樹里ちゃん、呪いをかけられる(後編)
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
樹里は、世界犯罪者連盟、通称セントアンドリュースの非正規社員である野矢亜剛に命を狙われています。
「セしか合っていないでしょう? 強引過ぎませんか? それに私は非正規社員ではなく、正規社員です」
地の文の昭和なボケに平成テイストのドライなツッコミをする野矢亜剛です。
先日は、ボケ担当の殺し屋である江川紹治が相手だったので、事なきを得た樹里でしたが、今度は違います。
「ボケ担当じゃねえよ!」
東京湾の底で魚に突かれながらも切れるゾンビになりかけている江川です。
次に野矢亜が樹里暗殺に指名してのは、安部晴明です。
名前からわかる通り、リアクション芸人です。
「違う! 陰陽師だ!」
地の文の軽いジャブのボケに早くも全力で切れる安部です。
そうでした。オカルト系芸人の間違いでしたね。
「違う! 芸人から離れろ!」
更に激ギレする安部です。地の文は野矢亜より絡みやすいので小さくガッツポーズしました。
「我が呪詛を以ってすれば、普通の人間はすぐに死にます。ご安心ください」
目一杯気取って言う安部ですが、周囲には誰もいません。
ちょっとイタい人のようです。
「うおおおお!」
地の文のおちょくりに我慢の限界が来て、雄叫びをあげる安部です。
「我が呪術は無敵だ! 死ね、御徒町樹里!」
人の形に切り抜いた半紙に下手くそな毛筆で「おかちまちじゅり」とひらがなで書く安部です。
「字の上手い下手は関係ない!」
的確な指摘をした地の文に切れる安部です。
「リンピョウトウシャカイジンレツゼンギョウ!」
安部が呪文を唱えると、半紙がフワリと浮き上がり、飛翔しました。
「あと数分で御徒町樹里は全身を焼け爛らせて死ぬ!」
安部はすでに勝利を確信して高笑いしました。
その頃、樹里は黒川真理沙と昭和眼鏡男達に守られて、無事に五反田邸に到着していました。
「ありがとうございました」
樹里は深々とお辞儀をしてお礼を言いました。
「では、樹里様、お帰りの時にまた」
眼鏡男達はいつもより短い出演に不満一つ言わずに敬礼をして去りました。
「ううう……」
地の文の描写に背中で泣いている眼鏡男達です。
「さ、樹里さん、早く邸の中へ」
真理沙は周囲を見渡しながら、樹里を促しました。
「そうなんですか」
それにも関わらず、樹里は笑顔全開で応じました。
その時、安部の放った呪詛を纏った半紙が樹里に接近しました。
「あ」
樹里は目の前にいた蚊をパンと両手で叩きました。
蚊はそれを掻い潜ってしまいましたが、次の瞬間、樹里の柏手から光のオーラが発せられて、飛んできた半紙を燃やしてしまいました。
「え?」
燃えながら地面に落ちてきた半紙を見て、真理沙は身構えました。
(何?)
異変を感じたのか、もう一人のメイドの腹黒弥生が駆けてきました。
「目黒よ!」
地の文の新しいボケにも見事に反応して切れる弥生です。
「どうしたんですか、真理沙さん?」
珍しく慌てた様子の真理沙に嬉しそうに尋ねる弥生です。
「嬉しそうになんかしてません!」
図星を突いた地の文に動揺しながら抗議する弥生です。
「これ、何かしら?」
真理沙は少しだけ燃え残った半紙を指差して言いました。弥生はしゃがみ込んでそれをつまみ上げ、
「半紙、みたいですけど、何か書いてありますよ」
「そうみたいね。でも、字が汚くて読めないわね」
真理沙がズバッと核心を突きました。
「そうなんですか」
樹里はそれにも関わらず、笑顔全開のままです。
「おのれえ!」
呪詛が樹里の無意識の反撃で消滅してしまったのを感じた安部は地団駄踏んで悔しがりました。
「まさか、御徒町樹里が呪術を使えるとは思わなかったな。ならば、別の手だ」
安部はニヤリとしました。おかしくなってしまったようです。
「違う!」
地の文の正しいはずの指摘に切れる安部です。
「これは返せまい」
安部は巨額の借金を背負ったようです。
「その返せないじゃねえよ!」
どんなボケにも果敢に挑む実は芸人体質の安部です。
安部は童心に還ったのか、粘土を捏ね始めました。
「これは呪う相手を模した人形だ。これを針で刺し、相手を殺すのだ」
また誰もいないのに解説を始める安部です。
「くうう……」
独り言が多い事を気にしている安部は心を抉られる思いがしました。
「死ね、御徒町樹里!」
安部は粘土で作った人形の心臓の部分を畳を縫うような針で突き刺しました。
その頃、樹里は三女の乃里に授乳をすませて、掃除に取り掛かっていましたが、急にその場にしゃがみ込みました。
「どうしたんですか、樹里さん?」
驚いた真理沙と弥生が駆け寄りました。
「紙くずが落ちていました」
樹里はわずかなゴミも見逃さない観察眼で言いました。
「そうなんですか」
真理沙と弥生は樹里の口癖で応じました。
その後、何度も安部は粘土人形に針を刺しましたが、樹里は全く呪われず、その日一日を無事に過ごしました。
「どういう事だ!? 何故呪いがかからないのだ? 御徒町樹里は一体何者なのだ?」
自分の実力不足のせいなのに、訳のわからない事を口走る安部です。
安部は確認のために野矢亜に電話をしました。
「呪殺対象者の姓名は、御徒町樹里で間違いありませんか?」
安部は一番知りたい事を尋ねました。すると野矢亜は、
「婚姻していますから、名字が変わっていますね。杉下樹里ではないですか?」
しかし、安部は、
「いや、呪う対象の姓名が婚姻で改姓されていようとも、それは関係ありません。対象者の名が、根本から間違っているとしか思えません」
どうしても自分の失態だと認めたくない安部は、更に食い下がりました。そして、
「仕方がありません。私が御徒町樹里に直接対峙して、彼女の真の名を探り出しましょう」
スマホを切り、樹里がいる五反田邸の地図を見ました。
「お前の真の名を教えよ」
安部は印を結び、樹里に語りかけました。
ちょうどその時、樹里はベビーベッドから乃里を抱き起こしていました。
「さあ、帰りますよ」
樹里が言った時、安部の言葉が樹里に届きました。その途端、樹里に向かっていたのに、標的を失って辺りを彷徨っていた安部の呪いが一斉に返って行きました。
「何ィッ!?」
安部は自分が放った数々の呪いが戻ってきたのを感じましたが、防ぐ事ができず、ボロボロにされてしまいました。
「何がどうして……」
安部は力尽きながら、田舎に帰ろうと思いました。
こうして樹里は、無意識のうちに陰陽師を撃退したのでした。
「あれ、お母さんは、御徒町由里さんじゃなくて、赤川由里さんだったんですね?」
戸籍謄本を頼まれた樹里の不甲斐ない夫の杉下左京が言いました。
「あら、知らなかったの? 樹里も赤川樹里だったのよ? 改姓するの面倒臭いから、そのままにしてたのよ。今は西村由里だけどね」
ウィンクをして応じる由里です。左京は顔を引きつらせて、
「そうなんですか」
樹里の口癖で応じました。
めでたし、めでたし。