樹里ちゃん、マルタイになる
俺は杉下左京。警視庁特捜班の警部で、班長だ。
とは言っても、班には三人しかいない。
俺と、同期の神戸蘭と亀島馨。
あまり忙しくない班なのだからそれで十分だろう、と刑事部長に言われてしまった。
確かに、暇だ。あまり仕事がないのは以前と変わりない。
俺達が暇なのはいい事だ。そう思い、仕方なく納得する。
そんなある日の事。
捜査一課の課長に呼び出された。
「何しに来たんだよ、杉下?」
一課に入ると、相変わらず脱獄囚顔のバ加藤がいた。
「お前こそ、まだここにいられたのか? よくクビにならないな、その悪人面で」
「うるさい! 刑事は顔でするもんじゃない!」
バ加藤は本気で怒り出した。俺はそれを無視して、課長の席に近づいた。
「お呼びでしょうか?」
課長は俺を見上げて、
「実は、あるマルタイの護衛をしてもらいたいのだ」
マルタイというのは、犯罪の目撃者や重要な証言をする人で、犯人等に命を狙われている者を指す。
「マルタイ? 護衛? それは特捜班の仕事ではないでしょう?」
「SPが足らんのだ。それにマルタイはお前の知り合いだぞ」
「え?」
どこのどいつだ、マルタイになんかなりやがったのは!?
そしてそのマルタイが待つ部屋に案内され、マルタイに会って腰が抜けそうになった。
「ああ、杉下さん。お久しぶりです」
そこにいたのは御徒町樹里だった。
「お前、何を仕出かしたんだ?」
俺は心が折れそうになるのを何とか防ぎ、樹里に尋ねた。すると課長が、
「その子は、箕輪組の組長を射殺した犯人を見たんだ」
「え、箕輪組?」
箕輪組と言えば、G県を本拠地にして、都心までその勢力を伸ばしている新興暴力団だ。
「この子はその犯人に狙われている。護衛の任務に就いてくれ。二十四時間、片時も離れるな」
「は、はい」
俺は樹里を見た。
「よろしくお願いします、杉下さん」
樹里は笑顔全開で言った。
しかし、何とも複雑な心境だ。樹里とずっと一緒にいられるのは嬉しいが、仕事で一緒なのは嫌だ。
俺は樹里を伴ってひとまず特捜班室に戻った。
亀島は大喜びだが、蘭はムスッとして不服そうだ。
「御徒町さんは、必ず私が守ります」
「ありがとうございます、亀島さん」
亀島は勘違いしているようだ。
「亀島、この仕事は蘭に担当してもらう。お前は狙撃犯の方を調べてくれ」
「そ、そうですか」
あからさまにガッカリする亀島に同情する者はいない。もちろん、金をくれる者もいない。
当然だ。女性には女性のSPが就く。でなければ、守り切れない。
「私は嫌よ、左京。あんたがやりなさいよ」
蘭は剥れた顔で言った。
「あのな、ふざけた事を言ってるなよ、蘭」
「その子の事は、あんたが誰よりも知ってるでしょ? 同棲もしていたようだし」
「えええ!?」
亀島が騒ぎ出す。
「同棲ってどういう事ですか、杉下さん!?」
「あー、五月蝿い! もういい、頼まん!」
俺は自分で樹里を護衛する事にした。
「お前は俺が守るよ、樹里」
「ありがとうございます、杉下さん」
杉下さん、か。左京さんて呼んで欲しいと思う俺だった。
俺は樹里を車で送りながら、今は居酒屋で働いている事を知った。
あの大金持ちの五反田氏は、更に大金持ちになるため、アメリカに行ったのだそうだ。
どこまで欲深い奴なんだ。
樹里は居酒屋の仕事が終わり、由里さんのところに戻る途中で、箕輪組の組長が射殺されるのを見たのだ。
「それで、何度か狙撃されているんだな?」
「はい。これがそうです」
樹里はバッグを見せた。弾痕がある。
「危なかったな。それだけか?」
「いえ、ここもです」
今度は被っていた帽子を見せられた。それは天辺に弾痕があった。
「えええ? こんなところを撃たれたのに、無事だったのか、お前?」
「はい、おかげ様で」
樹里はニッコリして言う。それにしても、全然怖がっていないのは理解に苦しむ。
お化け屋敷の比ではないはずだ。やっぱり樹里はズレてるな、感覚が。
「何!?」
銃声がした。前タイヤを撃たれたようだ。
「くそ!」
ハンドルが効かない。俺はすぐに車を停め、辺りを窺った。
狙撃犯はどこから狙ったのか? そして、どうして俺が樹里を乗せている事を知ったのか?
まさか! 警視庁に奴等に通じている者がいる?
「樹里、伏せてろ」
「はい」
俺は拳銃を出し、車から降りた。
「うお!」
また銃声だ。どこからだ? もう一度辺りを見た。
ライフルで狙われているのなら、勝ち目はない。俺は只の標的だ。
「わ!」
また撃たれた。ちい!
逃げるので精一杯だ。しかも周りには隠れるところがない。
「杉下さん」
「え?」
ああ、おい、樹里、そいつ誰だ? 何で嬉しそうにそいつについて行くんだよ!?
狙撃は囮だったのだ。別の奴が、樹里を連れ出してしまった。
まずい、大失態だ!
俺は撃たれるのを承知で、樹里を追った。
また銃声。しかし、角度が違う。
「左京、狙撃犯は私が仕留めたわ! 樹里ちゃんを!」
蘭がいた。彼女はライフルを持っていた。
「こうなるってわかっていたのか?」
蘭は嬉しそうに、
「課長の作戦よ。あんたは囮だったの。連中に情報を流して、わざと狙わせたのよ」
「……」
くっそう。俺はピエロかよ。
「樹里!」
俺は走った。
「あれ?」
樹里がニコニコして立っている。周りに三人、大男が転がっていた。
「何だ、どうしたんだ?」
俺はそいつらが気を失っているのを確認し、樹里に尋ねた。
「皆さんが柔道をしようとしたので、投げさせていただきました」
「何ーッ!?」
樹里が資格マニアだという事は知っていたが、そういう資格も取っていたとは……。
しかも半端ではない強さだ。
護衛はいらなかったってか?
俺は思いっきり脱力した。