樹里ちゃん、左京に不倫される?
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
でも、五反田氏はツイッターもインスタグラムもしていませんから、炎上はしていません。
もちろん、某乳酸菌飲料のコマーシャルをしている女優と付き合ったりもしていません。
女優になりかけた美人の娘はいます。
そして何より、金持ち自慢をしません。あ、言い過ぎました、申し訳ないと謝罪する地の文です。
五反田氏一家が長い海外旅行から帰国して、樹里達も仕事に復帰します。
でも、不甲斐ない夫の杉下左京は相変わらず無職です。
「無職じゃねえよ! 仕事がないだけだ!」
言葉のアヤで切り抜けようとする左京が地の文に切れました。
全国の自営業の人に謝ってほしいと思う程の暴言です。
「そうなんですか」
それにも関わらず、樹里は笑顔全開です。
「では、行って来ますね、左京さん」
樹里は不甲斐なさ全開の左京に笑顔全開で言いました。
「はい」
自分の立場がわかったのか、直立不動で応じる左京です。
「いってらっしゃい、ママ!」
長女の瑠里と次女の冴里は笑顔全開で言いました。
「らっしゃい!」
三女の乃里も笑顔全開で言いました。
「行ってらっしゃい。気をつけてね、樹里」
樹里の父親の赤川康夫が笑顔全開で言いました。
「樹里様とお父上様と瑠里様と冴里様と乃里様のはご機嫌麗しく」
そこへ割り込んで登場する昭和眼鏡男と愉快な仲間達です。
「俺はー!?」
まだ樹里に行ってらっしゃいを言えていない元夫が叫びました。
「元じゃねえよ! 今も夫だよ!」
未来を予言した地の文に切れる左京です。
「やめろー!」
一番おぞましい事を言われて、血の涙を流す左京ですが、
「はっ!」
我に返ると、樹里は眼鏡男達とJR水道橋駅に向かっており、瑠里と冴里と乃里は、康夫と共に保育所へ向かっていました。
「お義父さん、それは私がやります!」
涙ぐんで四人を追いかける左京です。
「ワンワン!」
ゴールデンレトリバーのルーサが吠えました。まるで、
「相変わらずバカだな」
そう言っているようです。
冴里と乃里を保育所へ送り届けると、左京は瑠里と手を繋いで家に帰りました。
どう見ても、不審者が可愛い女の子を連れ去ろうとしている瞬間だと思う地の文です。
「やめてくれ!」
結構気にしている事を遠慮会釈なく言ってしまう地の文に涙を流して懇願する左京です。
「そうなんですか」
それにも関わらず、瑠里は笑顔全開です。
「瑠里、ママに叱られないようにお勉強するんだぞ」
左京はデレデレしながら告げましたが、
「やだもーん。パパといっぱいあそぶんだもーん」
ママのママである由里譲りの男を弄ぶテクニックで、バカな父親はイチコロです。
「そ、そうだよな。子供は遊びが仕事だもんな」
鼻の下を顎の下まで伸ばして、瑠里の言いなりになる左京です。
「瑠里、ママの言いつけを守らないと、だめだよ」
そこへ康夫が現れて言いました。瑠里は笑顔全開で、
「ジイジといっぱいあそぶんだもーん」
同じテクニックで絡め取ろうとしますが、
「ダメだよ、瑠里。ママにメールするよ」
康夫は毅然とした態度で瑠里を諭しました。
「るり、おべんきょうするね、パパ、ジイジ」
さっきまでの態度が嘘だったかのように、瑠里は手のひらを返して自分の部屋に行きました。
「左京君、子供を甘やかせてはダメだよ。樹里に報告するよ」
康夫が一番恐ろしい事を言ったので、
「申し訳ありませんでした、お義父さん」
左京は今年一番の土下座をしました。
それから、左京はキッチンで洗い物をすませると、愛人の待つ探偵事務所へと向かいました。
「違う!」
先日、胸を押し付けて来た斎藤真琴の事を思い出し、顔を真っ赤にして切れる左京です。
(また思い出してしまった)
左京は自己嫌悪に陥りながら、渡り廊下を歩いて事務所へ行きました。
「おはようございます、所長」
事務所の掃除をしていた真琴が振り返って挨拶をしました。いつもはTシャツにジーパンというラフな格好の真琴なのですが、その日は何故か襟元の大きく開いたタンクトップと、松下なぎさよりも大胆なデニム地のショートパンツを履いていました。
「お、おはよう、斎藤さん」
食い入るように真琴の太ももを見る左京です。
「見てねえよ!」
白々しい嘘を吐き、地の文に切れる左京です。
「今日から、樹里さんもお仕事ですね」
艶っぽい目で言う真琴です。
「そ、そうだね」
左京は真琴から逃げるように自分の机に向かうと、
「さてと、今日は何の依頼があったかな?」
態とらしく、引き出しの中を漁りました。
「何もありませんよ、所長」
真琴がにじり寄ります。
「そ、そうだったね……」
左京は思わず回転椅子に腰を下ろしてしまいました。
「所長」
真琴が真顔で詰め寄りました。
「な、何でしょうか?」
ビビりながら尋ねる左京です。真琴はスッと机の上に座り、
「私、営業に出ましょうか? この格好なら、かなり目を引くと思うんですけど?」
「え?」
左京は愕然としました。
(探偵事務所っていうキャバクラだと思われるぞ)
でも、言えない左京です。
(こんな格好で営業しているのをありさにでも見られたら、樹里にどんな風に尾ひれを付けて言われるかわからない)
最悪の事態は免れないと思う地の文です。
ありさの場合、尾ひれどころか、別の魚にしてしまう可能性すらあります。
「そうすれば、所長も樹里さんに対して、肩身の狭い思いをしなくてすみますよね」
ニコッとして真琴が言ったので、
「え?」
またキョトンとしてしまう左京です。
「私、所長がしょんぼりしているのを見るのがつらいんです。バリバリ仕事をして欲しいんです」
真琴は目を潤ませて左京を見つめました。
「そ、そうなんですか」
樹里の口癖で応じて、何とか理性を保とうとする左京です。そして、
「ど、どうして斎藤さんはそうまでしてくれるのかな?」
顔を引きつらせて訊きました。
「それは、私が所長の事を大好きだからです」
真琴はそう言うと、左京の口に自分の唇を押し付けました。驚き過ぎて、左京は全く抵抗できません。
「所長、私の気持ち、わかってください」
一度離れて、もう一度キスする真琴です。
「おい、斎藤さん!」
ようやく抵抗する気になったのか、左京は残念に思いながらも、真琴を押し退けました。
「残念には思ってねえよ!」
真実を伝えたはずの地の文に切れる左京です。
「私の事、嫌いなんですか?」
涙ぐんで尋ねる真琴のせいで、左京は理性が吹っ飛びそうです。
「嫌いじゃないけど、俺には妻も子もいるんだよ、斎藤さん」
「わかりました」
不意に真琴の圧が消えました。彼女はハンドバッグから封筒を取り出して、左京に突きつけました。
「もし、私の気持ちに応えてくれないのであれば、今まで働いた分のお給料をください」
「えええ!?」
左京は人生で一番驚きました。一体どれ程の金額になるのか、想像しただけで鼻血が出そうです。
「どうして鼻血が出るんだよ!」
地の文の心理描写にいちゃもんをつける左京です。
「今日はこれで帰ります。また明日来ますね」
真琴はハンドバックを持つと、事務所を出て行ってしまいました。
その目からは大粒の涙がポロポロこぼれていたのを知らない左京です。
「真琴ちゃん……」
左京は呆然と見送りましたが、真琴が出て行くと、ハッとして、封筒の中から紙を取り出しました。
「げっ」
そこに書かれていた請求額は、左京の年収を遥かに上回るものでした。
めでたし、めでたし。
「めでたくなんかねえよ!」
無理やりな地の文の締めに切れる左京です。