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樹里ちゃん、左京を説教する

 俺は杉下左京。


 自宅の横に事務所を開いている私立探偵だ。


 先日、早とちりをしたせいで、何年かぶりにぎっくり腰になってしまった。


 あれやこれやと縁があった弁護士の坂本龍子先生、おっと、この呼び方をすると、また拗ねられるので、龍子さんと呼んでおこうか。


 その龍子さんと同期の弁護士で、勝美加さんが関わっている裁判の関係者に関東名労会という物騒な連中がいて、そのせいで命を狙われたために起こった事故だった。


 入院は二日だけですんだのだが、それを教えてくれなかったと、龍子さんと親友の斎藤真琴さんが事務所に来た。


 二人は、勝弁護士の件がきっかけで長く喧嘩状態。それもこれも俺が悪いらしい。


 更にタイミングが悪い事に、そこへその勝弁護士がやって来てしまったのだ。


 俺は胃潰瘍になりそうな気分のまま、三人を相手にしなければならなくなった。


「どういうご用件でしょうか、勝先生?」


 真琴さんが事務員よろしくお茶を出しながら尋ねる。作り笑顔全開だ。


「先日の件で、左京さんに謝罪しようと思って参りました」


 勝弁護士は俯いたままでソファに座っている。


「本当に悪いと思っているのなら、弁護士事務所をたたんで、別の場所へ行ってくれないかしら?」


 龍子さんは掴みかからんばかりに勝弁護士に言い放った。ちょっと言い過ぎだと思ったが、うっかり口を挟むと、龍子さんと真琴さんの呉越同舟的な共同作戦が開始され、標的が俺になりそうなので、何も言わない。


「もちろん、そのつもりです」


 勝弁護士はチラッと龍子さんを見て言った。それには龍子さんと真琴さんも驚いたようだ。目を見開いた。


「私は、自分がどれ程危険な目に遭っても、弁護士のバッジを外すつもりはありませんでしたが、左京さんに害が及んだとなると、そうも言っていられません」


 俺も相当面食らったので、しばし唖然としてしまったのだが、


「弁護を降りるって事ですか?」


 俺は尚も俯いている勝弁護士の顔を覗き込んで尋ねた。勝弁護士はますます顔を下に向け、


「そうです。関東名労会の方の言う通りにするしかありません。それしか、左京さんへの償いの仕方はないのです」


 涙をいっぱい溜めた目で俺を見た。俺は思わず龍子さんを見た。龍子さんはピクンとしたが、何も言ってくれない。


 真琴さんも同じだった。二人共、言葉を失っているのだ。


 確かに、勝弁護士が弁護を降りれば、俺への危害は終わるだろう。しかし、それでいいのだろうか?


 弁護士は依頼人の利益のために動くのが筋のはずだ。第三者の俺のせいで、裁判が振り出しに戻ってしまうのは心苦しい。


 俺は意を決して口を開いた。


「ダメだ。俺の事より、依頼人の利益を優先するべきだ」


「依頼人の承諾は頂いています」


 勝弁護士のその言葉に俺は二の句が継げなくなった。どういう事だ?


 弁護しているのは、名労会の組長を襲撃した男だ。そいつのところにも脅迫があったのか?


 もしそうだとすれば、尚更退くわけにはいかないだろう。


 悪い連中に屈したりしたら、それは更に悪い連中を増長させる事になる。絶対に選んではいけない道だ。


「貴女には弁護士としてのプライドがないのですか?」

 

 俺は厳しい事を言ってでも、勝弁護士を思いとどまらせようと思った。


「そんなプライドは、人の命よりは軽いものです」


 勝弁護士のウルウルとした瞳は少しも卑屈には見えなかった。何だ?


「美加、まさかあんた、左京さんに惚れたの?」


 龍子さんが突拍子もない事を言い出した。ありえないだろ、それは。


「そうよ。悪い?」


 勝弁護士の返事は想定外だった。おいおい、何を考えているんだ?


「悪いわよ。左京さんは妻帯者よ。それは許されない事だわ」


 龍子さんが言った。この人が言うと、ちょっと違和感があるぞ。


「貴女だって、左京さんに惚れているんでしょ?」


 勝弁護士が言い返した。真琴さんは高みの見物を決め込んでいるようで、腕組みをして何も言わない。


「余計なお世話よ!」


 龍子さんはムッとしたようだ。すると勝弁護士は、


「そっくりそのままお返しするわ」


 一歩も退くつもりがないようだ。


 しばらく、龍子さんと勝弁護士の無言のにらみ合いが続いたが、


「これから裁判所に行かなければならないので、この辺で失礼致します」


 勝弁護士は立ち上がって深々と頭を下げると、事務所を出て行こうとした。


「待ちなさいよ、美加!」


 龍子さんは俺に会釈すると、勝弁護士を追いかけて、事務所を出て行ってしまった。


「私も失礼します」


 真琴さんは洗い物をすませると、そそくさと出て行った。全く、傍迷惑な人達だ。


 ありさを強制的に休ませているので、一人になった俺は、いつもの猫探しをするために出かける準備をした。


「誰だ?」


 ドアフォンが鳴った。予約は入っていないし、すでに営業中の札は引っ込めて、「closed」の札を提げたはずだ。


「今日は臨時休業なんですが……」


 ドアを開き、愛想笑いをして顔を出すと、そこには黒尽くめの大柄な男が菓子折りの入った袋を持って立っていた。


「申し訳ありません、お時間少しだけよろしいですか?」


 俺も長く警視庁にいた身だ。そいつの目を見れば、どんな職業なのか粗方わかる。


(名労会、か?)


 冷たい汗が背中を流れ落ちるのがわかった。


「どうぞ」


 いきなり菓子折りの袋から拳銃を取り出すのではないかと想像して、後退りしながらその男を招き入れた。


 男はドアを後ろ手に閉じながら、


「申し訳ありませんでした!」


 いきなり土下座をした。


「はあ?」


 俺は何が起こっているのかわからず、しばらくぽかんとしてしまったが、


(新しい油断のさせ方か?)


 思い直し、男から一歩二歩離れて、じっと観察した。


「杉下左京様が、あのドロント様とお知り合いとも知らず、若い衆が失礼な事を致しました。何卒、私の顔に免じて、お許しください」


「ええっと、失礼ですが、貴方は?」


 俺は苦笑いして尋ねた。すると大男は顔を上げて、


「申し遅れました。私は関東名労会東京本部長の高杉慎太郎です」


 何ィ? それって、名労会のNo.2じゃねえかよ。


「そ、そうですか」


 俺はその後、高杉氏を宥めて菓子折りを受け取ると、お礼を言って帰ってもらった。


 そして「ドロント」の名が出たのを思い出し、あの三人組の泥棒がどんなコネクションを持っているのか想像して、身震いした。


 


 そして、夜になり、樹里が帰宅した。俺は樹里に今日あった事を全て話した。


「そうなんですか」


 樹里はほとんど笑顔全開で聞いてくれたが、名労会のNo.2が菓子折りを置いて行った話になると、


「そういうのを受け取るのは、ダメでしょう?」


 真顔で説教されてしまった。その時の樹里は、No.2より怖かった。


 気をつけようと思った。


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