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樹里ちゃん、左京を動揺させる

 俺は杉下左京。自宅の一部に事務所を構える私立探偵だ。


 すでに妻の樹里との間には、三人の可愛い娘がいる。


 彼女との結婚は夢にまで見た事だったが、未だに結婚生活が続けられている事が奇跡のような気がしている。


 何しろ、樹里は映画の主演までする大女優になり、莫大な収入を得ていた。


 それでなくても、日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドなので、しがない探偵の月収を遥かに上回る給料をもらっている。


 俺はここ何年も、不甲斐なさで押し潰されそうになりながら、何とか日々を過ごしていた。


 それもこれも、樹里のまるで菩薩のように慈悲深くて穏やかな性格のお陰だ。


 そうでなければ、俺はずっと以前に離婚されていても不思議ではない。


 数限りない迷惑をかけ、探偵事務所の経費も一部負担してもらった事もあった。


「普通の男だったら、プライドが許さないと思うけどね」


 高齢出産ながらも、第二子を無事産んだ腐れ縁の加藤ありさにそんな事を言われた。


 ありさは暇なのか、朝から事務所に来て、ソファで寛いでいるのだ。


 いつもなら、


「ふざけるな! お前にだけは言われたくない!」


 怒り心頭に発して怒鳴っているところだが、第二子であるたすく君を抱いているので、大声を出せない。


 ありさはしてやったりの表情で俺を見ているので、余計に腹が立った。


「せっかく、お互いの子を自慢し合おうと思ったのに、樹里ちゃんはお出かけなの?」


 ありさは祐君をあやしながら言った。俺はムスッとした顔で、


「樹里は仕事に行っているよ。お前も少しは見習ったらどうだ?」


 嫌味を込めて言い返した。するとありさは、


「あんたにだけは言われたくないわよ、杉下ヒモ男君」


 そう言ってゲラゲラ笑い出した。


「この!」


 掴みかかろうと思ったが、祐君を楯にして、我が身を守る恐るべき母親であるありさの行為に呆れ、自分の椅子に戻った。


「所長、出産という大事業を終えたばかりのありささんにそんな態度はよくありませんよ」


 そう言って、淹れ立てのコーヒーを出してくれたのは、斎藤真琴さん。


 無給で事務員をしてくれている天使のような女性だ。


「ありがとう、真琴ちゃん」


 ありさは授乳があるので、コーヒーではなく、ノンカフェインの麦茶だ。


「今日も電話が鳴りませんね、所長」


 にっこり笑って、厳しい現実を再認識させてくれる斎藤さんは悪気がないので何も言えない。


「そうだね」


 苦笑いをして応じるしかないのだ。何しろ無給で働いてくれている貴重な存在なので。


「真琴ちゃんも、早くいい人見つけて、子供を産まないとね」


 ありさが言ったので、俺はすかさず、


「そういうのって、モラハラだぞ、ありさ」


 思い切り上から忠告した。しかし、


「所長、別に私はそんな風には思いませんよ。出産は女性にしかできない事なのですから、子供を産まないといけないとは言いませんが、何も支障がないのであれば、産むべきだとは思っていますから」


 斎藤さんにあっさりはしごを外されてしまった。某理事長の心境に陥りそうで危ない。


 それにしても、斎藤さんはしっかりした考えを持っているな。ありさに爪の垢を煎じて飲んでもらいたいくらいだが、そんな事を言えば、それこそ、「セクハラだ、パワハラだ」と大騒ぎするに違いないので、グッと堪えた。


「ふうん。左京、手伝ってあげなさいよ」


 ありさのトンデモ発言に、俺はもう少しで飲みかけたコーヒーを噴き出してしまいそうになった。


「ありさ、お前なあ! 俺は既婚者だぞ。それに、斎藤さんに失礼だろ」


 俺は鼓動が速まるのを感じながら、ありさをたしなめた。


「何エロい事考えてるのよ、左京ってば。真琴ちゃんに誰かいい男を紹介してあげてって言ってるんだけど?」


 ありさは勝ち誇った顔で言った。俺は自分が早とちりしていた事に気づき、顔が破裂するくらい熱くなるのを感じた。


「あら、所長なら、そういうお手伝いもOKですよ」


 斎藤さんはニコニコしながら、逆セクハラ発言をしてきた。


「ええ!?」


 俺とありさは練習を重ねていたかのように息ピッタリで叫んでしまった。


「冗談ですよ。そんな事をお願いしたら、樹里さんに叱られてしまいます」


 チロッと舌を出して戯けてみせると、斎藤さんはトレイを抱えて給湯室に行ってしまった。


「あの子、時々すごい事言うわね」


 さすがのありさも目を見開いている。


「ああ……」


 俺は嫌な汗が滴り落ちる額をティッシュで拭った。




 しばらくして、ありさは帰り、俺は長女の瑠里と次女の冴里を保育所に迎えに行くために事務所を出た。


「行ってらっしゃい」


 斎藤さんは事務所の玄関で見送ってくれたのだが、ご近所の皆さんがヒソヒソ話を始めたので、次は見送らないでくれと言った方がよさそうだ。


 保育所に行くと、瑠里と冴里は遊び疲れて眠っていた。俺は起こさないように瑠里をおんぶ紐で背負い、冴里を抱っこして家路に着いた。


 


「あれ?」


 玄関を開けると、リヴィングから話し声が聞こえてきた。


 今は樹里の父親の赤川康夫さんがいるだけなので、お客さんでも来たのかと思い、瑠里と冴里を部屋に連れて行って寝かせると、リヴィングに行った。


 中に入ろうとしてドアを少し開けた時、衝撃的な光景と話を見聞きしてしまった。


 来客と思っていたのだが、お義父さんとソファで向かい合って話しているのは、三女の乃里を抱きかかえた樹里だったのだ。


 しかも話の内容が、


「またアメリカに戻る事になった。一緒に行ってくれないか」


 驚愕の申し出だったのだ。どうしよう? 俺がいないと思って話しているのだとしたら、入っていくのはまずい。


 仕方がないので、しばらくそこで盗み聞きのような真似を続ける事にした。


「一人で戻るのは寂しいので、無理を承知で頼むよ」


 お義父さんはテーブルに額をこするつけるようにして必死に頼んでいた。


 樹里は乃里をあやしていて、なかなか返事をしない。それはそうだろう。


 そんな簡単に答えを出せるような問題ではないのだ。


 俺はどうすればいいんだと思っていると、


「左京さん、どうしたんですか?」


 いきなり背後から声をかけられ、俺は口から魂が出てしまうかと思う程驚いた。


「あれ、樹里?」


 振り返ると、そこには我が妻である樹里が笑顔全開で立っていた。


「あ、左京ちゃん、樹里、お帰り」


 ソファに座っていたのは樹里ではなく、母親の由里さんだった。


「もう、康君たら、私に一緒にアメリカに行ってくれって言うのよ、困っちゃうわ」


 由里さんはアメリカ人もびっくりするくらい肩を竦めてみせた。


「そうなんですか」


 樹里は笑顔全開で応じていたが、俺は引きつり全開と同時にホッともしながら応じた。


 めでたし、めでたし、なのかな?

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