樹里ちゃん、再びありさの出産に立ち会う
御徒町樹里は日本有数の大富豪である五反田六郎氏の邸の専属メイドです。
まだ産休中の樹里は、三女の乃里に授乳を終えると、朝食の後片付けをしていました。
稼ぎが少なくてボンクラで不甲斐ない夫の杉下左京はどうしたのでしょう?
遂に家を追い出され、橋の下でブルーシートの別宅を作って暮らし始めたのでしょうか?
家の名義は樹里なので、それが当然だと思う地の文です。
「只今」
ところが、非常に残念な事に左京はその稼ぎの少なさに見合わない現在の邸宅に我が物顔で帰ってきてしまいました。
「悪かったな!」
正しい事をありのままに表現したはずの地の文に理不尽に切れる左京です。
「お帰りなさい、左京さん。私が保育所まで連れて行けなくて申し訳ありません」
樹里は乃里を居間にあるベビーベッドに寝かしつけると、深々と頭を下げて言いました。
「そんな事は気にしないでくれ。瑠里と冴里も俺の娘なんだしさ。当然の事をしているだけだよ」
照れ臭くなった左京は心にもない事を言ってのけました。
「心にきっちり思っているよ!」
心情を的確に描写した地の文に切れる左京です。
「そうなんですか」
樹里は笑顔全開で応じました。
「乃里は眠ったのかい?」
左京はベビーベッドに近づきました。するとさっきまでスヤスヤ眠っていた乃里が目を開け、まさしく火が着いたように泣き出しました。
「ひいい!」
左京は驚いて飛び退き、涙目で樹里を見ました。
「大丈夫ですよ、左京さん」
樹里は笑顔全開で応じると、乃里を抱き上げ、もう一度授乳を開始しました。
「ううう……」
左京は樹里のマシュマロを見てしまい、鼻血を垂らしました。
すでに三人の子供がいるにも関わらず、奥さんのマシュマロを見て鼻血を垂らすとは、どこまでも変態だと思う地の文です。
樹里はひとしきり乃里に授乳してゲップをさせると、またベビーベッドに寝かせました。
「左京さん、洗濯物を干してくれますか?」
学習能力がない左京がまた乃里の様子を見ようとしたので、樹里が言いました。
「はい……」
さすがに察しの悪さでは日本有数の左京も自分の身の程を知ったのか、項垂れて居間を出て行きました。
「仕方のないパパですね、乃里」
気持ち良さそうな顔で眠っている乃里を見て呟く樹里です。その時、ポケットのスマホが震えました。
「はい」
樹里はすぐに通話を開始し、乃里から離れてキッチンに行きました。
「朝から申し訳ありません」
相手は脱獄囚でした。
「脱獄囚じゃねえよ! 警視庁の加藤だよ!」
省略し過ぎた地の文に電話越しに切れる加藤真澄警部です。
そうでした、脱獄囚顔でしたね。
「それだって認められねえぞ!」
尚も地の文にいちゃもんを付ける加藤警部です。
「前回に引き続いて申し訳ないのですが、ありさが産気づいて病院に行きました。もうすぐ生まれそうなんですが、自分は殺人事件の捜査中で、病院に行けそうもありません。代わりにありさについていてもらえませんか?」
顔と同じくらい厚かましい事をお願いする加藤警部です。
「ううう……」
自分でも薄々図々しい頼みだとは思っていた加藤警部は、地の文の直球の指摘に項垂れてしまったようです。
「わかりました。病院は前回と同じところですか?」
樹里は笑顔全開で尋ねました。
「ありがとうございます、樹里さん。そうです、同じ病院です。よろしくお願いします」
樹里は通話を終えると、脱衣所で洗濯機のドラムから洗濯物を取り出している左京のところに行きました。
「左京さん、ちょっといいですか?」
「あ、な、何かな、樹里?」
左京は樹里の超弩級のブラジャーをジッと見ていたので、ビクッとして振り返りました。
「そんな事してねえよ!」
非常に動揺し捲って地の文に切れる左京です。
「加藤さんから電話があって、ありささんが産気づいて病院に行ったそうです」
左京は慌てて樹里のブラジャーをカゴに放り込み、
「またこの前と同じか。樹里以外に誰かいないのかよ、あの脱獄囚は」
自分の変態的な趣味を誤魔化すために言いました。
「だから違うって言ってるだろ!」
執拗に食い下がる地の文に涙ぐんで抗議する左京です。
「加藤さんのお母さんの佐和子さんは海外に行っているので、誰もお願いできる人がいないそうです」
樹里はそれでも笑顔全開で応じました。左京は苦笑いをして、
「まあ、樹里は看護師の資格も持っているしな。一番頼りになるもんな」
すると樹里は顔を赤らめて、
「そんな事はありませんよ」
左京はその仕草があまりにも可愛かったので、押し倒したくなりましたが、
「とにかく、病院に行こう。乃里はお義父さんになら懐いているようだから」
自虐ギャグをかまして誤魔化しました。
「押し倒したくなったりしてねえよ!」
正解を言った地の文に切れる左京です。
樹里は父親の赤川康夫に乃里を頼み、左京の車で出かけました。
(乃里はお義父さんには泣かずに抱かれているんだよなあ……)
強い悲しみがこみ上げてくる左京です。
しばらくして、二人は病院に到着しました。
「加藤ありささんのご主人の代わりに来ました」
樹里が真顔で受付に告げました。左京はその凛々しい顔にも欲情してしまいました。
「してねえよ!」
どうしても左京を変質者に仕立て上げたい地の文にまたしても切れる左京です。
「加藤ありささんはつい先程分娩室に入りました」
受付の女性が告げました。
「わかりました」
樹里は左京に目配せすると、分娩室へと向かいました。
(樹里、かっこいい……。ますます惚れてしまった)
実際に変質者になり始めている左京です。
樹里は担当の医師に事情を説明し、ありさの出産に立ち会う事になりました。
不甲斐ない夫の左京は廊下の椅子に倒れこんで気絶しています。
ありさのまるで獣のような叫び声にビビってしまったのです。
それから三時間が過ぎましたが、ありさはまだ出産を終えていないようです。
「あ、杉下」
そこへ脱獄した死刑囚が現れました。
「大幅に違っているぞ!」
方向性を間違えてしまった地の文に切れる加藤警部です。
「もう随分になるが、まだなんだよ」
左京は出産するありさより顔色を悪くして言いました。
「ありさ……」
加藤警部は不安そうな顔で分娩室のドアを見つめました。
その時、中から元気な赤ん坊の泣き声が聞こえてきました。
「やった!」
加藤警部と左京は今までの怨讐を互いに忘れて抱き合って喜びました。
「あれ?」
ドアを押し開けて中に入ると、そこにいたのは全然知らない人でした。
「どなたですか?」
不審そうな顔で二人を睨みつける夫と思われる男性です。
「失礼致しました!」
左京と加藤警部は慌てて外に出ました。
「何してるんですか、左京さん、加藤さん。ありささんはもう病室に移りましたよ」
そこへ樹里が現れて告げました。左京が気絶している間に出産が終わっていたようです。
「すーぎーしーたーさーきょー!」
加藤警部は鬼の形相で左京の襟首をねじ上げました。
めでたし、めでたし。