樹里ちゃん、もう一度父親を迎えにゆく
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
その日の朝早く、樹里のスマホにメールがありました。
アメリカに行っている実の父親の赤川康夫からです。
帰国するので、成田空港に迎えに来て欲しいという内容でした。
日曜日だったので、長女の瑠里も次女の冴里も、そして三女の乃里も一緒に行く事になりました。
という事は、あちらこちらに支障が出ると思う地の文です。
まず、昭和眼鏡男と愉快な仲間達は登場を全面カットです。
もちろん、保育所の男性職員の皆さんも出てきません。
「どうしてですか!?」
別々の場所で異を唱える眼鏡男達と男性職員の皆さんです。
「では、出かけましょう、左京さん」
樹里は笑顔全開で言いました。
「はい」
左京は引きつり全開で車のキーを樹里に渡しました。
「わーい、わーい、ジイジにあえるう!」
瑠里はまた奇妙なダンスをしながら喜びました。
「わーい、わーい、ジイジにあえる!」
冴里も奇妙なダンスをして喜びました。
そんな二人のお姉ちゃんを見て、乃里も嬉しそうに笑いました。
まず、樹里が乃里を後部座席の真ん中に設置したベビーシートに乗せました。
次に左京が、右側のチャイルドシートに瑠里を乗せました。そして、左側のチャイルドシートに冴里を乗せました。
「よし、出発するぞ!」
左京が助手席に乗ったにも関わらず、偉そうに告げました。
「ううう……」
成田までの道のりを樹里程うまく進む事ができないヘボ夫は、地の文の指摘に反論できずに項垂れました。
「そうなんですか」
「そうなんですか」
「しょーなんですか」
樹里と瑠里と冴里は笑顔全開で応じました。乃里も笑顔全開です。
やがて車は、まだ夜が明けたばかりの住宅街を抜け、一路成田空港へと走り出しました。
「ママ、ジイジ、もうついてるかな?」
瑠里が樹里に尋ねました。すると樹里はスルスルとハンドルを回しながら、
「まだですよ。今はお空の上です」
「か○いじゅうによりもうえなの?」
世界情勢にも敏感な瑠里が更に尋ねました。樹里は笑顔全開で、
「そんなに上ではないですよ」
そんな母娘の会話を、左京は顔を引きつらせて見ていました。
やがて、樹里の運転技術と抜け道マップ能力により、成田空港まであともう少しのところまで来ました。
日も高くなり、周囲の光景が照り返しで輝いています。
(凄過ぎる。一度も渋滞に巻き込まれなかった)
左京は樹里を尊敬の眼差しで見ていました。
「左京さん」
樹里が不意に左京に言いました。
「何だ?」
ジッと見ていたのを誤魔化そうとしていきなり窓の外を見る左京です。
「そんなに見つめられると、恥ずかしいです」
樹里は頬を赤らめて言いました。
「そうなんですか」
左京は樹里があまりにも可愛かったので、運転中にも関わらず、抱きしめたくなりました。
(ああ、俺は愛されてるんだなあ)
自惚れが強い左京はそんな烏滸がましい事を妄想しました。
天罰が下ると思う地の文です。
「何でだよ!?」
正しい事を言ったはずの地の文に理不尽に切れる左京です。
そんなバカげた事をしているうちに、車は成田空港が見える場所まで来ました。
始めははしゃいでいた瑠里と冴里は、騒ぎ疲れて眠っています。
乃里も、途中で何度か停車して授乳をしたので、今はぐっすり眠っています。
左京はチャンスだと思い、樹里に抱きつこうとしました。
「してねえよ!」
深層心理の奥底を見抜かれた左京は、あからさまに焦って地の文に切れました。
もうすぐ空港というところで、樹里は車を路肩に寄せて停車しました。
「お父さんの前ではできませんから」
樹里が恥ずかしそうに言い、目を瞑りました。
(樹里に見透かされてた!)
左京は顔から火が出てそのまま燃え尽きてしまいました。
めでたし、めでたし。
「違う!」
理想的な最終回を思い描いた地の文に切れる左京です。
左京はドキドキしながら、樹里にキスをしました。
「ママ、もうついたの?」
突然瑠里がムクッと起き上がって尋ねたので、
「まだですよ。あともう少しですよ」
樹里は笑顔全開で応じましたが、左京は顔を真っ赤にしたままで、何も言えませんでした。
「そうなんですか」
瑠里も笑顔全開で応じました。
車はまた走り始め、しばらくすると、空港のターミナルに到着しました。
「わーい、わーい、ジイジにあえるう!」
「わーい、わーい、ジイジにあえる!」
瑠里と冴里は、また奇妙な踊りを始めました。
「瑠里、冴里、ジイジがいますよ」
樹里が車を停めて言いました。しばらく先の出入り口の前に、康夫がキャリーバッグを片手に立っているのが見えました。左京はドアを開いて車を降りると、瑠里と冴里を手早くチャイルドシートから降ろしました。
「ジイジ!」
瑠里と冴里はダッと走り出して、康夫を目指しました。
「瑠里! 冴里!」
康夫も二人に気づき、キャリーバッグを固定して二人を迎えるために両手を広げました。
「わーい!」
瑠里がまず康夫にジャンプして抱きつきました。冴里はお姉ちゃんの真似をできないので、康夫の左脚に抱きつきました。
「大きくなったね、二人共」
康夫は瑠里に飛びつかれてよろけながらも、何とか踏み留まって言いました。
「お父さん、お帰りなさい」
樹里が目を潤ませて、康夫に駆け寄りました。
「お義父さん、お疲れ様です」
左京が追いついて言いました。康夫は二人を見て、
「ありがとう、二人共。乃里も大きくなったろうね」
「ええ。もう、抱っこ紐では大変なので、ベビーカーになりました」
樹里が右目から一粒涙をこぼして告げました。
「そうなのかね」
康夫も笑顔全開で応じました。
「ジイジ、はやくいこう!」
瑠里と冴里に引っ張られて、康夫は車へと歩き出しました。
「あ」
その時、左京はある事に気づきました。
(お義父さんが乗ると、一人乗れない)
その乗れない人は間違いなく自分だと思い、涙がこぼれそうになる左京です。
「心配ないわよん、左京ちゃん」
聞き覚えのある声が背後から聞こえました。
振り返ると、そこには由里と現在の夫の西村夏彦がいました。
「お母さん、お義父さん」
樹里も知らなかったようで、驚いています。
「康君から連絡があって、この人と来たのよ。今回は、私達の車に乗ってもらうけど、いい?」
由里が何故か左京にウィンクして言いました。更に顔を引きつらせる左京ですが、
「ダメ! ジイジはるりたちとかえるんだから! バアバはパパとかえって!」
瑠里が猛然と立ち塞がり、異を唱えました。
他の人がバアバと言ったのなら、その人は死を以って償う事になりますが、瑠里では何もできない由里です。
「仕方ないなあ。じゃあ、左京ちゃんで我慢するか」
由里が左京と腕を組んで連れて行こうとすると、
「ダメです! 左京さんは私達と一緒に帰るんです」
今度は樹里が間に割り込み、左京を由里から引き放しました。
「もう、ワガママなんだから! じゃあ、夏たん、悪いけど、左京ちゃんの車で一人で帰って」
いきなりの無茶ぶりで、夏彦は固まってしまいました。
めでたし、めでたし。