樹里ちゃん、バレンタインデーの贈り物をする
御徒町樹里は日本有数大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
今日はバレンタインデーです。誰がなんと言おうと、二月十四日だと主張する地の文です。
そして、あの不甲斐ない夫である杉下左京の誕生日という最悪な日でもあります。
「うるせえ!」
真実を語ったはずの地の文に理不尽に切れる左京です。
「左京さん、楽しみにしていてくださいね」
樹里が出かける時にそう言いました。
「わかったよ」
左京は笑顔全開で応じました。下心が丸見えだと思う地の文です。
「やめろ!」
図星のど真ん中を突かれたので、動揺しながら切れる左京です。
「パパ、おたんじょうびおめでとう」
長女の瑠里と次女の冴里が笑顔全開で言いました。
でも、プレゼントはありません。
それもそのはず、去年の二人の誕生日に何もプレゼントをあげなかったからです。
「ううう……」
こればかりはぐうの音も出ない事実なので、項垂れるしかない左京です。
「いってきます」
瑠里はボーイフレンドのあっちゃんと一緒に集団登校で小学校へ向かいました。
「パパ、はやく!」
冴里と三女の乃里が仁王立ちで左京に言いました。
「わかったよお、冴里、乃里」
相変わらず気持ち悪い笑顔で応じる左京です。
「黙れ!」
正直な地の文に切れる左京です。
「ワンワン!」
ゴールデンレトリバーのルーサが、
「お前もまた一歩老人になったな」
そう言っているかのように吠えました。
こうして、昭和眼鏡男と愉快な仲間達は登場シーンもセリフもないまま、時は流れました。
(樹里に何か他にも言われた気がするんだが?)
老化現象の激しい左京は、すでに記憶がないようです。
「うるせえ!」
地の文に切れる言葉も語彙力がないので、いつもほとんど同じで、しかも短い単語です。
「くはあ……」
痛いところを突かれた左京は悶絶しました。
(樹里に何を言われたのかも思い出せない。俺はもうダメなのか?)
左京は落ち込みました。いえ、もうダメなのではなく、ずっと以前からダメです。
「やめろ!」
また同じ言葉で地の文に切れる左京です。
冴里と乃里を保育所へ送り届けてから、家に帰り着き、更にはルーサの散歩から帰っても、樹里に何を言われたのか、思い出せませんでした。
「いかん、依頼を片付けないと!」
仕事が珍しくあった左京は、慌てて依頼人の家へと向かいました。
そんな左京のだらしない日常を描写したせいで、樹里はすでに庭掃除をしている段階になっており、またしても眼鏡男達は登場できませんでした。
「樹里さん、身体の具合でも悪いんですか?」
もう一人のメイドの目黒弥生が尋ねました。
「違いますよ」
樹里は笑顔全開で応じました。
「そうですか? 何だか、いつもよりペースが遅い気がしたので」
弥生は首を傾げて言いました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じると、邸に戻りました。
「ああ、樹里さん、待ってください!」
慌てて追いかける弥生です。
そして、早くもお昼を過ぎました。
左京は依頼された猫探しを終え、事務所へ戻りました。
(思い出せない。何だったっけ?)
左京はそればかり考えていて、かかってきた電話に出るのを忘れそうになりました。
「お電話ありがとうございます、杉下左京探偵事務所です」
我に返って通話を開始する左京です。
「何だ、ありさか。何の用だ?」
元愛人のありさからの電話でした。
「違う!」
全力で否定する左京です。
「左京、さっき樹里ちゃんを見かけたんだけど、仕事はお休み?」
ありさが尋ねました。左京は首を傾げて、
「いや、仕事には行ったぞ。樹里をどこで見かけたんだ?」
「駅のホームよ。五反田さんのお邸とは逆方向の」
「え?」
左京はギクッとしました。
樹里は離婚を決意して、区役所で離婚届をもらったのかも知れません。
「やめてくれえ!」
絶叫して地の文に懇願する左京です。
「声をかけようと思ったんだけど、急いでいるみたいで、かけそびれちゃったの」
「た、他人の空似じゃないのか?」
動揺しまくってしまった左京が言うと、
「あり得ないよ。私は樹里ちゃんと璃里さんと由里さん、きっちり見分けつくんだよ。あんたと違って」
強烈な嫌味を返すありさです。
「そうか。わかった。教えてくれてありがとう、ありさ」
力なく応じると、左京はありさがまだ何か言っているのを無視して、スマホを切りました。
(樹里、何があったんだ? 俺に何も言わずに……)
そして、樹里に何か言われた事を思い出しました。
「まさか!?」
朝、樹里が言った事こそ、今回の樹里の行動に対するヒントがあるのではないか?
左京はまた必死になって思い出そうとしました。
しかし、元がバカなので、思い出せませんでした。
「やめろ、うるさい、やかましい!」
結局、単語でしかものを言えない左京です。
そんな事をしているうちに、瑠里が帰って来ました。
(もうそんな時間か?)
左京は瑠里に留守番を頼むと、急いで保育所へと走りました。
すると何故か、樹里が冴里と乃里を迎えに行ったようで、手を繋いで歩いてきました。
「左京さん、只今帰りました」
樹里が笑顔全開で言いました。
「あれ? 樹里、これは一体?」
左京は間抜け面をしました。あ、元々間抜け面でしたね。
「うるさい!」
また単語で切れる左京です。
「朝、言いましたよ。今日は半日で上がるので、お迎えは私が行きますと」
樹里は笑顔全開で言いました。
「あ、そうだっけ」
左京はそこでようやく樹里に何を言われたのか思い出せました。
四人は手を繋いで、家まで帰りました。
「楽しみにしていてくださいって、何だ?」
瑠里が玄関を飛び出してきて、庭で三人で遊び始めたのを見ながら、左京が訊きました。
「お誕生日、おめでとうございます、左京さん。一番のプレゼントをあげます」
樹里が笑顔全開で顔を寄せてきました。
左京はキスをされるのだと思い、口を突き出しました。
「赤ちゃんができました」
樹里が耳元で囁いたので、
「ああん」
また子供に聞かせられないような声を出してしまう左京です。
「ええ? 妊娠したのか?」
左京は目を見開いて樹里を見ました。
「はい」
樹里が目を潤ませて応じたので、
「ありがとう」
左京は樹里を優しく抱きしめました。そして、娘達が例の不気味な踊りに夢中になっているのを確認してから、キスをしました。
とうとう四人目です。どこまで記録を伸ばせるのか、楽しみな地の文です。
めでたし、めでたし。