樹里ちゃん、先輩所員になる?
御徒町樹里は、主に居酒屋で働くメイドです。
もうすっかり忘れられていると思いますが、渡米した大富豪の五反田六郎氏が帰国すれば、五反田邸のメイドに復帰します。
「え?」
その事を聞かされ、「杉下左京探偵事務所」の所長である杉下左京はギョッとしました。
「それは、なかった事にできないのか、樹里?」
左京はダメ元で訊いてみました。
すると樹里は笑顔全開で、
「そういうお話は、弁護士を通すようにと旦那様から言われております」
「だよな」
大富豪を相手に樹里を奪い合っても、勝てない。
しかも、樹里は、仕事に関してはシビアだ。
結婚しても仕事は続けるし、探偵事務所も手伝うと言う。
「いや、探偵事務所は手伝わなくていいよ。樹里が倒れてしまうだろ?」
左京は働きづめの樹里の身体を心配して言いました。
「そ、それに、将来子供も生まれるだろうから、その、何だ……」
何故か顔を赤らめる左京です。きっと嫌らしい事を考えているのでしょう。
「はい、わかりました」
樹里はニコッとして応じます。
「そうか、わかってくれたか」
左京は火照る顔を仰ぎながらホッとします。
「では、保留にしておいた新聞配達をしますね」
全然わかってくれていない樹里に、左京は脱力しました。
「だから、そんなにまでして働かなくてもいいんだよ、樹里」
何故か涙を流して説得する左京です。
「どうしてですか? 私達には、母と妹達三人の扶養家族がいるのですよ?」
「え?」
珍しく至極まともな事を言われたので、左京は面食らいました。
「杉下さんは、お金に無頓着過ぎます」
「すみません」
叱られた子供のような心境になる左京です。
「何てね」
「え?」
左京はギョッとしました。樹里が話しているのかと思っていたら、そうではなかったのです。
「また会えたわね、左京」
樹里の背後で微笑んだのは、先日いきなり現れた宮部ありさの幽霊でした。
「わ、わ、わ!」
左京はまた気を失いそうになりましたが、何とか持ち堪えます。
「いらっしゃいませ、ありささん」
樹里は笑顔全開で挨拶しました。しかしありさはそれを無視して、
「左京、私が死んだのは、貴方のせいなのよ。それなのに、こんな天然女と婚約なんかして!」
「いや、ありさ、それは違うぞ」
左京は慌てて言いましたが、ありさは聞きません。
「私は貴方の判断ミスで死んだのよ! 絶対許さないわ! あんた達を呪ってやる!」
ありさは凄まじい形相で言い放つと、ボンと消えてしまいました。
「どうしよう?」
左京は樹里に言いました。すると樹里は、
「新聞配達ですか?」
「違ーう!」
何だか懐かしい気がしてしまう左京でした。
「左京、いる?」
そこへふらりと神戸蘭警部がやって来ました。
「おおお、蘭! 今呼ぼうと思っていたんだ!」
「え?」
その言葉に顔を赤らめる蘭です。きっと嫌らしい事を……。
「考えるか!」
地の文に突っ込むなんて、さすが神戸蘭です。
「お久しぶりです、神戸警部」
樹里が笑顔全開で言います。蘭も笑顔で、
「そうね。元気? 毎晩頑張ってる?」
蘭の発言に、左京が動揺します。
「な、な、な」
左京はまるで曲芸師のように動きました。
「探偵事務所と居酒屋で働くって、大変よね」
思いっきり倒れる左京です。一人コントでもしていたのでしょうか?
「何よ、騒がしいわね、左京。どうしたの?」
左京は用件を思い出しました。
「さっき、ありさの幽霊が現れたんだ」
「ありさの幽霊?」
蘭はバカにしたような顔で左京を見ます。
「本当だよ! 樹里も見たんだ。な?」
慌てて同意を求めます。樹里は笑顔全開で、
「はい。ありさんさんの幽霊さんが来ましたよ」
蘭は樹里を見て、
「貴女まで何言ってるのよ。ありさの幽霊なんて現れる訳ないでしょ?」
「嘘じゃないんだよ! お前、幽霊は本当にいるんだぞ!」
左京は涙ぐんで主張しました。蘭は肩を竦めて、
「幽霊がいるとかいないとかじゃなくて、ありさの幽霊なんて現れる訳ないのよ」
「どうしてそんな事が言い切れるんだよ!?」
左京は逆ギレ気味に言いました。すると蘭は、
「当たり前じゃないの。だってありさは生きてるんだもの」
「は?」
左京は髪の毛が全部白くなりそうなくらい驚きました。
「おまたあ、蘭」
そこへまるでショーの主役のようにありさが現れました。
足があります。その脇に影ができています。
「ど、どういう事だ?」
何が何だかわからない左京は、大声で言いました。するとありさはケラケラ笑って、
「私は死んでいないわよ、左京。貴方はすぐに病院を出て、私を撃った犯人を捕まえに行ったけど、その後、私は蘇生したのよ」
「……」
今、左京は、髪の毛が白くなるどころか、全部抜けてしまいそうなくらい驚いています。
「言わなかったっけ?」
蘭がニッとして左京を見ます。
「聞いてないぞ!」
そして、ハッとします。
「じゃあ、さっきのは何だ?」
「ああ。私、生死の境を彷徨ったせいで、幽体離脱がお手軽にできるようになったのよ」
「はあ?」
また脱力する左京です。ありさはニコッとして、
「どうよ、私のこの能力? 探偵事務所に必要でしょ?」
左京はムッとして、
「お前を雇う金なんかないよ」
「あーら、そんな事言っていいの?」
ありさはスッと左京に近づきました。
「あの子に、あーんな事や、そーんな事をバラすわよ」
「い!」
何の事かはわかりませんが、蘭はともかく、ありさとは高校生の時からの腐れ縁なので、左京は慌てます。
「わ、わかった」
左京は項垂れたまま樹里に近づき、
「樹里、探偵事務所はありさに手伝ってもらうから」
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で言いました。
「では、新聞屋さんによろしくお願いしますとご挨拶に行って来ます」
「そこまで戻るんかい!」
左京は首の骨が折れるのではないかと言うくらい項垂れました。
めでたし、めでたし。