樹里ちゃん、斎藤真琴と坂本龍子弁護士に会う
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
先日、不甲斐ない夫の杉下左京が元同僚の加藤ありさと不倫騒動を起こして、遂に樹里と離婚されました。
「不倫してねえし、離婚もされてねえよ!」
猫を探しながら、地の文に切れる左京です。
ありさと左京が揉み合っているうちにソファに倒れ込んだのを目撃した坂本龍子弁護士が、二人が不倫していると激しく勘違いして、もう一度訴訟を起こす事を決意してしまいました。
坂本弁護士は親友の斎藤真琴に訴訟を起こすように言いましたが、真琴には全くその気はなく、けんもほろろに断られて、左京は事なきを得たのでした。
悪運だけは非常に強い左京です。
心優しい真琴は、その後樹里に連絡して、坂本弁護士の行動を謝罪しました。
「樹里さん、私は今でも左京さんと樹里さんに感謝しているんです。殺人事件の片棒をカツがされるところを左京さんに助けていただき、樹里さんにはその後大変よくしていただきました。そのご恩を忘れて、訴えを起こすなんて決してしませんから」
真琴は涙を流して言いました。
「そうなんですか」
樹里は全く真琴を責める事なく、応じました。
と言うか、樹里は人生で誰かを責めた事がないかも知れないと思う地の文です。
「一度、龍子を連れて、お詫びに伺います」
真琴が言ったので、
「そこまでしていただかなくても大丈夫ですよ」
謙虚な樹里は言いました。しかし、
「ダメです。龍子には少し反省して欲しいんです。友人達の多くが、すぐに訴訟をしようと言い出す龍子に辟易しているのです。彼女の考えを改めさせるためにも、伺わせてください」
真琴が強く主張したので、樹里は受け入れました。但し、自宅だと子供がいるので、五反田邸に来てくれるように言いました。
「わかりました。では、明日の午後、お伺い致します」
真琴は通話を終えました。
そして、元泥棒の目黒弥生が未だに出勤拒否を続けている十一月も下旬に差しかかったある日の午後になりました。
「その言い方はやめて! それに出勤拒否しているんじゃないわよ!」
豪邸の一室で仮病で寝ている弥生が地の文に切れました。
「仮病じゃないわよ! 悪阻が酷くて、仕事ができないのよ!」
更に切れる弥生ですが、いつもより出番が多いので嬉しそうです。
「嬉しくなんか……」
叫び過ぎて、気持ち悪くなり、遂に言葉が途切れました。
樹里は午後になると、夕食の用意をしました。そして、警備員さん達にお茶を出していると、真琴と坂本弁護士が現れました。
「こんにちは」
真琴は挨拶しましたが、坂本弁護士は俯いたままです。
「龍子!」
それを見た真琴が坂本弁護士の背中を叩きました。坂本弁護士は顔を上げて、
「こんにちは」
作り笑顔で挨拶しました。
「いらっしゃいませ」
樹里は笑顔全開で応じました。
樹里は二人を応接間に通して、紅茶を淹れて出しました。
「さあ、龍子」
ソファに座った真琴が、また俯いてしまっている坂本弁護士を促します。
「樹里さん、このたびはお騒がせして、大変申し訳ありませんでした」
坂本弁護士は立ち上がって深々と頭を下げました。
「こちらこそ、夫が失礼な態度をとって申し訳ありませんでした」
樹里も深々と頭を下げました。
「え?」
坂本弁護士はキョトンとしました。真琴もびっくりして樹里を見ています。
「夫は、女性には誰にでも優しいので、それがトラブルの元になってしまう事が多いのです」
樹里は笑顔全開で言いました。
「そうなんですか」
坂本弁護士と真琴は異口同音に樹里の口癖で応じました。
「それで」
坂本弁護士が座り直すと、樹里は向かいのソファに腰を下ろして、
「坂本先生はお顔が広いでしょうから、お願いしたいのですが、夫に仕事を紹介していただけないでしょうか?」
「え?」
真琴は驚き、坂本弁護士は嬉しそうに樹里を見ました。
「そうすれば、夫も仕事が増えて、自信が持てるようになると思うのです」
樹里が笑顔全開で続けたので、坂本弁護士は微笑んで、
「そういう事であれば、喜んで協力させていただきます。紹介できる案件があれば、事務所の方へお伺いします」
その言葉に真琴が口を挟もうとしましたが、
「ありがとうございます。よろしくお願い致します」
樹里が笑顔全開で応じてしまったので、溜息を吐きました。
三人はしばらく雑談しました。
「長居をしてしまいました。失礼致します」
来た時とは打って変わって、嬉しそうに告げる坂本弁護士です。反対に真琴は項垂れています。
「ありがとうございました」
樹里は二人を玄関まで見送りました。
「敵わないなあ」
駅へと向かう道すがら、坂本弁護士は苦笑いして言いました。
「何が?」
やや不機嫌そうに真琴が尋ねます。それには気づかない坂本弁護士は、
「だって、樹里さん、私達より年下なのに、すごく悠然としていて、左京さんに対する愛情が深いんだもん。もう諦めようかなあ」
すると真琴はムッとして、
「諦めるも何も、左京さんは既婚者なんだからさ。あんたのしている事は法律家としてあるまじき行為だって、いい加減自覚しなさいよね!」
「うるさいわね! 結局、あんたも左京さんに惚れてたんじゃないのよ。あんたには言われたくないわ」
「ううう……」
痛いところを突かれて、歯軋りする真琴です。
二人の三十路女は寂しそうにとぼとぼと歩いて行きました。
「うるさい!」
真実を言っただけの地の文に切れる真琴と坂本弁護士です。