樹里ちゃん、選挙にゆく
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
今日は衆議院議員選挙の投票日です。
真面目な樹里は、今まで一度も欠かす事なく投票に行っている有権者の見本です。
それに比べて、選挙権を失った不甲斐ない夫の杉下左京は、選挙に行けません。
「失っていねえよ!」
ギリギリの線を突いてきた地の文に泣きながら切れる左京です。
「そうなんですか」
「そうなんですか」
「しょうなんですか」
樹里と長女の瑠里、次女の冴里は笑顔全開で応じました。
ベビーカーに乗っている三女の乃里も笑顔全開です。
「瑠里も冴里も、投票所では大人しくしているのですよ」
樹里が真顔で告げたので、
「はい、ママ」
真剣な顔で頷く瑠里と冴里です。
乃里もお姉ちゃん達の緊張感が伝わったのか、顔を強張らせています。
「では、行きましょうか、左京さん」
「ああ」
左京は小雨の降りしきる中、ベビーカーを押す樹里と相合傘で嬉しそうです。
(そう言えば、樹里と一緒の傘で歩くなんて、初めてかも知れない)
ニヤニヤする左京です。通報しましょう。
「どうしてだよ!?」
正当な行為をしようとした地の文に切れる左京です。
瑠里と冴里は嬉しそうに可愛いキャラクターものの傘を差しています。
もちろん、樹里が買ってあげたものです。左京には買えないので。
「うるせえ!」
血の涙を流して地の文に切れる左京です。
「ヤッホー、樹里。一緒に行こう」
投票所である小学校に向かう途中で、樹里の親友の松下なぎさが傘を差してベビーカーを押して現れました。
「おはようございます、なぎささん」
「わーい、なぎちゃんとわっくんだ!」
「わーい、なぎちゃんとわっくんだ!」
瑠里と冴里がはしゃぎます。乃里もベビーカーの上で喜んでいます。
「おはよう、左京さん」
流石のなぎさも雨降りで気温が低いため、ジーパンにトレーナーを着ています。
少し残念な左京です。
「そんな事はない!」
深層心理をズバッと見抜いた地の文に汗まみれになって抗議する左京です。
「はっ!」
我に返ると、樹里達はすでに随分と先まで歩いて行っています。
「樹里ー、瑠里ー、冴里ー、乃里ー!」
慌てて追いかける左京です。
しばらくして、小学校に着きました。
もうすぐ小学一年生になる瑠里は興味津々の顔であちこちを見ています。
(そうか、瑠里は来年の四月には小学生か……)
左京はしみじみしてしまい、涙ぐみました。周囲を歩いていた人達が、突然涙ぐんだ妙な中年男にびっくりして、通報しました。
「してねえよ!」
虚言癖がある地の文に切れる左京です。
入り口の受付の人に投票所入場券を渡す樹里です。
「あの、松下なぎささんは女性ですので、反対側に並んでください」
男性の受付に入場券を差し出したなぎさが受付の人に言われました。
「え? そうなの。知らなかった」
入り口に大きく「男性右・女性左」と書かれていたのに気づかないお茶目ななぎさです。
樹里が受付をするのを、ジッと見守っている瑠里と冴里です。
誰も左京が受付するところに注目しません。
「ううう……」
触れてはいけない事に触れてしまった地の文のせいで、深く傷つく左京です。
「どうぞ」
樹里は打ち出された投票用紙を受け取り、記入する場所に移動しました。
「ここでママを待とうな」
樹里が記入をすませるまで、左京は瑠里と冴里を引き止めました。
「ありがとうございます、左京さん」
投票をすませた樹里が瑠里と冴里を預かり、左京が記入をします。
「ねえ、ちょっと」
なぎさが係員に声をかけました。
「どうしましたか?」
近くにいた係員がにこやかに尋ねました。するとなぎさは、
「どの人の名前を書けば正解なの?」
とんでもない事を尋ねました。
「いや、正解とかではなくてですね、ご自分で投票したい方のお名前をお書きくだされば……」
苦笑いをして応じる係員です。
「ええ? そんなの、わからないよ。貴方、代わりに書いてよ」
更になぎさの暴走が続きます。
「そういう訳にはいかないのです。ご自分でお書きください」
少々イラッとして言う係員です。なぎさは口を尖らせて、
「ケチだなあ、もう。いいよ、左京さんに書いてもらうから」
いきなり危険球を投げつけられた左京は、
「いや、それはダメですよ、なぎささん」
投票用紙を投票箱に入れながら言いました。
「じゃあさ、左京さんは誰の名前を書いたの? 同じ名前を書くから、教えてよ」
「それもダメですよ」
左京は困り果てて樹里を見ましたが、すでに樹里は出口から出ていました。
「樹里と同じにしよう。樹里ー!」
なぎさは樹里を追いかけて、そのまま外に出てしまいました。
「困りますよ、奥さんにきちんと説明してくれないと」
係員に説教をされてしまい、顔を引きつらせる左京です。
でも、なぎさの夫に間違われたのは嬉しいので、否定はしないスケベです。
「うるさい!」
本心をしっかり推理した地の文に焦りながら切れる左京です。
「おさわがせしました」
それでも迷惑はかけたと思ったので、謝罪して投票所を出る不倫男です。
「誰がかかりつけの医師だ!」
某斉藤さんの一件にかこつけてボケた地の文に切れる左京です。
結局、なぎさは期日前投票をした夫の栄一郎に電話して、誰に投票すればいいのか聞き、栄一郎と同じ候補者に投票する事にしました。
本当はそういう投票の仕方はどうかと思う地の文です。
「そうなんですか」
それにも関わらず、樹里は笑顔全開です。
投票は国民の権利なので、棄権はせずに行って欲しいと思う地の文です。
めでたし、めでたし。