樹里ちゃん、左京を助ける
杉下左京は警視庁特捜班の敏腕警部です。
しかし大泥棒を追いかけている訳ではありません。
今追っているのは、巨大な利権に群がる人達です。
大手ゼネコンが受注したダム工事に絡み、政治家が動いているという密告がありました。
当事者と思われる政治家の元秘書だった男からです。
東京地検が捜査に乗り出し、男を保護しようとした矢先、その人は死んでしまいました。
ビルの屋上からの転落死。
転落死と言うのは、自殺か他殺か不明だからです。
残念な事に、警視庁には凄腕の検視官がいません。
「俺のとはサイズが違うな」
とか言う人は存在しないのです。
「絶対にこのヤマ、片付けるぞ」
左京は特捜班のメンバーである神戸蘭警部と亀島馨警部補に言いました。
「はい」
捜査一課との合同本部が立ち上げられ、会議が開かれました。
「どうしててめえらなんかと一緒に仕事しなくちゃならねえんだよ?」
皮肉たっぷりに、脱獄囚顔でお馴染みの加藤警部が言います。
「それはこっちのセリフだ、バ加藤」
左京も負けていません。
「俺の小学校時代のあだ名を言うな、杉下ァ!」
加藤警部は鬼の形相で叫びました。哀れな人です。
こうして元秘書転落死事件の捜査が開始されました。
聞き込みは国会内部にまで及びます。
そして大手ゼネコンのダム建設工事関係者も事情聴取を受けました。
何人か、事件当日のアリバイが不明の者が浮かび上がり、捜査も大詰めを迎えます。
そんなある日の事です。
「どういう事ですか、部長!?」
珍しく左京と加藤警部が二人で刑事部長に噛み付いています。
「どうもこうもない! 今回の転落死は、自殺で決着だ!」
刑事部長は二人に負けないくらいの大声で言いました。
「そんなバカな……。容疑者まで現れて、あと一歩なのに、自殺? 納得できません!」
左京はそれでも諦めません。
「そ、そうです。自分も納得できません!」
加藤警部が同意します。二人の意見が一致するとは、天変地異の前触れかも知れません。
「うるさい! それ以上文句を言うなら、お前ら二人共捜査本部から外すぞ!」
左京と加藤警部は仕方なく引き下がり、捜査本部に戻りました。
「圧力か?」
加藤警部が呟きます。
「だな。卑怯な奴らだ。てめえ達の襟を正すのは後回しで、こういう事だけは迅速に動きやがる」
左京は忌ま忌ましそうに言いました。
「畜生!」
加藤警部はテーブルが割れるのではないかという勢いで叩きました。
数日後の夜、左京は樹里のいる居酒屋に現れました。
「杉下さん、いらっしゃいませ」
樹里はいつものように笑顔全開です。
「よう。いつも明るいな、樹里は」
「はい、ありがとうございます」
樹里は嬉しそうに答えます。そして、左京の顔色が冴えないのに気づきました。
「どうされたのですか、杉下さん?」
左京は苦笑いをして、
「俺の愚痴、聞いてくれるか、樹里?」
「はい、喜んで」
樹里は満点笑顔で言いました。
左京は、時折笑顔を見せましたが、いつもの陽気さはなく、早めに帰りました。
「杉下さん……」
暗い左京を樹里は心配しました。
そして翌朝になりました。
樹里は、アメリカに行っている大富豪の五反田氏の出迎えで成田空港に来ていました。
五反田氏は、一時帰国して、大きな合併を進めるようです。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
樹里は五反田氏に言いました。すると五反田氏は、
「どうしたね、御徒町さん? 元気がないようだが?」
「はい。私の大切な人が辛そうでしたので、心配で」
樹里の顔が暗いのを初めて見た五反田氏は、
「良かったら、私に話してくれないか? 何があったのかね?」
樹里は五反田氏に促されて、左京の愚痴を話しました。
「そうか。なるほど」
五反田氏は樹里を見て微笑み、
「私は貴女の笑顔に何度も救われ、家族も助けられた。だから貴女の笑顔が見られないのは寂しい」
「ありがとうございます」
樹里は微笑んで応じました。五反田氏は、
「また笑顔を見せて欲しいから、ちょっとだけ力を貸そう」
と言いました。
「どういう事なんですか、部長!?」
再び左京・加藤の迷コンビが刑事部長に噛み付いています。
「私だってわからんよ! 総監から突然捜査の続行を命じられたんだよ! 文句があるなら、総監に言ってくれ!」
「はあ?」
左京は加藤警部と顔を見合わせてしまいました。
こうして元秘書転落死事件は殺人事件と判明し、被害者の元の雇い主である大物政治家が事情聴取を受けました。
「こんな事をして只ですむと思うなよ!」
ヤクザ顔の政治家は捨てゼリフを吐きました。
「残念ですが、貴方の後ろ盾だったゼネコンの本体である商社はもう貴方の支援者ではありませんよ」
左京はニヤリとして言いました。
「何!?」
政治家がヤクザになったのか、ヤクザが政治家になったのかわからないような顔のその人は仰天しました。
「観念しろよ、悪党!」
左京はクールに決めました。
「かんぱーい!」
その日は呉越同舟で祝杯を上げました。特捜班と捜査一課が樹里のいる居酒屋で飲み会です。
「杉下さん」
樹里が料理を運んで来ました。神戸警部は途端に機嫌が悪くなり、亀島警部補はにやけます。
「良かったです。杉下さんが元気になって」
「おう。ありがとうな」
その時、左京はハッとしました。
(樹里にあの話をした翌日に事件の捜査が再開された……。まさかな)
いくら樹里が不可思議な女の子でも、そんな事ができるはずがない。
左京は考えるのをやめました。
「可愛いな、あんた。俺の嫁にならないか?」
酔っ払った加藤が樹里を口説きます。
「こら、バ加藤、樹里を口説くんじゃねえよ」
左京もほろ酔いです。
そしてその次の日の朝です。樹里は五反田氏の見送りで成田空港に来ていました。
「お疲れ様でございます、ご主人様」
樹里は笑顔全開で言いました。五反田氏は微笑んで、
「良かったよ、御徒町さん。貴女の笑顔がまた見られて」
「ありがとうございます」
「いい事があったようだね」
樹里はニコッとして、
「はい。大切な人が、また笑顔を見せてくれたのです」
「そうか。私はその大切な人が羨ましいよ」
五反田氏はそう言うと搭乗口に歩き出しました。
「行ってらっしゃいませ、ご主人様」
樹里は深々と頭を下げ、五反田氏を見送りました。