樹里ちゃん、悪霊に狙われる
俺は杉下左京。東京の五反田駅前に探偵事務所を構える元警視庁の警部だ。
先日、元同僚で、現在ウチの事務所の所員である宮部ありさが、自分の特殊能力である幽体離脱を悪用し、とんでもない事に俺の婚約者の御徒町樹里に乗り移った。
高校時代からの腐れ縁であるありさは、その性格の悪さで樹里を操って俺に迫らせた。
俺はそのせいで、もう少しで脳内出血しそうになった。
しかし、高名な霊能者から譲り受けたお札で、悪霊ありさを撃退した。
そして俺は今までの彼女に対する「悪行」を詫び、樹里にだけは手を出さないで欲しいと懇願した。
ありさは表面上は承諾したように見えた。
しかし、あいつの性格を良く知る俺は、別の手立てをうち、樹里を守る事にした。
「今日も暇ねえ」
いつの間にか、自分専用の机を持ち込み、椅子にふんぞり返ったありさが呟く。
「そうだな」
俺は大人だ。ありさを追い出したい心境だが、そんな事はしない。
普段はごく普通に接している。
「樹里ちゃんは、お仕事?」
付け爪の手入れをしながら、ありさが色目を使って来る。
「もうすぐ帰って来るよ」
俺は素っ気なく言う。ありさは席を立ち、俺に近づく。
「じゃあさあ、彼女が帰って来る前に、ね?」
「な、何だ!?」
俺はギクッとして椅子から立ち上がり、後ずさる。
「左京ったら、ホントにスケベなんだからあ。何考えてるのよ」
ありさはニヤニヤして言った。またこいつにからかわれたのか。くそ!
「私、営業に行って来るわ。昔の同僚がいるから、その辺を当たってみる」
「そ、そうか」
「じゃあね」
ありさは俺に投げキッスをして、事務所を出て行った。俺は素早くそれをかわしたが。
おかしい。あいつが営業に行くなんてあり得ない。
ありさがここで働くようになって(実際にはお茶を飲んでいるか、爪を磨いているかのどちらかしかしていないが)、そんな事を言った事はない。
何を企んでいるんだ?
もしかして、樹里を待ち伏せして、また乗り移るつもりか?
だが、今回はそんな事はできないはずだ。
「遅くなりました」
そこへ樹里が来た。いつものように笑顔全開。俺の鼻の下は二倍。
いつ見ても、こいつ、最高だ。可愛い。
「いや、遅くないよ。丁度いいタイミングだ」
「そうなんですか」
樹里の笑顔で、俺はその日のストレスを解消している。
しかし、先程の不安が頭の中を過ぎった。
「樹里、お札はきちんと貼っているか?」
「はい。おへその上に貼っていますよ」
いきなりそれを見せようとする樹里を、俺は慌てて止めた。
「ああ、いいよ、見せなくて! 貼ってあればそれでいいんだ」
「そうなんですか」
樹里はニコッとして言った。
そう。樹里に新に購入した悪霊避けのお札を貼らせているのだ。
これであの女も、樹里に乗り移る事はできない。
しかし、甘かった。俺は準備不足だったのだ。
「ぐ!」
何かで後頭部をガンと殴られたような衝撃を受け、俺は倒れた。
「左京さん!」
樹里が驚いて俺に駆け寄る。
良かった。樹里が俺を「左京さん」と呼んでくれている。
などと感激している場合ではない。
何者かの襲撃か? しかし、どこから……。
「ほい」
俺の意識と無関係に、俺の身体は勝手に立ち上がる。
「ふーん。なるほどね」
俺の身体は、何故かジーパンの中を覗いていた。
何してるんだ、俺?
「確かに現状で不満ないかな」
え? 何言ってるんだ、俺?
「樹里」
俺は樹里を見た。俺の意識とは関係なく。
「はい」
「お札、もういらないだろう? 剥がしていいよ」
あああ! わかったぞ! ありさだな! あいつが俺に乗り移って、こんな事を言わせてるんだ!
畜生、何て悪知恵の働く奴なんだ!
「はい」
あああ! 素直過ぎる樹里は着ている服を捲りあげる。彼女のかわいいへそとお札が見える。
おおお。思わず感動してしまう自分が情けない。
樹里はニコニコしながらお札を剥がしてしまった。
ダメだ、樹里! ありさに身体を乗っ取られるぞ!
叫びたいが、今俺はありさの霊に乗り移られて、身体の自由が利かない。
どうする、左京!? 樹里がピンチだ!
「はい」
樹里は笑顔で、剥がしたお札を俺の額に貼り付けた。
「キャーッ!」
途端にありさの霊が俺から離れた。
「な、何て事するのよ、貴女は!?」
ありさ得意の逆ギレだ。見苦しい奴。
「それはこっちのセリフだ、ありさ!」
俺はありさを睨みつけた。しかし、額にお札が貼られたままなので、間抜けだ。樹里が、
「左京さんを困らせてはダメですよ、ありささん」
と笑顔で諭す。
「見抜いていたのね、あんた」
ありさは樹里を憎らしそうに睨んだ。
「何よ、みんなして、私を邪魔者扱いしてェッ!」
ありさの霊は、ボンと消えてしまった。
「左京さん」
樹里が俺を見た。俺はお札を剥がして、
「何だ?」
「ありささんが可哀相です。優しくしてあげて下さい」
樹里の言葉に、俺はハッとした。
「ああ。そうするよ」
俺も笑顔で応じた。
しかし、俺は数日後、別の事で仰天した。
俺はてっきり同じ霊能者に頼んだつもりだったのだが、違っていたのだ。
一枚目は、パテッ○ス並みの安さだったのに、二枚目は結婚指輪並みだったのだ。
請求書をよく見てみると、
「八木麗華霊能研究所」
と書かれていた。
ああ。相変わらず、詰めが甘い俺だった。