樹里ちゃん、探偵になる
御徒町樹里はメイドです。
現在、居酒屋と喫茶店で働きながら、時々デートもこなすパワフルガールです。
いつ寝ているのか、本人もよくわからないようです。
そんな樹里ですから、突然別の世界に行ってしまう事があります。
樹里は五階建てのビルの最上階に探偵事務所を開いていました。
でも忍者ではありません。ごく普通の、所謂「興信所」です。
そこへある女性が夫の浮気調査を依頼に来ました。
樹里はいつも通り、
「いらっしゃいませ、お嬢様」
「私はお嬢様ではないわよ!」
その依頼者の女性は、癇癪持ちのようです。
樹里は女性をソファに誘導し、自分も向かい合わせに座りました。
「私は杉下蘭と言います。二十五歳です」
その女性は訊いてもいないのに年齢まで答えました。
「そうなんですか」
樹里は探偵になっても笑顔全開です。
「貴女、今、私の年の事を疑ったでしょ!?」
杉下蘭がいきなり切れました。
「とんでもないです。疑っていませんよ」
樹里は慌てずに微笑んで応じます。
「そ、それならいいわ」
蘭は夫の顔写真をテーブルの上に出しました。
「これが夫です。浮気をしているようなのです。証拠写真を撮って下さい。裁判で使いたいので」
「そうなんですか」
蘭はこの探偵に何故かイラッとしました。
「承知致しました、お引き受け致します」
樹里はニッコリして言いました。
「ちなみにおいくら?」
蘭は高級そうなハンドバッグから、高級そうな財布を取り出しました。
「五億円です」
「えええええ!?」
蘭は顔の皺が一気に五倍になりそうです。
「な、何で浮気の調査でそんなにかかりますの! ふざけないで下さい!」
「申し訳ありません、このビルがいくらなのか訊かれたのかと思いました」
樹里は相変わらず笑顔で応じます。蘭は、
「誰が訊くか、そんな事!」
と激怒しました。樹里はニコッとして、
「調査費用は、実費別で一日辺り五千円です」
「安ッ!」
今度は投売りのような安さです。怪しいです。
「ホント? ちょっと安過ぎない?」
「では一日百万円でもいいですよ」
「高過ぎるわい!」
蘭は、完全におちょくられていると思い始めています。
「じゃあ、五千円でお願いするわ。前金でいくらお支払すればいいの?」
蘭は何とか気を鎮めて、樹里を見ました。
「五千円で」
「は? 一日分でいいの?」
また何かあると思う蘭です。
「はい。一日で終わりますので」
「そ、そう。ではお願いします」
蘭は財布から樋口一葉を取り出し、樹里に渡しました。
「領収証の宛名はどうしますか?」
樹里が尋ねます。
「上様で結構よ。経費で落とすわけではないから」
「そうなんですか」
蘭はまたイラッとしました。
「では、頼みましたよ」
「はい」
杉下蘭は、イライラしながら、御徒町探偵事務所を出ました。
そしてその翌々日の事。
杉下蘭は、また御徒町探偵事務所に来ていました。
「こちらが証拠の写真です」
樹里が差し出した写真には、夫と若い女が腕を組んでエッチなホテルに入って行くところがバッチリ写っていました。
「おお!」
覚悟していた事ですが、蘭はショックを受けました。
「ありがとう。これで裁判に勝てるわ」
蘭はバッグから財布を取り出しました。
「実費はおいくらかしら?」
もしかすると、
「写真代が百万円です」
とか言い出すのではないかと思い、蘭は切れる準備をしました。
「写真代と交通費で二千五十円です」
「ええ?」
蘭は拍子抜けしてしまいました。
「高いですか?」
樹里が心配そうに尋ねます。
「い、いえ、そんな事はないわよ。ここは良心的な探偵事務所なのね」
「ありがとうございます」
蘭は三千円を支払い、
「おつりはいいわ。チップ代わりよ」
「ありがとうございます」
樹里は深々とお辞儀をしました。
「失礼」
蘭は領収証を受け取ると、ニコニコしたままで事務所を出て行きました。
「やっと帰ったか」
事務所の奥から、蘭の夫である杉下が現れました。
実は、今回の一件は、杉下が蘭と別れるために仕組んだものなのです。
樹里は杉下の依頼で愛人のフリをし、写真を撮りました。
「これでやっとあの女と別れられる。感謝するよ、探偵さん」
杉下はスーツの内ポケットから財布を取り出し、
「あいつと別れられるなら、百万円くらい安いものだ」
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じます。そして請求書を杉下に渡しました。
「はいよ」
杉下は百万円の束を樹里に渡します。
「じゃあな。もう会う事はないだろう」
「お待ち下さい」
樹里が捨て犬のような目で杉下を見ています。
杉下はフッと笑いました。
(俺も罪な奴だぜ。たった一日愛人のフリをさせただけで、この女を虜にしてしまった)
ところが、杉下は驚愕の事実を知ります。
「おうおう、俺の女にチョッカイ出したのは、てめえか?」
入口のところに、脱獄囚のような顔をした大柄の男が現れました。
「慰謝料として、五千万円払ってもらおうか?」
杉下は樹里達に五千万円取られ、蘭にも裁判で五千万円を請求され、散々な思いをしました。
めでたし、めでたし。