樹里ちゃん、有栖川倫子を気遣う
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
五反田氏の愛娘の麻耶の家庭教師であった有栖川倫子がクビになって、樹里の長女の瑠里の家庭教師になりました。
「クビじゃないわよ! まだ麻耶お嬢様の家庭教師も続けているわよ!」
地の文の分析を真っ向から否定して切れる倫子です。
「行ってらっしゃい」
そんな悲しい過去を振り切って、笑顔で樹里を見送る倫子です。
「だから、悲しい過去なんてないから!」
捏造を繰り広げる地の文に切れる倫子です。
倫子の隣に立っているのは、不倫を熱望している左京です。
「違う! 絶対に違う!」
全力全開で否定する左京です。
「さあ、冴里ちゃん、乃里ちゃん、おばちゃんと保育所へ行こうね」
倫子は自嘲気味に言いました。
「りんこさんはおばちゃんじゃないよ。おねえちゃんだよ」
冴里が言いました。
「だよ」
乃里も以下同文で言いました。
「ありがとう、二人共」
心の底から感激して冴里と乃里を抱きしめる倫子です。
それを羨ましそうに見ている左京です。
「そういう意味じゃないぞ!」
左京は倫子ではなく、冴里と乃里を抱きしめたかったのです。
(有栖川さんが来て以来、疎外感が強い)
左京は娘達が皆、倫子に懐いているので、ちょっと悔しいのです。
「よし、ルーサ、散歩に行くぞ!」
「ワンワン!」
最近、ようやくルーサと仲良くなれた気がする左京です。
(長い道のりだった……)
頭の中で、某○ロジェクトXのテーマ曲が鳴り響いている左京です。
(また会うのかな?)
左京はルーサの散歩が楽しみなのではなく、途中で出会うシャーロットの美脚が楽しみなのです。
「やめろ!」
真相を究明した地の文に切れる左京です。
(やっぱり、ドロント一味に関わりがあった俺に近づきたいのだろうか?)
シャーロットも不倫相手に想定しているクズの左京です。
「違うぞ!」
慌てて地の文に切れる左京ですが、
「おはようございます、杉下先生」
タンクトップにショートパンツ姿のシャーロットが現れたので、
「お、おはようございます、ホームズさん」
動揺しながら挨拶をする左京です。目はしっかりシャーロットの太ももに注がれています。
「やめてください」
しつこい地の文の指摘にとうとう降参する左京です。
シャーロットは挨拶をしただけで、サッサと駆け去ってしまいました。
「ああ……」
露骨にがっかりする左京です。早速、樹里にメールをしましょう。
「勘弁してください」
会心の土下座をして地の文に懇願する左京です。
(いつもよりペースが速い気がする)
左京はたちまち見えなくなったシャーロットの速さに首を傾げました。
時々関係ないところで名推理をするのが左京です。
シャーロットは左京から見えないところまで走り切ると、ちょうど保育所から戻ってきた倫子に出くわしました。
「おはようございます」
倫子はシャーロットと承知でにこやかに挨拶しました。
「おはようございます」
シャーロットは倫子がドロントとは思っておらず、樹里の家に突然現れたドロントと同世代と思われる女性に興味を持っていました。
しかし、それを悟られるのはまずいと考えているので、挨拶だけで駆け去りました。
(ルーサの散歩コースに現れるのは、左京さんと親しくなりたいからかしら? それとも……)
気づかれたとは思いたくない倫子ですが、一抹の不安は拭いきれませんでした。
(急に無視するのもおかしいから、挨拶はするとして、それ以上の言葉は交わさない方が無難ね)
倫子は振り返らないシャーロットを確認してから、門扉を開けて庭に入りました。そして、そのまま庭を横切り、探偵事務所の玄関へと進みました。
(あの女性、背格好もドロントと似ているし、年代も近い気がする。偶然?)
シャーロットは早くも倫子に疑惑の目を向けていました。
(警視庁の知り合いに確認したけど、ドロントは随分長い間鳴りを潜めているって聞いたわ)
ドロントに予告通り盗まれて、父であるモーリー・ホームズは探偵業を引退する事になりました。
シャーロットは私怨ではないと自分に言い聞かせながらも、どうしてもドロントを捕まえたい気持ちが強くなっています。
「まずは外堀を埋める事に専念しましょうか」
シャーロットはまたペースを上げて事務所を目指しました。
左京が散歩から帰り、事務所へ行くと、ポニーテールの倫子が掃除を終えたところでした。
「お疲れ様です」
左京が声をかけると、倫子はポニーテールを揺らして振り返り、
「お疲れ様です」
微笑んで応じました。
(可憐だ)
ポニーテールが好きな左京はにんまりしました。
「してねえよ!」
地の文に切れる左京ですが、見とれていたのは事実です。
「ううう……」
昔からポニーテールが好きなので、ぐうの音も出ない左京です。
その時、電話が鳴りました。
「お電話ありがとうございます、杉下左京探偵事務所です」
倫子が素早く反応して受話器を取りました。
「はい?」
電話の相手が怒鳴っているのは、左京にもわかりました。
「少々お待ちください」
倫子は左京に受話器を差し出しました。
「お電話代わりました」
左京が告げると、
「左京さん、今の女、誰ですか!?」
通話の相手は坂本龍子弁護士でした。
(あちゃあ……)
どっと疲れが出る左京ですが、
「五反田邸にいた有栖川倫子さんだよ。瑠里の家庭教師をお願いしているんだ」
すると龍子は、
「どうして瑠里ちゃんの家庭教師が、探偵事務所の電話に出るんですか!?」
火も噴かんばかりの勢いで言いました。
「樹里が頼んだんだよ。疑うのなら、樹里に直接訊いてくれ」
左京が強い調子て返すと、
「わかりました、訊いてみます」
龍子はそれで電話を切りました。
「すみません、電話に出ると、まずいですか?」
申し訳なさそうに倫子が尋ねました。左京は苦笑いをして、
「大丈夫です。一人でいてもらう事もあるでしょうから、どんどん出てもらって構わないです」
「そうですか」
倫子も苦笑いをして応じ、
「お茶を淹れますね」
給湯室へ行きました。
その樹里は、ちょうど庭掃除から玄関に戻ったところでした。
「はい」
樹里は龍子からの通話なのを確認してから応じました。
「樹里さん、今、有栖川先生が探偵事務所の電話に出られたのですが、本当に樹里さんがお願いしたのですか?」
龍子は興奮気味なのか、大きな声で尋ねたので、
「はい、そうですよ」
驚いた樹里はスマホを少し放した状態で言いました。
「わかりました。お忙しいのに申し訳ありません」
龍子はそれだけで通話を切りました。
「有栖川先生のせいで、左京さんが疑われているみたいですね」
そばで聞いていた目黒弥生が苦笑いして言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じると、すぐに倫子に電話しました。
「はい、有栖川です」
倫子はワンコールで出ました。
「有栖川先生、申し訳ありません。私が皆さんにお伝えしなかったばかりに、ご迷惑をおかけしたみたいで」
樹里がお詫びを言うと、
「ご丁寧にありがとうございます。私より、むしろ左京さんが大変だったみたいなので」
倫子が言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
いろいろ波乱の予感がする地の文です。