樹里ちゃん、家族旅行をする
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
五反田氏は夏休みを取り、三週間海外旅行をする事になりました。
そのため、樹里達は三週間の夏季休暇をもらいました。
「有給休暇ですから、大丈夫ですよ」
その日の夜、樹里は笑顔全開で不甲斐ない塊の夫である杉下左京に説明ました。
「そうなんですか」
有給休暇だと知り、顔を引きつらせて応じる左京です。
「明日と明後日は、保育所も休みですから、お出かけしましょう」
樹里が笑顔全開で提案したので、
「わーい、わーい!」
長女の瑠里と次女の冴里は大喜びです。
「わーい!」
意味はわかりませんが、お姉ちゃん二人が喜んでいるので、一緒に喜ぶ三女の乃里です。
そして、次の日の朝です。樹里は予約しておいたレンタカー会社へ行き、家族五人とゴールデンレトリバーのルーサも乗れるミニバンを借りてきました。
(俺の車じゃ、ルーサを運べないからな)
遠い目をして、自分の不甲斐なさを噛みしめる左京です。
「ルーサも遊べるように、山へ行きましょう」
樹里が言いました。
「わーい、わーい、やまやま!」
瑠里と冴里が保育所伝統の不思議な踊りを始めました。
「わーい!」
乃里も覚えたのか、一緒になって踊りました。
「そうなんですか」
それを笑顔全開で見る樹里と引きつり全開で見る左京です。
「ワンワン!」
ルーサも嬉しそうに吠えました。
そして、ベビーシートとチャイルドシートも一緒に借りてあったので、瑠里、冴里、乃里は滞りなく乗車し、ルーサもドライブ用のケージに入って、最後部に乗せられました。
「あれ?」
左京が運転席に座ろうとすると、すでに樹里が乗っていました。
「左京さんは瑠里達と一緒に乗ってください」
樹里が笑顔全開で言ったので、
「そうなんですか」
また引きつり全開で応じる左京です。
「わーい、パパ、パパ、パパ!」
三人の娘に大歓迎されて照れる中年オヤジです。
「うるせえ!」
現実をそのまま表現した地の文に切れる左京です。
「出発しますよ」
樹里がルームミラー越しに告げました。
「はーい!」
元気よく応じる瑠里と冴里と乃里です。
「はい」
娘にデレデレしながら応じる変態オヤジです。
「やかましい!」
間違った事は言っていない地の文に切れる左京です。
樹里の抜け道マップの知識とドライビングテクニックで、あっと言う間に都心を抜け、車は関越自動車道を走っていました。
「夏休みに入って、人出も多いから、もっと時間がかかると思ったけど、早かったな」
瑠里と冴里に挟まれ、乃里に前から見られている左京は、夢見心地で言いました。
何故このような旅行を樹里が提案したのか、深く考えない間抜けです。
「やめろー!」
意味深な言い回しをして追い詰める地の文に涙ぐんで切れる左京です。
「ワンワン!」
ルーサが、
「お前、自意識過剰だぞ」
嗜めるように吠えました。
やがて、ミニバンは高崎インターを降りて、西へと向かいました。
「今日は、ママのママの故郷の群馬県のH山に行きますよ」
樹里が言いました。何故「ママのママ」なのかと言うと、由里の事を「おばあちゃん」を連想させる呼び方をすると、激怒するからです。それは孫の瑠里達も例外ではありません。
(由里さんて、群馬県出身なんだ)
元婚約者の出身地をずっと知らなかった左京です。
「元婚約者って言うのはやめろ!」
黒歴史を思い出させる地の文に血の涙を流して訴える左京です。
「そうなんですか」
瑠里と冴里は笑顔全開で応じました。
「でしゅか」
乃里も笑顔全開で応じました。
(H山か。懐かしいな)
左京は、以前自分が起こした殺人事件の事を思い出しました。
「違うよ! 事件の捜査で来ていて樹里を途中で乗せた事を思い出したんだよ!(樹里ちゃん、小旅行にゆく参照) そもそもそれは女子大生探偵の話だろ!」
そんな事もあった気がする地の文ですが、直接関わっていないので、記憶が不鮮明です。
左京が一人コントをしているうちに、ミニバンはH湖の湖畔に到着しました。
「ここが湖畔の宿記念公園です」
樹里が公園の脇を通りながら言いました。
「そうなんですか」
「でしゅか」
瑠里と冴里と乃里は笑顔全開で応じました。
(ああ、中津法子が実在すればなあ……)
左京は早速エロい事を考えていました。
「違うよ!」
若くて美人なら誰でもいい左京が地の文に切れました。
「俺は樹里一筋だよ!」
大声で地の文に反論する左京です。すると樹里が、
「左京さん、恥ずかしいですから、大きな声を出さないでください」
すでに車を降りて、遊覧船乗り場に向かっている途中なのに妄想が止まらない左京です。
(いつの間に?)
時空を操れる地の文です。
樹里達は遊覧船で湖を一周し、船に弱い左京は一人でそれを湖岸から眺めていました。
このまま置いていかれるとも知らずに陽気に船に向かって手を振る左京です。
「やめろー!」
冗談には聞こえない程動揺した左京が地の文に雄叫びをあげました。
遊覧船を降りた樹里達は次に馬車に乗り、H富士のロープウェイに乗りました。
高いところが大好きな左京は大喜びです。そして、気づきます。
(このルート、何かで読んだ事がある……)
嫌な汗が出てくる左京ですが、そんな事が起こる訳がないと思う地の文です。
それから、ルーサをケージから出して、瑠里と冴里は一緒に広場で走り回りました。
ルーサも大喜びです。乃里もお姉ちゃん達を見て飛び跳ねました。
はしゃぎ疲れた瑠里と冴里と乃里は、眠ってしまいました。乃里はベビーカーに乗せ、瑠里と冴里は四十男が無理して抱きかかえています。
「余計な事を言うな!」
現実を直視できない左京は地の文に切れました。
ミニバンに戻り、瑠里と冴里と乃里をシートに乗せた左京は、今度は助手席に乗りました。
「帰りは樹里の隣がいいよ」
照れ臭そうに言う左京です。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
ミニバンは、行きとは違うルートでH山を離れました。伊香保温泉を抜けるルートです。
「懐かしいですね、ここですよ」
樹里が温泉街を抜けて、M沢寺の辺りまで来た時、不意に言いました。
「え?」
左京はハッとしました。樹里は、
「ここで左京さんが車に乗せてくれたのを覚えていますか?」
左京はもう少しで泣いてしまいそうになりましたが、何とか我慢して、
「もちろんさ。一生忘れないよ」
「左京さん」
樹里はハザードを点滅させて、ミニバンを路肩に寄せました。そして、静かに目を閉じました。
「樹里」
左京は樹里の潤いのある唇にキスをしました。
めでたし、めでたし。