樹里ちゃん、町内の運動会に出場する
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
今日は、樹里達が住んでいる町内の運動会です。
樹里は、町会長直々のお願いで、出場する事になりました。
不甲斐ない夫の杉下左京も、便乗して出ようと思いましたが、全く相手にされなかったのは内緒です。
「だから内緒にしろー!」
運動会で大活躍をし、娘達にかっこいいパパを見せようと企んだ左京の計画は脆くも崩れ去ったのでした。
正義は勝つと思う地の文です。
「俺は悪じゃねえよ!」
日本経済の発展にまるで寄与していないのに、偉そうに反論する左京です。
「くはあ……」
致命的な一撃を食らった左京は、悶絶しました。
「そうなんですか」
「そうなんですか」
「そうなんですか」
樹里と長女の瑠里と次女の冴里は笑顔全開で応じました。
樹里はリレーに出場するので、タンクトップと短パン姿です。
左京はつい先程、鼻血を噴き出して、倒れかかりました。
「やめろー!」
血の涙を流して、地の文に抗議する左京です。
「ママ、がんばってね」
瑠里と冴里が玄関で笑顔全開で言いました。
「頑張りますね」
樹里は笑顔全開でしゃがみ込んで二人に言いました。
「じゅ、樹里、もう寒くなってきたから、ジャージを着た方がいいよ」
左京は樹里の胸元が気になって仕方がないので、樹里にジャージの上下を渡しました。
「ありがとうございます、左京さん」
樹里は左京が邪な事を考えているとは知らずにお礼を言いました。
「その前に乃里に授乳をしないと」
樹里は三女の乃里をベビーカーから抱き上げて、マシュマロを取り出すと授乳を開始しました。
「ブハッ!」
樹里がいつもと同じように授乳をしたので、左京は真正面から樹里のマシュマロを見てしまい、鼻血を噴き出しました。
「パパ、ばっちい!」
瑠里と冴里が汚いものを見る目で左京に言いました。
「すまない、瑠里、冴里」
左京は慌ててティッシュを取り出して鼻血を拭いました。
「大丈夫ですか、左京さん?」
自分のせいで鼻血が出たとは夢にも思っていない樹里は、マシュマロをしまいながら尋ねました。
「大丈ブハッ!」
応じながら、また樹里のマショマロを見てしまった左京は、先程封鎖したティッシュを吹き飛ばす程の第二撃の鼻血を噴き出しました。
そんな状態なので、左京は貧血を起こし、部屋で休む事になりました。
めでたし、めでたしだと思う地の文です。
「うるせえ!」
正しい事を言った地の文に切れる左京です。
樹里はジャージを着て、ベビーカーを押し、玄関を出ました。
左京のせいで、瑠里と冴里はお留守番になってしまいました。
「すまない、瑠里、冴里」
左京はベッドの中で娘達に詫びました。
「だいじょうぶだよ、パパ。ちゃんとねんねしてるんだよ」
瑠里に諭されるように言われてしまった左京は、
「そうなんですか」
樹里の口癖で応じ、涙ぐみました。
「あい、パパ」
冴里が慣れない手つきで絞ったずぶ濡れのタオルを左京の額に起きました。
「ありがとう、冴里」
左京は、二人が出て行ったら、タオルを絞り直そうと思いました。
一方、樹里はベビーカーを押して運動会が開催される近くの運動公園に着きました。
「それでは樹里様、お帰りの時にまた」
昭和眼鏡男と愉快な仲間達は、しっかり樹里のスケジュールを把握していたらしく、遅刻せずに現れたのでした。
「ありがとうございました」
樹里は笑顔全開で深々とお辞儀をして見送りましたが、眼鏡男達を知らない町内の人達は、不信感満載の目で見送りました。
眼鏡男達はそういう目に慣れているので、全く動じていません。
「樹里さん、お待ちしていました」
町会長を始めとして、役員の皆さん、そして、多くの男性出場者が樹里に群がりました。
それを白い目で見ている女性役員と出場者の皆さんです。
「お待たせして申し訳ありません」
型通りのボケをする樹里です。
「いや、そういう意味ではなくてですな……」
デレデレして応じる町会長の二の腕を思い切りつねったのは町会長夫人です。
「いで!」
町会長は目に涙をいっぱい溜めて叫びました。
そして、いよいよ運動会が開催されました。
町会長の長い挨拶があり、皆が飽きた頃、アナウンスが流れました。
「綱引きに出場される選手の皆さんは、トラックの中にある試合場にお集まりください」
赤組と白組に分かれて競うのですが、赤組は樹里のかかりつけの産婦人科の看護師の垂井さん並みの方が勢揃いしています。
それに比べて、白組は貧弱な方々ばかりです。勝負は決まっているかに思えましたが、樹里が最後尾に着きました。
それを見て、ニヤリとする白組のキャプテンです。
「位置に着いて、用意、始め!」
審判員のお爺さんの掛け声で、一斉に綱が引かれました。勝利を確信していた赤組ですが、何故か綱はピクリとも動きません。
審判員のお爺さんもびっくりして、白組の方を見ました。
樹里以外の皆さんは真っ赤な顔をして必死になって引いているのですが、樹里は最後尾で身体に綱を巻きつけて、只立っているだけです。
「樹里さん、引いてください」
事情を知らない審判員のお爺さんが言ったのがきっかけでした。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で綱をぐいと引きました。
「うへえ!」
赤組の関取、失礼、選手の皆さんが、綱を掴んだままで前に転げてしまいました。
まるでブラジル料理のシュラスコみたいだと思う地の文です。
「白組の勝ち!」
しばらくして、お爺さんが宣言しました。
本当は三番勝負なのですが、赤組は戦意喪失して、綱引きは終了です。
大人による三輪車競争や、障害物競争、玉入れ、借り物競争とプログラムが進みました。
そして、運動会の花形競技であるバトンリレーになりました。
応援席の人だかりが、片寄っています。
男性のほとんどが、樹里がスタートする地点に集まっているのです。
左京が見たら発狂しそうな程の人気です。
しかも、樹里はジャージを脱ぎ、タンクトップと短パンになっているので、余計なのです。
町会長も近くに行きたかったのですが、夫人の目が怖いので、役員席に仕方なく座っています。
「位置に着いて」
スターターは先程のお爺さんです。人手不足だと思う地の文です。
第一走者がスタートラインに並びます。
「用意」
お爺さんはピストルではなく、笛を吹きました。ご近所からのクレームに対応した結果です。
赤組と白組の第一走者が走り出しました。赤組は圧倒的な速さでグングン白組を突き放していきます。
第二走者は、赤組がバトンの受け渡しをミスし、白組が追い抜きました。
しかし、続く第三走者でまた赤組が抜き返し、白組は転倒までしてしまいました。
それでも第三走者は諦める事なく、樹里にバトンを手渡しました。
アンカーだけは走る距離が長く、五十メートルです。
赤組のアンカーはすでに二十五メートル地点まで達していました。
白組の誰もが絶望し、転倒した第三走者は頭を抱えました。ところがです。
樹里は風を巻いて走り、たちまち赤組のアンカーを捉えました。
「ヒイイ!」
赤組のアンカーは余裕だと思っていたので、焦って足をもつれさせて転びかけました。
「大丈夫ですか?」
樹里がそれを支えて、転倒を未然に防ぎました。
「あ、はい」
しかし、赤組のアンカーが応じた時は、すでに樹里がゴールした後でした。
(樹里さん、来年も白組でお願いします)
白組のキャプテンは泣きながら思いました。
めでたし、めでたし。