樹里ちゃん、お墓参りと月見をする
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
今日は秋分の日です。樹里達は、今は亡き不甲斐ない夫の杉下左京の墓参りに行く準備をしています。
「俺はまだ生きてるよ! 俺の両親の墓参りだよ!」
地の文のちょっとした言い間違いも許す事ができない心が狭い左京です。
「どこがちょっとしただ! 大間違いだろ!」
更にヒートアップする左京です。
「そうなんですか」
それにも関わらず、樹里は笑顔全開です。
「わーい、わーい、おはかまいり、おはかまいり!」
意味がまだよくわかっていない長女の瑠里と次女の冴里は大騒ぎです。
「瑠里、冴里」
樹里が真顔全開で言ったので、ピタッと動きを止める瑠里と冴里です。
左京もビビってしまい、少し漏らしました。
「漏らしてねえよ!」
大人用の紙おむつを着けているので安心な左京が地の文に切れました。
「着けてねえよ!」
更に切れる左京です。
「ちょうど居合わせる事ができて、よかったよ」
樹里の父親の赤川康夫が笑顔全開で言いました。
「お義父さん、ありがとうございます」
左京は恐縮して応じました。どうやら、お包みを期待しているようです。
「そんな事はない!」
本音をバラされて、慌てふためいて地の文に切れる左京です。
「今日は、レンタカーを借りて来ました」
樹里が笑顔全開で言いました。康夫がいると、左京の狭い車では乗り切れないからです。
心だけではなく、車まで狭いダメな男です。
「うるせえ!」
反論できないので、地の文に怒鳴るだけの左京です。
「私が運転しますね」
樹里が笑顔全開で、やんわりとミニバンの運転席に座ろうとした左京に告げました。
「そうなんですか」
運転免許の試験に三回連続して不合格だった左京は、樹里の口癖で応じて引き下がりました。
「ううう……」
元警察官としてあまりにも恥ずかしい過去をバラされたので、項垂れる左京です。
瑠里と冴里のチャイルドシートと三女の乃里のベビーシートを取り付けて、三人をそれぞれのシートに乗せ、左京は助手席、康夫は後部座席に乗りました。
「出発しますね」
樹里が言い、ミニバンをスタートさせました。
樹里の抜け道マップの知識と卓越した運転技術により、あっと言う間に知らない世界です。
「誰が◯イム◯カンだ!」
往年のアニメを思い出した左京が切れました。
失礼しました。あっと言う間に関越道に乗りました。
瑠里と冴里はシートから身を乗り出して、次々に通り過ぎていく景色を見ていました。
やがて、ミニバンは関越道を降り、国道を走って、左京の生まれ故郷へと向かいます。
その昔、赤鬼が住んでいたという奇怪な村です。
「赤鬼なんか住んでねえよ!」
では、青鬼ですか?
「鬼全般住んでねえよ!」
では、のっぺらぼうですか?
「だから妖怪から離れろ!」
インターチェンジを降りてからの時間が長いので、いつもよりもボケ倒した地の文です。
しばらくすると、ミニバンは左京の両親のお墓がある霊園に到着しました。
ミニバンから降りると、早速瑠里と冴里がおしっこ騒ぎです。
霊園の入り口に小さな公衆トイレがあったので、樹里が二人をそこへ連れて行きました。
「俺も」
左京は康夫に乃里を頼むと、トイレに駆け込みました。最近、頻尿なのです。
「余計なお世話だ!」
本当の事なので、切れ方が弱い左京です。
「お待たせしました……」
左京が戻ってくると、樹里達は先にお墓に向かっていました。項垂れる左京です。
墓前に行くと、送り盆の時に飾った花がしおれた状態で花立にありました。樹里が持って来た花と入れ替えて、ゴミ袋に入れます。
康夫は乾いた雑巾で、お墓を磨きました。瑠里と冴里は外柵の中の雑草を樹里に言われて取りました。
左京はその間に線香に火を点けます。火を点けるのは子供の頃から得意です。
「その言い方、やめろ!」
黒歴史を封印したい左京が地の文に切れました。
「どうぞ」
左京は康夫と樹里に線香を渡しました。そして、送り盆の時と同じように、瑠里と冴里と乃里の分は、手分けしてあげました。
六人で揃って手を合わせます。
「さあ、一個ずつ食べてください」
樹里が墓前に備えたお団子を配りました。瑠里と冴里は一個食べましたが、乃里は無理なので半分左京が食べました。
「またくるね、パパのジイジ」
瑠里が言うのを聞いて、左京は涙ぐみました。
「さりもくるよ」
冴里がお姉ちゃんに対抗意識剥き出しで言いました。
左京はまたグッと来てしまいました。乃里は寝てしまったので、言いませんでした。
(まあ、仕方ないさ)
左京は乃里を抱いて、歩き出しました。
帰り道、国道沿いの蕎麦屋で、昼食にしました。
「左京君」
樹里が瑠里達をトイレに連れて行っている時、康夫が言いました。
「はい」
左京は飲みかけたお茶を置いて、康夫を見ました。
「樹里と結婚してくれて、本当にありがとう」
「え?」
不意にそんな事を言われたので、左京は驚いてしまいました。
「樹里は君のお陰で、良い母親になっているよ。少し心配だったのだがね」
「そうなんですか」
ちょっと顔を引きつらせて応じる左京です。
「左京君も知っている通り、由里さんがかなり自由奔放だったし、私も仕事の関係で家をずっと空けていたからね。親の愛情をほとんど受けていなかったのだよ、樹里は」
康夫は自嘲気味に笑いました。左京は苦笑いをして、
「俺も同じです。両親とは幼い時に死に別れていますから、親の愛情なんて、自覚した事がありません。むしろ、樹里のお陰で、何とか父親をしていると思います」
全然父親とは思えない地の文です。
「うるせえよ!」
個人の感想を述べただけの地の文に理不尽に切れる左京です。
「そうなのかね」
康夫は笑顔全開で応じました。
蕎麦屋を出発して、関越道に乗ると、各地から東京へ帰る観光客達の車が合流して来て、練馬インター手前で大渋滞になりました。
「所沢で降りればよかったですね」
樹里は心なしか悔しそうに言いました。抜け道のプロとして、無念のようです。
「事故渋滞だから、仕方ないよ」
左京が言いました。すると、
「ああ、おつきさまだ!」
瑠里が防音壁の上に見える満月に近い月を指差しました。
「おお、本当だ」
助手席の役立たずが言いました。
「役立たずじゃねえよ!」
涙ぐんで地の文に切れる左京です。
「さりもみたい!」
冴里は右側に座っているので、月が見えないのです。乃里はぐっすり眠っています。
「停まってしまいましたね」
樹里は車を停止して、窓の外のほぼ満月を見ました。
「中秋の名月は明日ですが、今夜も月が綺麗ですね」
樹里が笑顔全開で左京を見たので、
「そ、そうだな」
左京は顔を赤らめて応じました。
(月が綺麗ですねって、夏目漱石が『I love you』を訳してそう言ったとか聞いた事がある。もしかして、樹里は……)
妄想を膨らませる左京です。
でも、漱石はそんな事は言っていないと思う地の文です。
取り敢えず、めでたし、めでたし。