樹里ちゃん、弁護士と会う
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
昨年の暮れ、樹里を尾行した若い女性は左京の別の不倫相手でした。
「違う! 断じて違う!」
最近またブームに火が点いているらしい某進君の真似をして地の文に切れる左京です。
失礼しました。坂本龍子弁護士のライバルを気取る勝◯太郎弁護士に依頼された私立探偵の隅田川南湖でした。
「違います!」
どこかで地の文に抗議の声を上げる勝海加弁護士と隅田川美波です。
隅田川美波は樹里が五反田邸に確かに勤務している事を確認すると、立ち去りました。
左京に負けず劣らず、ヘボ探偵のようです。
「それも違います!」
先に地の文に切れようとした左京を差し置いて、大きな声で切れる隅田川美波です。
「坂本龍子の弱点は、杉下左京。そして、杉下左京の弱点は、妻の樹里。それで間違いないわね、江戸川さん」
事務所の所長室で、黒のスカートスーツを着た、ボブヘアのつり目の女性が言いました。
「私は隅田川です。いい加減、覚えてください、アン先生」
グレーのパンツスーツを着たロングヘアの隅田川美波は座っていたソファから立ち上がって抗議しました。
「私は勝海加! 大阪出身ではなくてよ」
キッとして美波を睨みつける海加です。
「失礼しました」
美波は頭を下げてから、
「間違いありません。坂本弁護士は、杉下左京に恋をしています。不倫の関係すら厭わない程に」
ニヤリとして告げました。海加は調査書類を見ながらフッと笑い、
「では、龍子が道を踏み外す手助けをしてあげなさい、荒川さん」
「私はその隣の隅田川です、先生。もしかして、意図的に間違えていますか?」
二度続けて名前ボケされた美波は若干苛ついて尋ねました。
「まさか。たまたま間違えただけです。よろしくお願いしますね」
海加は目を細めて言いました。
「承知しました」
美波は会釈して応じました。
そして、数日後。五反田駅前から、東京ドーム近くのビルに事務所を移した坂本弁護士は、郵便受けに投函されていた差出人が書かれていないA4サイズの茶封筒を見て、眉をひそめました。
(バレバレよ、海加……)
坂本弁護士は郵便切手を見ると、猫のキャラクターでした。
(相変わらずの◯ティラーなのね……)
溜息を吐く坂本弁護士です。そして、事務所に入り、封を切って中身を取り出しました。
「左京さん?」
中身はコピー用紙で、文字が印刷されていました。内容は、左京が坂本弁護士を好きになってしまったので、樹里と別れて、結婚したいというものでした。
(あり得ないわ。これが本当だったら嬉しいけど、左京さんは樹里さんにぞっこんだから)
一瞬、ドキッとしてしまった坂本弁護士ですが、さすが腐っても弁護士です。理性を保ちました。
「腐っていません!」
地の文のちょっとした言い間違いに切れる坂本弁護士です。
(今度、海加とじっくりと話さないとね)
坂本弁護士は海加が作った左京の手紙を丸めて捨てました。
(でも、胸の高鳴りが収まらない……)
坂本弁護士は顔を赤らめて席に着きました。
その頃、樹里はすでに五反田邸で庭掃除をしていました。
要するに、昭和眼鏡男と愉快な仲間達の行動は全て割愛されたのです。
抗議の声が聞こえていますが、無視する地の文です。
「樹里さん、その後、どうですか?」
一緒に庭掃除をしている目黒弥生が個人情報を聞き出そうとしました。
「その言い方は語弊があるわよ!」
法令遵守を重要視している地の文に切れる弥生です。
「大丈夫ですよ」
樹里は笑顔全開で応じました。弥生は多少イラッとしながらも、
「それならよかったです」
苦笑いをして応じました。
「私も調べてみたのですが、どうやら、あの弁護士先生の同期の方が雇っている私立探偵らしいですね」
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。弥生はずっこけそうになりながら、
「あの、何も聞いていないんですか、樹里さん?」
「はい、何も」
更に笑顔全開で応じる樹里です。
(左京さんが気を利かせて、樹里さんに話していないのかな)
弥生は元泥棒なのに善意に解釈しました。
「元泥棒は余計でしょ!」
古傷を弄ぶ地の文に涙ぐんで切れる弥生です。
「はっ!」
ふと我に返ると、樹里は庭掃除を終えて、邸に戻ってしまいました。
「樹里さん、まだ訊きたい事が!」
慌てて追いかける弥生です。
その時、玄関の車寄せに一台のタクシーが乗りつけました。
(誰だろう?)
弥生は訪問客を出迎えるために掃除用具を玄関脇にしまい、タクシーの横に立ちました。
(あっ!)
降りてきたのは、噂の人物の勝海加でした。
「いらっしゃいませ」
弥生は素知らぬ顔で挨拶しました。
「私は弁護士の勝と言います。こちらに杉下樹里さんはいらっしゃいますでしょうか?」
海加は作り笑顔全開で尋ねました。弥生は微笑んで、
「はい、おります。どうぞ、お入りください」
玄関のドアを開きました。
「失礼します」
海加は弥生に会釈をして入りました。弥生はその後に続き、海加を応接間へ案内しました。
「こちらでお待ちください。すぐに杉下を呼んで参ります」
弥生は素早く応接間を出ると、樹里がいると思われるキッチンへと走りました。
「樹里さん、例の弁護士が来ましたよ! 樹里さんに会いたいそうです」
弥生が洗い物をしている樹里に言いました。
「霊の弁護士? 弥生さんは幽霊が見えるのですか?」
「その霊じゃありません! 勝海加という、坂本先生のライバルの弁護士が来たんですよ!」
こけかけながらも、弥生は答えました。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じると、洗い物を終え、応接間へ向かいました。
「お待たせ致しました、私が杉下樹里です」
樹里は笑顔全開で挨拶をしました。海加はソファから立ち上がり、
「私は弁護士の勝と申します。よろしくお願いします」
名刺を差し出しました。樹里はそれを受け取り、隅から隅まで見て、
「ご用件をお聞かせ願えますか?」
笑顔のままで言いました。すると海加は、
「実は、杉下さんのご主人の左京さんが、私と同期の弁護士である坂本龍子と不倫をしていると雇っている探偵から報告がありまして」
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開でソファの向かいに腰を下ろしました。
(どうしてそんなに落ち着いているのよ!?)
樹里が全く動揺したり、怒ったりしないので、海加はイラッとしました。
「坂本先生は夫に仕事を紹介してくださっている方で、不倫などとは無関係だと思いますよ」
樹里は笑顔全開で応じました。海加は更にイラッとしましたが、
「そうですか。ではこの次には、明確な証拠をお持ちしましょう。今日はこれで失礼致します」
スッと立ち上がり、応接間を出て行きました。樹里はすぐに後を追いかけました。
「お見送りは結構です」
海加は微笑んで告げてから、
「一つ、ご忠告致しますが、坂本龍子は様々なところで問題を起こしている弁護士です。ご主人も彼女と関わっていると、大変な目に遭うと思いますので、お気をつけください」
玄関のドアを開いて、出て行きました。
「お気をつけて」
それでも樹里は笑顔全開で応じました。