうなんですか」
樹里の口癖で応じるしかないシャーロットです。そして、
「お気になさらないでください。あくまでも親愛の情です。杉下先生に恋愛感情を抱いている訳ではありませんから」
苦笑いをして応じました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
やがて樹里は納得したのか、帰って行きました。
(ダメだ。私、本気で左京さんに惹かれているみたい)
シャーロットは自分の気持ちを偽ったのをとても心苦しく感じたのでした。
何故こうもあの四十代男がモテるのか、二十一世紀最大の疑問だと思う地の文です。
まだ波乱は続くのでした。




