樹里ちゃん、目黒弥生に心配される
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
樹里は長女の瑠里が勉強を真剣にしないので、五反田邸の住み込み家庭教師である有栖川倫子に瑠里の家庭教師をしてくれるように頼みました。
有栖川倫子は実は世界的な大泥棒のドロントなので、樹里の家の近所にできたかつての敵であるシャーロット・ホームズの探偵事務所を偵察するために樹里の家の住み込みの家庭教師になりました。
そんな事とは知らない(?)樹里は倫子を歓迎し、不甲斐ない夫の杉下左京は倫子と不倫ができると喜びました。
「違う! 何が何でも違う!」
事実をありのままに述べたはずの地の文に切れる左京です。
「では、行って参りますね」
樹里は笑顔全開で出勤します。
「行ってらっしゃい」
倫子は微笑んで応じました。その隣で引きつっている左京です。
(夕べは気になって眠れなかった)
倫子がドロントだと薄々わかっている左京は、彼女がどういうつもりで住み込みの家庭教師を引き受けたのか考えていて、眠れなかったのです。
(やっぱり、シャーロット・ホームズの事務所がらみか?)
いつになく名推理を展開する左京です。
「冴里ちゃんと乃里ちゃんは私が保育所まで送ります」
倫子はすっかり懐いてくれた二人を連れて保育所へ行きました。
「よし、ルーサ、散歩に行くぞ」
手持ち無沙汰になった左京はルーサを連れて散歩に出かけました。
「ワンワン!」
ルーサがいつもと違うコースを走りました。
「どうした、ルーサ、何かあるのか?」
グイグイ引っ張るルーサに引きずられるようにしてついて行くと、前から見た事がある女性が走ってきました。
ピンクのタンクトップにマリンブルーのショートパンツと真っ白なランニングシューズを履き、グリーンのサンバイザーを被ったシャーロットでした。
「あら、おはようございます、杉下先生」
シャーロットが気さくに声をかけてきました。
「あ、おはようございます」
左京はシャーロットの綺麗な脚を凝視して応じました。
「やめろ!」
真実を述べた地の文に動揺して切れる左京です。
「大きなワンちゃんですね。ゴールデンレトリバーですか?」
シャーロットはルーサの前にしゃがみ込み、頭を撫でました。
「え、あ、はい」
左京はシャーロットの胸元をジッと見て言いました。
「やめてください」
降参した左京が地の文に懇願しました。
「またお会いしましょう」
シャーロットは爽やかな笑顔でその豊満な胸をゆさゆささせて走り去りました。
左京はしばらくその後ろ姿を見送っていましたが、
「ワンワン!」
ルーサに急かされて、散歩を再開しました。
以前より長距離を散歩した左京はヘトヘトになりながら、帰宅しました。
そして、シャワーを浴びて着替えをすると、事務所へ行きました。
「あ、所長、掃除終わりました」
倫子が長い髪をポニーテールにして、スカートスーツの上着を自分の席の椅子にかけて言いました。
「あ、ありがとうございます」
左京はまた倫子がドロントである事を思い出し、先程会ったシャーロットの事もあって、顔を赤らめました。
「お茶淹れますね」
倫子は微笑んで応じると、給湯室へと歩き出しました。
(でも、雰囲気が違うんだよなあ。ドロントはもっとツンケンしていて、話し方が下品だった)
また倫子=ドロント説を否定する左京ですが、それは倫子をディスっているのと同じだと思う地の文です。
「どうぞ」
そんな事を考えていると、倫子がお茶を出してくれました。
「ありがとうございます」
左京はすぐに茶碗を口元に持って行きました。
「あ、熱いですよ……」
倫子が注意する間もなく、
「あぢい!」
慌てて口から茶碗を放す左京です。
「すみません。もう少し冷ましてから淹れるべきでしたね」
倫子が詫びたので、
「いや、俺がおっちょこちょいなだけですから、気にしないでください」
左京は顔を赤らめて応じました。
樹里は何事もなく、五反田邸に到着しました。
「では樹里様、お帰りの時にまた」
台詞がたった一言でも、きっちり仕事をして去る昭和眼鏡男と愉快な仲間達です。
「樹里さん、おはようございます」
門の前で待っていたもう一人のメイドの目黒弥生が挨拶しました。
「おはようございます」
樹里は笑顔全開で応じました。
「樹里さん、大丈夫ですか?」
弥生が尋ねました。樹里は笑顔全開で、
「大丈夫ですよ」
弥生は苦笑いをして、
「その、有栖川先生、住み込みで樹里さんの家にいるんですよね?」
「はい」
樹里は笑顔全開のままです。
「左京さんとおかしな事になりませんかね?」
弥生が言いにくそうに告げました。
「おかしな事? どんな事ですか?」
樹里は笑顔全開のままです。弥生は少しイラッとして、
「有栖川先生は三十歳を過ぎていますけど、結構な美人ですから、左京さんがついですね……」
踏み込んだ事を言いました。しかし、すでに樹里は邸に入った後でした。
「樹里さん、話を聞いてくださいよお!」
涙ぐんで樹里を追いかける弥生です。
「有栖川先生、ああ見えて結構な肉食なんですよ。気になりませんか?」
ロビーで更に尋ねる弥生ですが、
「お肉なら、たくさん冷凍してありますから、大丈夫ですよ」
樹里は笑顔全開で途方もない方向からの返球をしてきました。
「もういいです」
弥生は項垂れて、やりかけていた廊下の掃除を再開しました。
「そうなんですか?」
樹里は首を傾げて応じました。
(少なくとも、樹里ちゃんは全然首領と左京さんの事を心配していないのね)
弥生は左京が何故か女性にモテるのを知っているので、倫子がその気になったら、左京が危ないと思っているのです。
そして、その日の夜、樹里は帰宅すると腕によりをかけてたくさんの肉料理を作りました。
「わーい!」
瑠里と冴里は大喜びです。乃里はまだ食べられないのですが、真似して喜んでいます。
「有栖川先生がお肉が大好きだと弥生さんから聞きましたので」
樹里が笑顔全開で倫子の前に幾皿も料理を並べて言いました。
「そうなんですか」
倫子は顔を引きつらせて応じました。
(キャビー、何を言ったのよ! 私、肉料理は苦手なのよ!)
後できっちり弥生を説教をしようと思う倫子です。
めでたし、めでたし。