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樹里ちゃん、左京の故郷にゆく

 俺は杉下左京。自宅の一角に事務所を構える私立探偵だ。


 そんな事を言うと、一部の方々から非難轟々となるだろう。


 自宅とは言っても、俺より遥かに収入がある妻の樹里の稼ぎだけで建てたものだし、以前借りていた五反田の事務所も、家賃は樹里が立て替えていた。


 立て替えていたというのも、語弊があるかも知れない。俺は只の一度も樹里に立替金を返済した事がないのだから。


 そんな俺だから、樹里に男前が近づくと、すぐに醜い嫉妬をしてしまう。


 それもこれも、自分に自信がないからだ。


 以前、警視庁の警部だった頃は、ここまで卑屈にはならなかった。


 大見得を切って、安定な生活を捨て、私立探偵などという稼ぎが全く保証されない稼業に鞍替えしたせいだ。


 自分で言い出した事だから、誰にも責任転嫁できない。


 そして何より、私立探偵を投げ出して転職をすれば、樹里が悲しむ。


 樹里は、俺が警視庁を辞めたのは自分のせいだと思っている節があった。


 今でもそうなのかは、確認していないしできないので、わからない。


 だから、私立探偵という稼業を投げ出せば、樹里がまた自分を責めるのではないかと思うのだ。


 樹里に警視庁を辞めた事を伝えた時、彼女は何故俺が辞める事になったのか、当時の腐れ刑事部長から全て聞いていたのだ。


 そして、今でもはっきり覚えているその時の樹里の顔と言葉。


「杉下さんが、優しいから……」


 樹里はそう言って、まさしく真珠のような涙を左右の目からポロポロと零したのだ。


 ああ、思い出したら、目頭が熱くなってきた。年だな。もうすぐ四十二歳か。


 今年はいろいろとあったなと思ったら、本厄だったのか。すっかり忘れていた。


 あまりそういうのを信じない方だが、もう少し気にかけた方がいいのだろうか?


 樹里のお母さんの由里さんに言われた事があるのだが、知らないより知っている方が、いろいろな面で気をつける事ができるのでいいらしい。


「あれ? そう言えば……」


 俺には肉親がいない。天涯孤独だった。だからこそ、樹里との間に瑠里、冴里、乃里と三人も子供ができたのは、本当に嬉しかった。


 そこまで思って、ある事を思い出した。


 両親の墓参りにもう随分行っていないと。


 そして、思い出したその日が、まさに母親の命日だったのは、奇妙な巡り合わせだ。


 だからと言って、サングラスをかけた男が出てくる何とかどうとかの物語が始まるとは思っていない。


 今日は樹里は仕事が休みだ。そして、保育所も休み。俺はいつも休みみたいなものだ。


 ああ、自分で自分を責めるなんて、最近テレビであまり見かけない自虐ネタの芸人みたいだな。


 善は急げという諺がこういう場合に正しいのかはわからないが、思い立った俺は、樹里と子供達がいるリヴィングルームに行った。


「パパだ!」


 長女の瑠里と次女の冴里が、座っていたソファから飛び降りて、俺に駆け寄ってきた。


 あと何年かすると、


「パパ、臭いからあっちに行って」


 そんな事を言われるかも知れないと思い、悲しくなりそうだ。


「樹里、今から俺の両親の墓参りに行かないか?」


 俺は右腕で瑠里、左腕で冴里を抱き上げて、提案してみた。


「そうなんですか」


 樹里はいつもの笑顔で三女の乃里を抱き上げて応じてくれた。


「え? おでかけするの?」


 瑠里が目を輝かせて尋ねてくる。冴里も興味津々の顔で俺を見ている。


「そうだよ。パパのお父さんとお母さんのお墓参りに行くんだよ」


 瑠里と冴里を交互に見ながら説明した。


「そうなんですか」


「そうなんですか」


 瑠里と冴里は、まさしく樹里にそっくりな笑顔で応じた。


 考えてみると、瑠里も冴里も、お墓参りに行った事がないのだ。


 樹里のご両親は健在だし、父方のお祖母さんも、つい先日お会いしたばかりだが、非常に若々しい方だ。


 お墓参りどころか、肉親の死にも立ち会った事がない。


 だから、お墓参りがどういう事なのか、わかっていないだろう。


 まあ、まだそこまで考えてもらう必要はない。お出かけするで十分だろう。


「わーい、おでかけ、おでかけ!」


 瑠里と冴里は大はしゃぎしたが、樹里が真顔になったので、ピクンとしておとなしくなった。


 大騒ぎしてはいけないと感じたようだ。


「構わないよ、樹里。別に俺の両親は、昨日今日亡くなったんじゃないからさ。それに、瑠里と冴里にはお墓参りの経験がないだろ? 仕方ないよ」


 俺は樹里が子供達に意外な程厳しいのを知っているが、流石に今日はいいだろうと思ったのだ。


「ダメです、左京さん。子供の頃から、そういうけじめはきちんと覚えた方がいいのです」


 樹里は俺にも真顔で言った。


「そうなんですか」


 思わず樹里の口癖で応じてしまった俺である。


 そして、俺達家族五人は、俺の両親の墓がある埼玉県に向かった。詳しい住所は控えさせてもらう。


 途中、スーパーに立ち寄り、供える花と線香、それ用のライター、お供え用の団子とペットボトル入りの水二リットルを買った。


 両親の墓は、埼玉県とは言っても、山奥にある。雪こそ降らないが、結構な田舎町だ。


 関越道を飛ばし、県の中程で一般道に降り、更に国道を進む。


 関越道を走ると、出会った頃の樹里との思い出や、今は刑務所暮らしをしている元同僚の亀島馨の事を思い出してしまう。


 樹里との思い出はともかく、亀島の記憶を頭から追い出して、俺は国道を愛車で進んだ。


 


 日が随分と西に傾いた頃、ようやく昔暮らしていた町に辿り着いた。


 立ち並ぶ家々は、どれも俺が東京に出てから建てられたもので、知った顔に会う事はなかった。


 同級生のほとんどは東京やさいたま市に出てしまい、残されたのは老人ばかりのようだ。


 そこで、町おこしのために移り住んでくれる人達をあれこれ手を尽くして呼び込んだ結果が、新興住宅街なのだ。


 そこそこ成功したのだろうか?


「ここだよ」


 遂に両親の墓がある霊園に着いた。駐車場は舗装されておらず、あちこちに水溜まりの形跡が残ってデコボコしている。


「足元に気をつけてね」


 俺は瑠里と冴里の手を取り、霊園の中へと進んだ。瑠里と冴里は、雰囲気を察したのか、ずっと黙ったままで、周囲の墓石を見ながら歩いている。


 樹里は、駐車場がベビーカーには不向きなのを見て、乃里を抱きかかえて歩いてきた。


「ここが、パパのお父さんとお母さんのお墓だよ」


 俺は何も挿されていない花立を見て、自分が親不孝な男なのを改めて思い知らされた。


「そうなんですか」


「そうなんですか」


「そうなんですか」


 樹里と瑠里と冴里が真顔で応じた。流石にお墓の前で笑顔全開はないという事か。


 花立を霊園の入り口にある水道で洗って、ペットボトルの水を注いで元に戻し、花を入れた。


 その間に、樹里が瑠里と冴里に手伝わせて、団子を水鉢の奥に供え、水鉢に水を注いだ。


 風はほとんどなかったが、火がつきやすいように、俺は外柵の脇にしゃがみ込んで線香にライターの火をかざした。


 瑠里と冴里の分は、危ないので俺と樹里が代わりに供え、四人で手を合わせる。


 瑠里と冴里は俺達を見て、同じように手を合わせていた。


 しばらく、俺達は何も言わずにその場に立っていた。瑠里と冴里も駄々をこねずに静かにしていた。


 そして、帰り道、疲れて眠ってしまった瑠里と冴里をそれぞれのシートに座らせ、ぐずった乃里に授乳をすませると、樹里は助手席に座った。


「左京さん」


 樹里がこちらを向いたのがわかったので、俺も樹里を見た。


「何だい?」


 俺は微笑んで尋ねた。


「お父様とお母様がお寂しいでしょうから、お仏壇とお位牌を作りましょうか」


 予想外だった俺は、しばらく返事ができなかった。


「あ、そうだな」


 やっと出たのが、そんな間の抜けた言葉だった。

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