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樹里ちゃん、左京の仕事を手伝う

 俺は杉下左京。自宅の隣に事務所を構える私立探偵だ。


 今日は樹里が休暇を取り、保護者会に出席している。


 何故暇なお前が行かないのかと言われそうだが、


「ママがいい!」


 四月から小学二年生になった長女の瑠里の希望で、樹里が行く事になった。以前は樹里が怖いので、俺に来て欲しいと言っていたのであったが、ここ最近、すっかり嫌われてしまった。


「パパはママのスパイ」


 そこまで言われた事もある。悲し過ぎて、父親を辞退しようかと思った程だったが、


「女の子は仕方ないのですよ」


 樹里に諭されて思いとどまった。樹里もあの一風変わった父親である赤川康夫さんとそんな感じになったのだろうか?


「樹里もそんな時期があったのか?」


 尋ねてみると、


「ありませんよ」


 笑顔全開で否定された。え? では、瑠里が俺の事を嫌いになったのは、誰に似たの?


 やはり、あの自由奔放な由里さんだろうか? 

 

 先日、特殊詐欺を見事に騙して警察に感謝状を授与されてご満悦だ。


 将来、瑠里が由里さんのようになるのかと思うと、それはそれで悲しい。


 そんな後ろ向きな事ばかり考えていると、老け込みそうなので、気を取り直して次女の冴里と三女の乃里を保育所に送り届けると、依頼主のところへ向かった。


「左京さん、大変! ウチのジェームズがいなくなってしまったの!」


 常連の依頼主である信濃川しなのがわ絹子きぬこさんが電話をくれたのは、昨日の午後だった。


 ジェームズというのは飼い猫で、珍しい三毛猫のオスだ。三万匹に一匹の割合と言われている程の貴重な存在だ。


 それだけではなく、信濃川さんにとってジェームズが貴重なのは、ご主人が結婚二十五年の記念に買ってくれたものだからだ。


 ご主人はその後まもなく亡くなり、ジェームズの存在は信濃川さんにとってかけがえのないものとなっていった。


 俺はすぐに信濃川邸に向かった。樹里が勤めている五反田邸に比べると小さいが、町内では有名なお金持ちの家だ。


「いなくなった時の状況をできるだけ詳細に教えてください」


 俺は信濃川さんが出してくれた本格的なドリップコーヒーを一口飲んでから切り出した。


 信濃川さんによると、昨日、ジェームズはいつもより遅く信濃川さんがいるキッチンに姿を見せると、俺の昼食代の何倍もするような高級な鳥のささみの缶詰を食した。


 そして、食後の定位置である出窓の上にあるジェームズ専用の金の座布団に寝そべり、お昼寝タイムに入った。


 信濃川さんは缶詰を片付け、自分の朝食の洗い物をすませると、散歩に出かけるために着替えをし、玄関を出たところで宅配業者に行き合った。


 荷物を受け取り、印鑑を押すために玄関を戻り、ウォークインクローゼットにある戸棚の中からハンコを取り出すと、玄関先で待っていた宅配業者の差し出した送り状に受け取りの印を押した。


 改めて玄関を出て、戸締りをすると、門扉を開いて外に出た。


 いつもの散歩コースをゆったりと歩き、一時間程で帰宅した。その時、玄関の鍵はしっかり締まっていたのはよく覚えているという。


 そろそろジェームズが起きる頃だと考えた信濃川さんは、キッチンに向かった。


 そして、衝撃の事実を知る事になる。出窓の金の座布団に寝ているはずのジェームズがいないのだ。


 もちろん、最初は場所を移動したと思っていた。しかし、家中探したのだが、どこにもいなかった。


 そこで、何度もジェームズを探し出している俺に連絡してきたのだ。


 ジェームズは、他の猫と同じく、ふらっとどこかに行ってしまう事があるので、あまり大騒ぎをしな方がいいと思った信濃川さんであったが、今回は違っていた。


 俺に電話する前に何者かから電話があった。


「猫を返して欲しければ、一億円用意しろ。さもないと猫の命はない」


 誘拐犯からの連絡だった。


「いくら家族同然のジェームズでも、他人様から見れば只の猫。まさか警察に相談する訳にもいかないから、左京さんに連絡したのよ」


 普段の元気の良さは微塵もない憔悴し切った信濃川さんを見て、俺は何としてもジェームズを見つけ出そうと思った。


 幸いと言うべきか、誘拐犯からの連絡は自動録音されていた。しかし、声は加工されており、手がかりになりそうな音は聞こえてこなかった。


 犯人の居場所の特定は難しいと考えた俺は、遺留品がないかとキッチンを這うようにして探した。だが、何もなかった。


 もう一つ、腑に落ちない事がある。玄関の鍵はもちろんの事、家中の鍵はどこも開いていなかった。


 当然の事ながら、こじ開けられた箇所もない。その上、セキュリティサービスも導入しているので、無理に入ろうとすると、警備会社に通報がいくシステムになっている。


 犯人は一体どうやって信濃川邸に侵入し、ジェームズを連れ去ったのか?


 俺はそれを検証するために、防犯カメラの映像を確認させてもらった。しかし、怪しい人物は誰一人映り込む事はなく、信濃川さんが帰宅した映像になった。


「疲れたので休みます。左京さん、ありがとう」


 悲しそうな笑みを浮かべて、信濃川さんは俺を送り出した。俺はまだ検証を続けたかったのだが、七十代後半の信濃川さんの体調を考えて、その日はおいとました。


 防犯カメラの映像はDVDに落としたので、事務所のDVDプレーヤーで再生してみた。だが、何もそれらしいものは映り込んでいなかった。


 そして、結局のところ、何も進展はなく、現在に至っている。朝、確認の電話を入れたところ、ジェームズは戻ってきておらず、犯人からの連絡もないとの事。


 謎めいた事件だった。


 こうなってくると、一番怪しいのは宅配業者だ。信濃川さんがハンコを取りに行っている間にキッチンへと侵入し、ジェームズを連れ出す事ができる。もうそれが正解だろう。


 ところが、宅配業者は別のカメラにずっと映り込んでおり、キッチンに行った様子はなかった。


 万策尽きた俺は、途方に暮れた。それでも、何かの手ががりになればと思い、宅配業者に連絡をした。


 そして、信濃川邸を訪れた時の事を尋ねたのだが、


「怪しい人ですか? そんな人は見かけませんでしたよ」


 あっさり否定されてしまった。また袋小路だ。


 うん? 何か妙な感じがするぞ。映像の宅配業者は確かにずっと映っていたが、一瞬だけ別の方向を見た時があった。


 それは本当に一瞬の出来事なので、思い過ごしかも知れないのだが。


 何度も映像を見たり、録音を聴いたりしたが、何もわからなかった。信濃川さんはどんどん諦めムードになっている。


「左京さん、もういいですよ。ごめんなさいね、猫一匹の事で大騒ぎして」


 信濃川さんが目に涙を浮かべて言った時、ドアフォンが鳴った。


「はい」


 信濃川さんは涙を拭って受話器を取った。モニターに映ったのは、笑顔全開の樹里だった。


「こんにちは、信濃川さん。夫はまだお邪魔しておりますか?」


「はい、まだいらっしゃいますよ」


 俺は信濃川さんについて玄関へ行った。そして、ドアのロックを信濃川さんが解除すると、驚くべき光景がそこにあった。


「ジェームズ!」


 何と、樹里がジェームズを抱いていたのだ。えええ!? どういう事だ? まさか、樹里が誘拐犯の訳はないよな。


「昨夜、夫が持ち帰ったDVDと録音のコピーを確認致しましたところ、特徴的な音が聞こえていて、宅配便のお兄さんの映像がそれを裏付ける行動を取っていたので、ジェームズを連れ去ったのが誰なのかわかりました」


「えええ!?」


 俺は信濃川さんと一緒に驚きの声をあげた。


 樹里の説明によると、俺が感じた違和感がまさにそれだったようだ。宅配業者の兄ちゃんが一瞬顔を違う方向へ向けたのは、誰かがそこを通ったからだ。そして、


「怪しい人ですか? そんな人は見かけませんでしたよ」


 その言葉の真の意味は、


「怪しい人は通りませんでしたが、怪しくない人は通りました」


 だったのだ。すなわち、信濃川邸に出入りしても不審に思われない人物。


「このろくでなしが!」


 鬼の形相で信濃川さんが怒鳴りつけたのは、一人息子の卓造さん(四十五歳)だった。


 俺はすっかり忘れていたのだが、この邸にはもう一人住んでいたのだ。仕事もせずにふらついている人物が。


「ご、ごめんよ、母さん。まさか、探偵を雇って調べるとは思っていなかったんだ」


 卓造さんは信濃川さんに怒鳴られて身をすくめて呟くように言った。

 

 事件の真相はこうだ。


 ネットで三毛猫のオスが高値で取引されているのを知った卓造さんが、信濃川さんが散歩に出かけたのを確認して、ジェームズをこっそり自分の部屋に連れて行き、用意していたケージに閉じ込めた。


 そんな事とは知らない信濃川さんは、卓造さんにはジェームズの事を尋ねなかったのだ。


 しかし、悪い事はできないものだ。内緒でジェームズを売ろうと企んだのだが、身元を証明するものが必要とわかり、ネットでの販売を諦めた卓造さんは、誘拐を装って母親から大金をせしめようと短絡的に思いついたのだった。


「情けない……」


 信濃川さんはジェームズに缶詰を開けながら、息子の馬鹿さ加減に呆れていた。


 もうそこから先は、親子の問題だと判断した俺と樹里は、信濃川邸を出た。


「それにしても、よく卓造さんが犯人だとわかったな、樹里」


 俺は樹里の名探偵ぶりに驚いていた。すると樹里は、


「録音された音声に、かすかにゲームの音楽が聞こえていたのですよ。瑠里が大好きなゲーム音楽なので、すぐにわかりました」


「そうなんですか」


 まさに思わず樹里の口癖で応じてしまった。


「卓造さんは近所では有名なゲーマーで、瑠里達には『ゲームの神様』と呼ばれているのだそうです」


 瑠里達の夢を壊すような事をするなよ、俺と同世代のおじさんがさ。


 犯行を失敗した卓造さんは、仕方なく、小遣いを得るためにジェームズとゲームソフトをバッグに入れてゲーム販売店に行ったところを樹里に見つかったという事らしい。


 何にしても、脱力する事件だった。


 一応、めでたし、めでたし、かな?

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