樹里ちゃん、ひな祭りをする
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
今日は日曜日です。でも、樹里は五反田邸にいます。
しかも、長女の瑠里、次女の冴里、三女の乃里も一緒です。
そして、残念ながら、あの芸人と一緒で、離婚が成立した杉下左京はいません。
「確かにいねえけど、離婚は成立してねえよ!」
どこがで猫を探しながら地の文に切れる左京です。
五反田氏の愛娘である麻耶が志望していた大学の二次試験を終え、家族がほっと一息吐けたのと、時期的にひな祭りだったので、関係者を招いて盛大にお祝いをしようという事になったのです。
不要不急の集会は控える時期だというご批判もありましょうが、この世界は現実の世界ではないので、ご容赦いただきたいと思う地の文です。
「可愛い!」
しばらくぶりに瑠里達に会った麻耶は感激しています。
「まやおねえちゃん!」
瑠里は麻耶を覚えていましたが、冴里は少し忘れかけていたようで、全く記憶にない乃里と共に樹里の後ろに隠れてしまいました。
「ごめんねえ、私だけ喜んじゃって。怖かったよね」
麻耶はすぐに冴里と打ち解け、乃里も直に懐きました。
多分、左京より早かったと思う地の文です。
「ううう……」
実際、三人共左京に慣れるのに時間がかかったので、地の文に何も言えませんでした。
「おおお!」
広大な庭に造られた特設ステージの上には、二十四段飾りの雛人形が並べられていました。
招待客のほとんどが唖然とするくらいの規模です。
麻耶はそれを見て苦笑いです。
「どれだけお父様は私をお嫁にやりたくないのかしら?」
麻耶は小声で母親の澄子に言いました。
「何があっても、麻耶にはお婿さんを取らせるって、お父様はおっしゃっているわよ」
澄子は微笑んで応じました。麻耶は溜息を吐いて、
「さすがにはじめ君も、お婿さんは無理よ。彼も一人っ子だから」
はじめは多分、もう貴女とは付き合いたくないと思っているでしょう。
「そんな事ありません!」
地の文の妄想に強く抗議を申し入れる麻耶です。しかし、最近、少し不安なのも確かです。
はじめは二次試験は麻耶と受けられたのですが、合格には自信がないようなのです。
(はじめ君、泣いてた。きっと不合格だって……)
麻耶はそんなはじめにかける言葉を思いつけませんでした。
「一人っ子とはダメだぞ、麻耶。麻耶の夫には、五反田グループを任せるのだからな」
どこから話を聞いていたのか、五反田氏が麻耶に言いました。麻耶はギクッとして、
「何よ、お父様。私の結婚相手は、私が決めるわ。それに五反田グループの跡継ぎなんて、まだ先の話でしょ!」
「そう先の話ではない。後継者を育てるためには、十年以上の年月が必要だ。麻耶は私が今年で何歳か、忘れたのか?」
五反田氏は悲しそうに尋ねました。麻耶はムッとして、
「忘れる訳ないでしょ! 自分の父親の歳を忘れる子供はいないわ」
そして、
「六十三歳よ。まだまだ若いわ、お父様」
ニコッとして小首を傾げました。周囲にいた麻耶を狙っているグループの若手有望株が色めき立ちました。
(麻耶様は私が幸せにします、CEO!)
皆が勝手に麻耶との新婚生活を思い描きました。
「だが、麻耶が結婚するまでにはまだ何年か間がある。それから後継者を育てるとすると、私は七十代後半だよ」
自嘲気味に告げる五反田氏です。麻耶は澄子と顔を見合わせてしまいました。
「おっと、いかん。今日はひな祭りなのだから、こんな湿っぽい話はN Gだな」
五反田氏は苦笑いをして頭を掻きました。
「そうね」
麻耶と澄子は微笑んで応じました。
「六ちゃん、おめでとう!」
そこへ最強の自由人である松下なぎさが夫の栄一郎と共に現れました。
長男の海流はなぎさの後ろに隠れるように歩いており、長女の紗栄は栄一郎がベビーカーに乗せて押しています。
「やあ、なぎさちゃん、いらっしゃい。栄一郎君も元気そうだね」
「ありがとうございます、五反田さん。先日はM&Aの件でお世話になりました」
五反田氏と栄一郎が難しい話を始めたので、なぎさは肩をすくめて麻耶と澄子に近づきました。
「おめでとう、麻耶ちゃん。大学、合格したんだね」
早速早とちり全開のなぎさです。
「まだよ、なぎささん。あと一週間でわかるわ」
麻耶は苦笑いをして言いました。しかしなぎさは、
「同じでしょ? 麻耶ちゃんは超優秀だって、六ちゃんから聞いてるから、もう合格よ」
勝手に未来予測を始めました。麻耶はまた澄子と顔を見合わせてから、
「そうだといいんだけど」
それでも嬉しそうに言いました。
「そうなんですか」
樹里は眠ってしまった乃里を抱っこして応じました。
「お嬢様、はじめ君は招待していないのですか?」
樹里が笑顔全開で禁句的な事を尋ねました。麻耶はビクッとして樹里を見ると、
「はじめ君、落ち込んでいたから、呼ぼうと思ったんだけど、お父様が何を言うかわからないので、声をかけなかったの」
「それは可哀想です。はじめ君は寂しがっていると思いますよ」
樹里は尚も笑顔全開で言いました。麻耶はハッとしました。
「落ち込んでいるからこそ、そばにいてあげるのがいいと思います」
樹里の言葉に麻耶は澄子を見ました。
「そうね。樹里さんの言う通りだわ、麻耶。はじめ君に連絡して、呼んであげて。お父様には私から話します。余計な事を言わないようにね」
澄子は麻耶を諭すように告げました。
「ありがとう、お母様。はじめ君に連絡するね」
麻耶は邸へと駆けて行きました。それを見て、麻耶を狙っている若手有望株達はしょんぼりしました。
しばらくして、麻耶が悲しそうな顔で戻って来ました。
「はじめ君、来たくないって。外に出たくないって」
今にも泣き出しそうに告げる麻耶を見て、
「だったら、麻耶ちゃんが行ってあげなよ。それでこそ、恋人だよ」
なぎさがいつになくまともな事を言いました。
「なぎささん……」
麻耶はなぎさを見て涙を零しました。
「そうね。そうしなさい、麻耶」
澄子が後押ししました。
「行ってらっしゃいませ、お嬢様」
樹里が笑顔全開で言いました。
「うん」
麻耶は澄子に頷くと、また邸に駆けて行きました。
「麻耶はどうしたんだ?」
そこへ栄一郎と共に五反田氏が近づいて来ました。
「麻耶は大事な用ができたので、出かけました」
澄子が言ったので、五反田氏は仰天し、
「どういう事だ? この会は麻耶が主役だぞ?」
「貴方、ちょっといいですか?」
澄子が強引に五反田氏を庭の隅へと連れて行ってしまいました。
「今日は楽しいひな祭りだよ、六ちゃん!」
訝しそうにこちらを振り返った五反田氏になぎさが言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開です。
めでたし、めでたし。